「ハーバードを出ていないなら諦めろ」その言葉に唇を噛んだ女性起業家が語る、"できない"からこそできたこと

難波寛彦

2000年、共同創業者の諏訪光洋さんとともに株式会社ロフトワークを設立した林千晶さん。当時は起業そのもののハードルが高く、まして女性が大規模の会社を率いるという前例は極めて少ない時代でした。幾多の苦難を乗り越えてきたこれまでを振り返り、林さんが現代の起業家たちに伝えたいこととは。

女性起業家として、経営の最前線を走り続けてきた林千晶さん。

2000年、共同創業者の諏訪光洋さんとともに、クリエイティブカンパニーの株式会社ロフトワークを設立。2022年に同社の会長を退任して以降はその後の動向が注目されていましたが、2022年9月には日建設計とロフトワークとともに立ち上げた新会社、Q0(キューゼロ)の代表取締役社長に就任しています。

ロフトワークの創業前まで、共同通信のニューヨーク支局に勤めていた林さん。当時感じていたのは、「デザイン」というワードが広く浸透している一方で、「クリエイティブ」や「クリエイター」というワードが今ほど一般的ではありませんでした。そこで思い描いたのは、発想する人たちも視野に入れた、クリエイティブが流通し世の中を豊かにしていく事業。その実現のため、2000年にロフトワークを共同創業します。

「今でこそ、国や自治体がクリエイティブ産業やクリエイターを後押ししていますが、当時は全くそういった雰囲気ではありませんでした。そんな時代背景もあり、会社設立から2、3年ほどはとても苦労しましたね。とはいえ、ロフトワークがクリエイティブという領域を広げたひとつのファクターになれたのかもしれないと考えると、あの時に思い切って起業して良かったなと思います」

林千晶さん
写真:加藤甫 写真提供: Loftwork Inc.

組織のトップとして会社を牽引し続けている林さんですが、ロフトワークを創業した2000年頃は、”起業”そのもののハードルが高かった時代だと振り返ります。

「三木谷浩史さんの楽天や南場智子さんのDeNAなど、いわゆるベンチャー企業が設立され始めている時代でした。そのため、出資してくれる投資家を探して話をすると『ハーバード・ビジネス・スクール(HBS、米ハーバード大学の経営大学院)でMBAを取得しているか?』と聞かれたんです。私がHBSのMBAを持っていないとわかると、『だったら起業は諦めなさい』と一言。そんな時代でしたね」

当時の日本における起業は、一握りのエリートがするものだったと林さんは振り返ります。

「当時はニューヨークで働いていたのですが、アメリカではHBSを出ていないと起業ができないなんてことはありませんでした。さまざまな人が、いろいろなアイディアを形にして起業していたんです。ところが、そのスタンスで帰ってきたら、日本は全くそんな雰囲気ではなかった。『こんなにも違うんだ…』と感じたことを今でも覚えています」

林千晶さん
林 千晶(はやし・ちあき)/株式会社Q0代表取締役社長
早稲田大学商学部、ボストン大学大学院ジャーナリズム学科卒。花王を経て、2000年に株式会社ロフトワークを起業、2022年まで代表取締役・会長を務める。退任後、「地方と都市の新たな関係性をつくる」ことを目的とし、2022年9月9日に株式会社Q0を設立。秋田・富山などの地域を拠点において、地元企業や創造的なリーダーとのコラボレーションやプロジェクトを企画・実装し、時代を代表するような「継承される地域」のデザインの創造を目指す。主な経歴に、グッドデザイン賞審査委員、経済産業省 産業構造審議会、「産業競争力とデザインを考える研究会」など。森林再生とものづくりを通じて地域産業創出を目指す、株式会社飛騨の森でクマは踊る(通称:ヒダクマ)取締役会長も務める。

写真:西田香織

女性起業家ゆえの苦悩

2022年に日本政策金融公庫・総合研究所がまとめた「2022年度新規開業実態調査」によると、新規開業者に占める女性の割合は24.8%と、1991年の調査開始以来過去最高の割合に。起業自体のハードルも下がり、近年は続々と新規事業も誕生していますが、林さんが起業した2000年前後は特に女性起業家のロールモデルも少ない時代でした。

「女性起業家が全くいなかったわけではありませんが、男性と比べると事業規模が格段に小さかった。数百万円稼げればいい方という小規模の事業が多く、『女性も男性と同じくらいの規模の事業ができる』という雰囲気はなかったように感じますね」

「女性が起業しづらいという雰囲気は、今でも少なからず続いていると思います。女性が気づかないうちにサポート役に回ってしまうような、ある意味で独自の文化のような感覚がまだ日本には残っているのではないでしょうか。だからこそ、私が若い世代のために変えていく力になれたらいいなと思っています」

全てが得意じゃなくたっていい

そんな林さんが、経営における考え方として大切にしているのは「オープン」にすること。

「実は私、いろんなことが”できない”人間なんです。PCやスマホの操作は遅いですし、例えば食事に出かけるときにすぐにGoogleなどで調べ、オンライン予約するといったことも苦手。会社を経営するうえで大切な、ROI(投資利益率)やROE(自己資本利益率)といった指標群についても決して得意ではありません」

「でも、人が心から楽しむための仕組みづくりや、常識にとらわれない発想をするといったことは得意。そんな私が代表取締役を22年間も続けることができたわけなので、経営者もそれぞれでいいんだなと。むしろ、得手不得手をオープンにして、互いに補い合うことが大切だと思っているんです」

数値分析ができ、ITにも詳しく、AIに関する知識も豊富…日本では、経営のトップに立つ人物像を、無意識のうちに「優れた人でなければいけない」と思ってしまっていると林さんは指摘します。

林千晶さん
写真提供: Loftwork Inc.

「オールマイティで優れた人じゃなくても、それぞれの強みを活かして経営トップになることができる。それこそが真のダイバーシティではないでしょうか。それぞれに違いがあって、その違いが力になり、大きな活動になっていく。全てが得意じゃなくてもいいと思っているんです」

「多くの会社は、経営者をトップとするピラミッド型です。あれもこれもできるという人がトップに立つという既存の形じゃなくても、会社経営はできるのではないか。そう考えてつくった実験的な会社が、ドーナツ型のつながりを軸にしたロフトワークでした」

人とつながるからこそできること

林さんが言う「ドーナツ型のつながり」とは、たとえ一人ひとりの強みがなかったとしても、それぞれが人とつながることで何かが生まれる関係性だといいます。

「多くの人は、『夢や目標という問いに対する答えは自身のなかにある』という考えにとらわれてしまっています。でも、そんなことはありません。自分の中をいくら探しても見つからなかったことが、他人との出会いを通して生まれることがあるからです」

「例えば、何かが得意な人と出会ったら、それを生かして自分が発想したことが実現できるかもしれない。自分ひとりでは何もできないけれど、さまざまな人とつながることで『あの人とはこうしたい、あの人とはこれができそう』という風にできることが広がり、360度でできることが増えていきます。そして、気がついたら小さなドーナツがつながり、大きな輪のようになっている。私はそんなドーナツ型のつながりを大切にしていて、経営においても理想としている形なんです」

【後編】東京のスーパーに並ぶ牛肉も、元はどこかで生きていた牛たち。目指すのは、地方からも都市へアプローチする新たな関係性

著者
難波寛彦
大学卒業後、新卒で外資系アパレル企業に入社。2016年に入社した編集プロダクションで、ファッション誌のウェブ版の編集に携わる。2018年にハースト・デジタル・ジャパン入社し、Harper's BAZAAR Japan digital編集部在籍時には、アート・カルチャー、ダイバーシティ、サステナビリティに関する企画などを担当。2023年7月ハリズリー入社。最近の関心ごとは、学校教育、地方創生。
SHARE