追い詰められたコロナ禍を経て見つけた、新たな「ホーム」。陶芸作家・竹口要さんが新天地で挑むものづくり

難波寛彦

信楽焼で知られる、滋賀県甲賀市出身の陶芸作家の竹口要さん。ヨーロッパのアンティーク食器を思わせるユニークな作品を手がける竹口さんは、2023年に工房を兵庫県加東市に移転させました。その背景にあったのは、コロナ禍がもたらした急激な変化。滋賀、そして兵庫への思いとともに、竹口さんが移住先で挑む新たなものづくりに迫ります。

鉄や真鍮製のヨーロッパのアンティーク食器を思わせる、レトロな独特の風合いが特徴のカップやプレート…。実はこれ、陶器なんです。

写真提供:竹口要さん

「小学校の授業で焼き物づくりがあり、父に連れられて作品を見学に行ったりと、こどもの頃から陶器は身近な存在でした」

作陶しているのは、信楽焼で知られる滋賀県甲賀市出身の竹口要さん。甲賀市信楽が日本で指折りの陶器の産地ということもあり、竹口さんにとって陶器は幼少期から身近なものだったといいます。

その後、高校卒業を控え進路に悩んでいたという竹口さん。絵を描くことが好きだったためデザインの道に進むことも考えていましたが、近所の方のアドバイスをきっかけに作陶の道へと進むこととなります。

「近所のおばちゃんに、『陶芸をタダ同然で教えてくれるところがあるよ』と教えてもらったんです。当時はまだやりたいことが決まっていなかったということもあり、滋賀県窯業試験場(現:滋賀県工業技術総合センター)に通うことになりました」

本当に良いものをつくりたい

実際に、窯業試験場でかかった費用のほとんどは材料費。こうして窯業の技術を身につけることができた竹口さんは、岐阜県の作陶家に弟子入りしたのち、陶器を製造する会社に勤めます。

「実際に陶器を製造する部門で働いていたのですが、その後体調を崩し入院なども経験しました。そうした状況のなか、自分が決まった枠のなかでものづくりをしていたことに気づいたんです。やはり、作家として自分が本当に良いと思う作品をつくりたい。そんな気持ちが高まり、そのタイミングで独立することを決めました」

ことうヘムスロイド村にあった工房
写真提供:竹口要さん

2014年、竹口さんが作陶の舞台として選んだのは、東近江市の「ことうヘムスロイド村」。旧湖東町の姉妹都市がスウェーデン・レトビック市だったことから、スウェーデン語で「手工芸」を意味する「ヘムスロイド」と名付けられた緑豊かなこの場所に、kobakoという名の工房を構えます。

「元々、ブリキ缶のような箱を集めるなど、レトロでアンティークなものが好きだったんです。当初は工房がコンテナ風だったこともあり、kobakoと名付けました」

独立後は、試行錯誤を繰り返しながら、クラフトマーケットなどへの出品も行っていたという竹口さん。長野県松本市で開催されている「クラフトフェアまつもと」、千葉県市川市で開催されている「工房からの風」などへの出品をきっかけに、関東などへも徐々に販路を広げていくことになります。

その過程で生まれたのが、アンティーク食器を思わせる独特の風合いが特徴の、砂金釉薬を使った作品。なかでも、絶妙なサイズ感とユニークなフォルムが特徴的なカップの「ラトン」シリーズは、竹口さんの代表作のひとつです。

「ラトン」シリーズ
写真提供:竹口要さん

「私自身がヨーロッパのアンティークものが好きだったこともあり、釉薬で鉄や真鍮の錆を表現できないかと考えました。本場の食器の特徴は踏襲しつつも、日本の食卓に合うサイズ感や、口が当たる部分は薄くしつつ本体は程よい厚みにするなど、細かな部分にもこだわってつくっている作品です」

釉薬の特性もあり、使い込んでいくうちに色が濃くなるなど、質感の変化も楽しめる砂金釉薬を使った作品。各地で評判を呼んだことで、竹口さんの作陶状況にも大きな変化をもたらし、「ラトン」をつくる機会も増えていったといいます。

コロナ禍での急激な変化

人気を博したことで納品までに数年待ちとなったものもあり、一時は受注を取りやめていたという竹口さん。こうした状況のなかで迎えることになったのが、2020年から始まったコロナ禍でした。外出自粛が呼びかけられ、多くの人が自宅で過ごす「おうち時間」を楽しむようになったことで、竹口さんの状況も一変します。

「実店舗での販売がしづらい環境のなか、取り扱ってくださっている販売店さんのウェブサイト上でウェブ個展を開催することになりました。そうすると、作品が飛ぶように売れたんです。おうち時間需要の影響もあり、特にカップやプレートは本当に信じられないほど売れました」

竹口要(たけぐち・かなめ)/ 陶芸作家
1994年滋賀県立信楽窯業試験場修了後、岐阜県土岐市 岸本謙仁先生に4年間弟子入り・
(株)羅工房陶器部門勤務を経て、2004年滋賀県甲賀市にて独立。2014年ことうヘムスロイド村に工房を増設。2023年兵庫県に工房を移設。

一聞すると、困難な状況のなかでの好機と捉えることもできる予想外の特需。ところが、このことが竹口さんを思わぬ窮地に陥れることになります。

「作品が数多く売れたため個展や企画展での返品がなくなり、手元に在庫を持つことができなくなったんです。一から作陶する必要に迫られたため、制作にかける時間も増え、急に忙しくなってしまいました。それまでは二か月に一度程度は休めていたのですが、一年を通して全く休めないという状況が続きましたね。

また、工房があることうヘムスロイド村は人が自由に立ち入れる公園のような場所だったこともあり、密になる屋内を避けて昼夜問わず人が集まるようになりました。急に多忙になってしまったこと、そして、作品づくりに集中できる環境ではなくなったことで、精神的にも追い詰められていきました」

新たなホームで挑むものづくり

現在、竹口さんが工房を構えているのは、滋賀から少し離れた兵庫県加東市。作品づくりをサポートしてくれている妻の薫さんとの移住にあわせ、2023年に工房もこの地に移転させました。

​​現在の工房
写真提供:竹口要さん

「コロナ禍以前から次の工房の場所を探してはいたのですが、作陶に集中できない状況が続いたことが決定打になりました。とにかく、追われる生活から抜け出したかったんです。私にとっても妻にとっても所縁があるわけではありませんが、妻が提案してくれた候補地のなかで実際に見学に行きピンときたのがこの場所。街から離れご近所付き合いを頻繁にする場所もないので、私のように不規則な仕事をしていても住みやすそう、ということも決め手のひとつでした」

滋賀を離れた現在でも、使っているのは信楽の土。竹口さん独自の調合を行っているという材料は、作陶を始めた頃から変わっていないといいます。

写真提供:竹口要さん

「信楽焼に触れ、作陶を学んだ滋賀は、まさに自分をつくってくれた場所。その思いは今でも変わりません。こちらに移り住んでからは、ぼーっとする時間もでき、作品ひとつひとつにかける時間も長くなりました。今後どうなっていくかは分かりませんが、作陶する環境によって作風が無意識に変化することもあります。そういった意味では、私にとって兵庫は今後が楽しみな場所。徐々に、自分の新しい"ホーム"になっていったらいいですね」

著者
難波寛彦
大学卒業後、新卒で外資系アパレル企業に入社。2016年に入社した編集プロダクションで、ファッション誌のウェブ版の編集に携わる。2018年にハースト・デジタル・ジャパン入社し、Harper's BAZAAR Japan digital編集部在籍時には、アート・カルチャー、ダイバーシティ、サステナビリティに関する企画などを担当。2023年7月ハリズリー入社。最近の関心ごとは、学校教育、地方創生。
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