山形弁は私の「誇り」。方言と民謡を軽やかに歌い上げる、朝倉さやさんの音楽革命

難波寛彦

山形弁で歌った『タッチ』など、方言を取り入れたユニークな作風で知られるシンガーソングライターの朝倉さやさん。民謡日本一に輝いた確かな歌唱力もあいまって、日本の音楽シーンに新風を吹き込んでいます。朝倉さんの個性を尊重してくれたという音楽プロデューサーsolayaさんとの出会い、そして、これからの時代の民謡と方言の魅力と可能性とは。

「ヨーエサノマガショ エンヤコラマガセ…」

力強さとともにどこか懐かしさを感じる、山形県の民謡『最上川舟唄』。歌うのは、同じく山形県出身でシンガーソングライターとして活動する朝倉さやさんです。

普段から民謡を歌っていたという家族の影響もあり、本格的に民謡を習い始めたのは小学生の頃。小中学生の民謡の歌い手日本一を決める、民謡民舞少年少女全国大会では二度も優勝と、着々と歌い手としての技量を高めていきました。

しかし、高校卒業後にシンガーソングライターを目指して上京すると、その評価は一変。オーディションでは、民謡独特の歌い方や方言に苦言を呈されることも少なくなかったといいます。

それでもめげずに挑戦を続けていた朝倉さんの転機となったのは、クリスタル・ケイさんやJUJUさんの楽曲も手がけた音楽プロデューサー、solaya(ソラヤ)さんとの出会いでした。

個性を否定せずそっと後押ししてくれたsolayaさんに対する思い、そして、日本各地に今も息づく民謡や方言の魅力について、朝倉さんにお話を聞きました。


ーー小学2年生の8歳の頃から民謡を習い始めたとのことですが、やはり当時から歌手になる夢を持たれていたのでしょうか。

幼少期の頃は母が通っていた教室についていって『ぞうさん』や『チューリップ』などの童謡を歌っていたのですが、ある日、「さやちゃんも『花笠音頭』(山形県の民謡)を歌ってみろ」と言われたんです。歌い始めると、みんなが手を叩きながら喜んでくれて。そのことがすごく嬉しかったこともあり、それからは民謡を歌うことが童謡を歌うような自然なものになっていって、いつの間にか「いつかは歌手になるぞ」と思っていましたね。

習い始めた頃は私も民謡歌手になりたいと思っていたのですが、当時から人気だったスピッツさんやYUIさんを聴くようになってからは、自分で曲をつくって歌うということにも興味が出てきたんです。自分が感じたことを音楽で表現して、それを自分で歌えるなんて素敵だな。そう思って、高校卒業後はシンガーソングライターを目指して上京しました。

提供:Solaya Label

ーーシンガーソングライターを目指して上京されてからは、東京でどのような生活を送っていたのですか?

実は、上京したのはデビューが決まったり音楽学校に進学したからではなく、就職のためだったんです。会社員として働きながらも「どうやったら歌手になれるんだべな?」とは常に考えていて、音楽学校を探したり、休日にはオーディションを受けたりもしていました。

でも、オーディションでは「歌はうまいんだけれど、その民謡みたいな歌い方を直さないとデビューは難しいかもね」と言われたことも多くて。私にとって、民謡を通して身につけた歌い方はすごく大事なものだったので、「これを捨ててしまうくらいなら、無理をしてこの事務所で歌わなくてもいいかな」と考え、また新たにオーディションを受けるという日々でした。

ーー朝倉さんは方言や訛りも自身の音楽に積極的に取り入れていますよね。関西圏の人などに比べ、東北の人は方言や訛りを隠す傾向にあるようなイメージがあったのですが。

周りの友人から「東京さ行ったら、訛って話すのは恥ずかしくて…」という話も聞いたことはあるんですが、私の場合はそういった感覚はなかったですね。というのも、就職先の寮で一緒だった同期が青森県出身の人で、東京でもお互いに東北弁で訛って話していたからです(笑)。

会社には他にも東北出身の人が何人かいたので、恥ずかしいというよりも、むしろ「東北魂を見せて、東京の都心でも訛りを叫んでいぐべ!」という気持ちだったと思います。

Hirohiko Namba / OTEMOTO

ーーむしろ全面に押し出していたんですね!そうした姿勢を音楽にも取り入れることを提案してくれたのが、2022年に亡くなられた音楽プロデューサーのsolayaさんだったと。

上京してすぐの19歳の頃に通っていたsolayaさんの音楽教室、Solaya Music Schoolでの出会いがそもそものきっかけです。ある日のデモレコーディングで岩崎良美さんの『タッチ』を歌ったのですが、ブースから出るとsolayaさんが「すごくよかったんだけれど、ちなみに今話している山形の言葉で歌ってみたらどうなるの?」とおっしゃって。

正直に言うと、自分ではそこまで訛っていると思っていなかったんです(笑)。もちろん、方言で歌ったことなんてありませんし、「歌として成立するのかな?」という不安もあったのですが、同時に楽しそうだなとも思いました。こうしてスタートしたのが、『タッチ』や『木綿のハンカチーフ』など、お馴染みの曲を方言でカバーするというプロジェクトです。

まずは元の歌詞を山形弁に”翻訳”することから始めたのですが、なかには私でさえわからないものもあって。例えば、「探す」は山形弁で「たねる」。訛りが強い曽祖母に電話をして尋ね、「そいずだら”たねる”だべ!(それなら”たねる”でしょう)」と教えてもらったりすることもありました。

そうして出来上がった曲を歌うと、不思議と故郷とつながっているような気持ちになれたんです。東京にいながらにして山形とのつながりを感じられたことは、私にとっても嬉しい発見でした。

そして何より、故郷の山形に方言という独自の言葉があることを、とても誇らしく思いました。その土地でしか通じない、唯一無二の個性がある方言のことがより好きになった瞬間でしたね。

朝倉さや(あさくら・さや)/シンガーソングライター
山形県出身。曽祖母や母が民謡が好きだった影響で小学2年生から本格的に民謡を習い始め、小学4年生から三味線も習い始める。民謡日本一に2度輝き、18歳で上京。2012年、音楽プロデューサーsolayaと出会い、動画サイト上で名曲を民謡調や山形弁にアレンジして歌唱。投稿して間もなく再生回数も上がり話題に。2015年に日本レコード大賞企画賞・CDショップ大賞東北ブロック賞、2021年にはアルバム「古今唄集〜Future Trax BEST〜」でCDショップ大賞・歌謡曲賞を受賞するなど受賞歴も多数。2024年8月14日、初のオールタイム・ベストが発売予定。
提供:Solaya Label

ーーその後リリースした山形弁カバーアルバム『方言革命』はiTunesで1位に輝くなど大きな話題となりました。これまでの作品では、歌詞が沖縄の方言で書かれた曲も歌われていますよね。

母の車で夏川りみさんや中孝介さんの曲を聴いていたので、沖縄にルーツがある音楽にはこどもの頃から馴染みがありました。私自身も好んで聴いていたので、好きの延長でうちなーぐち(沖縄方言)が取り入れられた『童神(わらびがみ)』などの曲をカバーさせていただいています。

沖縄音楽は歌詞だけでなく、高音で取り入れるこぶしなどの独特な歌い方も好きなんです。山形民謡は力強いこぶしが特徴なので対極に位置する歌い方なのですが、そこはやはり同じ日本だからですかね。うまく言葉にはできませんが、心から「素敵だな」と惹かれるものがあります。

ーー方言や民謡が好きという朝倉さんの個性を尊重してくれたのがsolayaさんだったということですが、出会いを通して朝倉さん自身が変化したと感じることはありますか?

むしろ、変わらずにいられたことが大きかったですね。方言や訛り、民謡独特の歌い方など、私が持っているものをすごく大事にしてくれました。そして、一緒に楽しみながら作品をつくってくれたのがsolayaさんだったんです。

大好きなものを、大好きなままでいることができた。私が今も歌うことが好きでいられるのは、ありのままを受け入れ、良い部分を引き出してくれたsolayaさんがいたからこそだと思います。

ーーそんなsolayaさんと最後につくり上げたアルバムが、命や人生をテーマにした『Life Song』ですよね。

末期がんで闘病中だったsolayaさんとともに、文字通り命を削ってつくりあげたのが『Life Song』です。大きなテーマが「命」、そして「人生」の2つだったので、命の大切さやその人自身の生き方などを歌った曲を中心に選んだアルバムになっています。

例えば、東京での日常を歌った『下北沢』や、山形での学生時代の大切な思い出が詰まった『山商』といった曲にも、「命あってこそ、そうした時間を送ることができた」というメッセージを込めています。

solayaさん(右)と朝倉さやさん
提供:Solaya Label

ーー特に、山形民謡の『最上川舟唄』を取り入れた『最上川舟唄 -Life Song-』が印象的でした。

最上川舟唄は小さい頃から歌っていて、ライブなどでもずっと歌い続けてきている曲です。ある日、私がアカペラで歌ったものに、solayaさんが壮大なアレンジをつけてくださったことがあって。その音源を初めて聴いたとき、とても感動したんです。大好きだった民謡の世界がより広がって、新しい世界に行けたような感覚がありました。

私としてもぜひ歌いたいと思い企画したアルバムが、2015年の日本レコード大賞企画賞を受賞した『River Boat Song-Future Trax-』です。民謡というとどこか古臭いイメージがあると言われてしまうこともありますが、こうして賞などもいただいたことで、心揺さぶるものとしてしっかりと誰かに届いているんだなと思うことができ、とても嬉しかったことを覚えています。

そんな背景もあり、現代音楽との融合を形にできた最上川舟唄は、私にとってとても大切な曲なんです。そのきっかけをくれたsolayaさんと最後につくるアルバムにも入れることは、ある意味で自然なことでした。『最上川舟唄 -Life Song-』は、山形と私、そして私とsolayaさんをつなぐ、まさに「命」と「人生」を象徴する一曲になったと思っています。

Hirohiko Namba / OTEMOTO

ーー民謡や方言に馴染みがない若い世代も増えてきているように思います。どのように次世代につなげていきたいと考えていますか?

民謡や方言は、その土地に暮らす人々の思いや生活の知恵が反映された素晴らしい伝統文化です。

民謡の魅力は、地方ごとの景色や文化、方言がそのまま歌になっていること。そして、歌い継がれていくことで人々の思いも込もっていることだと思います。そんな民謡に触れることで、その土地に興味をもてたり、魅力を知ることができたりと、音楽と人々の大きなパワーが感じられるんです。

例えば、初めて行った場所でも『花笠音頭』のおはやしを一緒に歌ってもらうだけで、急に会場が一体化したりするんですよ。これはきっと民謡のパワーなんだなと感じることは多いです。 

それに、地方を訪れたときに現地の人が方言で話してくれると、違う土地に来たことを実感できてなんだか嬉しくなるんです。私自身も方言を隠すことはないですし、自然に出てきた山形弁を、さまざまな表現に反映していけたらいいなと思っています。

山形は私を育ててくれた大好きで大切な場所です。民謡を歌い続け、方言を話し続けていくことで、微力ながら「山形はいいところなんだよ」ということも伝えていきたいですね。

朝倉さやさん初のオールタイム・ベスト「Honten~Best Dazu~」
「Honten~Best Dazu~」
朝倉さやさん初のオールタイム・ベストが2024年8月14日に発売予定。「ほんてん」は山形弁で「本当に」の意味。民謡を現代風に生まれ変わらせるFuture Traxを始め、J-POPの山形弁カバーや涙を誘うオリジナル曲を多数収録。
心のローカル
OTEMOTO
著者
難波寛彦
大学卒業後、新卒で外資系アパレル企業に入社。2016年に入社した編集プロダクションで、ファッション誌のウェブ版の編集に携わる。2018年にハースト・デジタル・ジャパン入社し、Harper's BAZAAR Japan digital編集部在籍時には、アート・カルチャー、ダイバーシティ、サステナビリティに関する企画などを担当。2023年7月ハリズリー入社。最近の関心ごとは、学校教育、地方創生。
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