信号待ちの間すら仮眠していた母。ネクタイ工場3代目が継いだ「全員が職人であれ」の意味

小林明子

岡山県北部の小さな町にあるネクタイ縫製工場が2022年、にわかに注目を集めました。「笏本縫製」の3代目代表に就任した笏本達宏さんは、SNSやメディアを通して積極的に情報発信しています。自らも職人として入社した達宏さんは「社員全員が職人であれ」と呼びかけます。その理由を聞きました。

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笏本縫製は1968年、僕の祖母が近所の女性とはじめた内職所として、自宅の一室で創業しました。その後、母が継いで法人化。近くの工場に仕事場を移しました。

工場の一角に風呂があり、僕が風呂あがりに裸で駆け回っていると職人さんたちに笑われるようなアットホームな職場でした。僕のおむつを替えてくれた職人さんもいます。

笏本達宏さん
祖母と母が仕事をしている間、工場の中で過ごしていた笏本達宏さん
提供写真

2006年にネクタイを主とした縫製に舵を切り、僕は2008年に入社しました。高校卒業後は美容師になるために働きながら通信で学んで免許を取得したのですが、母が体調不良となり、家業を手伝ううちに継ぐことを決心したのです。

代表の僕もネクタイ職人です。ECサイトの運営や営業、経理や事務を担当している社員も、縫製との兼務、もしくは縫製の知識があります。僕を含め「全員が職人であれ」と社員には言っています。

笏本達宏さん
笏本達宏(しゃくもと・たつひろ) / 株式会社笏本縫製代表
1987年、岡山県生まれ。高校卒業後、働きながら通信課程で美容師免許を取得。母の体調不良で家業を手伝うようになり、2008年に笏本縫製入社。2015年、自社ブランド「SHAKUNONE(笏の音)」をスタート。2021年1月、3代目代表に就任
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誰でも代われるように

いまは僕を含めて社員は14人。うち12人が女性です。育児や介護をしている人もおり、産休と育休を2回取得して復職した職人もいます。

地方には子育てしながら働きやすい職場がたくさんあるわけではありません。子どもが急に病気になったら他の人にシフトを代わってもらわなければならない仕事だと続けづらいという声も聞きます。その点、うちは長く働いてくれる職人が多いです。

もともと祖母が近所の人と始めたという経緯や、母は僕と妹2人をひとりで育ててきたことから、「子どもの行事があるなら参加してきなよ」「おばあちゃんの病院にお見舞いに行ってきたら」とお互いさまの精神でずっとやってきました。

誰にでも事情はあるのだから仕事よりそちらを優先していい。その代わり、他の誰かに事情があるときはみんなでカバーしようねというのがうちのやり方です。

笏本縫製
1968年の創業当初、祖母は近所の人とボタン付けなど縫製全般の内職をしていた
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その考え方が根本にあるので、「この人にしかできない作業」というボトルネックをつくってしまうと、その人が休むと作業がそこで止まってしまいます。そのせいで出荷が間に合わないと、お客様にも迷惑をかけてしまうことになります。

ネクタイづくりには、布を裁断する、ミシンでゆがみなく縫う、ステッチを縫う、プレスする、箱詰めするなど複数の工程があり、職人それぞれに得意な作業、不得意な作業があります。それでも、全員が作業者であること、しかも複数の作業ができる状態であることを、母の代から基本にしています。

万一、新型コロナウイルスやインフルエンザなど感染症が拡大したとしても、製造工程に穴を開けないためのリスクヘッジでもあります。この体制は、職人の休みやすさにもつながっています。

次の人の作業のために

「全員が職人であれ」というのと同じくらい「全員が審査員であれ」とも言っています。

特に、自分の前の工程を担当した人の仕事を疑ってかかること。どれだけ仲がよくても、長い付き合いだとしても、この人は失敗しないからと高をくくってチェックをおざなりにすると、そこからミスが生まれます。逆にミスを早めに発見できると、最終的な検査でひっかからないので大きなやり直しにはなりません。工程がスムーズに進むと作業効率が上がり、品質も上がります。

さらに言うと、次の人が作業しやすくなるように布や商品をきれいに並べることも徹底しています。ものづくり以前のことだと思われるかもしれませんし、商品の品質に直接的には影響しないかもしれません。

子どもの頃にやった学校の給食当番と同じですよね。お盆にごはん、味噌汁、おかず、牛乳の順番に置くときに、味噌汁を真ん中に置く人がいると、大皿のおかずをどこに置けばいいの?と次の人が混乱し、列が乱れて時間がかかります。

商品を出荷するときにきっちり詰めて荷崩れしないようにするのは当たり前ですし、同じ箱の中に2種類の商品を入れるなら上下段にわけること、箱の中に何が入っているかを外側に明記しておくことも基本中の基本です。こんな、あえて言わないような当たり前のことを、徹底的に確実にしておくんです。

われわれ経営陣は、経営やマーケティングの文脈で広い視野をもって仕事をしていますが、工場の中で作業に集中している職人にとっては、いつ注文してくださるかもわからない、遠くにいる顔の見えないお客様のことに思いを馳せるのは、実はとても難しいことなんです。

だからこそ、次に作業する人が「おかげで作業しやすかった」と思えることがお互いにやりがいになります。ひとつ前の人、次の人、次の次の人のことを思いながらいい仕事をしていく。その積み重ねが最終的にはいいものづくりにつながり、お客様のためになるはずです。

笏本縫製
縫製工場では作業を分担しつつ、誰もが代わりに作業できる体制にしている
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価格の決定権を委ねない

長らく受託生産(OEM)の仕事が主流でしたが、2015年9月にネクタイの自社ブランド「SHAKUNONE(笏の音)」を立ち上げました。

職人からもお客さまの顔が見え、声が聞こえる状態になり、自分たちの商品はちゃんとお客様に喜んでいただけるものなんだとわかったタイミングで、生産量が10〜15%落ちました。お客様によりよい商品をお届けしたいという思いが作業に表れ、良くも悪くも一時的に効率が悪くなったのです。

いまは慣れてきて自社ブランドの生産量も安定し、売上は受託生産と自社ブランドが2:8の割合になりました。

そこで、思い切ってやめたことがあります。

取引先に「この仕事、なんぼ?」と聞くことです。聞くのではなく「この仕事、なんぼです。」とこちらの意思を伝えるようにしました。相手に選択権はありますが、価格の決定権を委ねないことにしたのです。

それまでは、例えば「この仕事を1000円でお願いします」と言われたときに、「1500円もらわないと割に合わないんだけどな」と思っても、「いや1000円しか出せないから」と言われたら「じゃあそれでいいです」と受けるしかありませんでした。

同業者さんを横目で見て、「あそこは20円値上げ交渉ができたらしい」「ならうちは同じか、値上げは10円にとどめるか」と、どんぐりの背比べをしていました。10円の差でうちが受注できたとしても、つくればつくるほど赤字なので職人に還元できない。そんなひどい状態がまかり通っていました。

僕の祖母と母も、生活のためにずっとそうやって仕事を請け負っていました。

働き詰めなのにもうからない

僕が小学4年のときに両親が離婚し、祖母と母、僕と妹2人の5人暮らしになりました。

アニメ「クレヨンしんちゃん」を観ると、夕方お父さんが帰ってきて家族でご飯を食べているのに、うちはおばあちゃんが用意してくれたご飯をきょうだいだけで食べて、お母さんは帰ってこない。

友達からは家族旅行や休日に遊びに行った話を聞くけれど、それどころか母とまともな会話をする時間さえありませんでした。

高校生のとき、部活の朝練や試合の日に朝4時とか5時に母を起こして、車で送ってもらっていたんですね。母と会話するといえばその車内くらいでしたが、信号で止まった途端に母が「青になったら起こして」と言い、ギアをパーキングに入れてサイドブレーキを引くんです。十数秒だけ寝て、青になったらまたドライブに入れて走るみたいな。働き詰めで寝ていなくて、帰り道が心配でしたね。

あれだけ長時間、いろいろな犠牲を払ってまで働いているのに、もうからない。子どもの頃はそんな家業を「ダサい」と感じていましたし、経済的な不安もありました。高校卒業後に進学せず美容師の道に進んだのは、家計を支えるためでもありました。

笏本縫製
大量の縫製作業を請け負って働き詰めだった祖母たち
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家業を継ぐとなったときに、自分に家族ができたら同じような思いはさせたくないと感じました。かといって、母のやってきたことが「不正解」になるのは絶対に嫌だったんですよ。「今までの努力は意味がなかった」なんて周りから言われたくありませんでした。

僕がもし起業して別の会社をつくって家業に近いことをするなら、母のやってきたことを否定して新しい方針を立てればよかったのかもしれません。

でも、事業を承継してこの会社でやると決めたわけですから、母のやり方をまず肯定することから始めたんです。肯定したうえで、改善できるところは改善していこうと。母のやってきたことを「正解」にしてやろうという意地みたいなものもありました。

今までなら「1000円で」と言われたら「はい」としか言えなかったものを、「1500円です」とこちらが言う。「それでは無理です」と言われたらそこで終わり。祖母や母、職人たちは、そう言えるだけ価値のある仕事をしてきたんだということを示したかったんです。

職人は、探すのではなく育てる

とはいえ正直なところ、職人に満足してもらえるような給料や待遇まではまだできていません。高齢の職人のために工場の階段の勾配を緩やかにしたり、トイレなどを使いやすくしたりしたいとも常々思っており、これからの課題です。

縫製の職人は、うちのような小さな町工場にとってはとても貴重な存在です。おそらく大手アパレル企業にとってもそうだと思います。

「外注はするな」「職人は、探すのではなく育てろ」。これも母からの教えです。たとえ素人からだろうとお金や時間がかかろうと、必ず工場の中でものづくりを完結できるだけの職人を育てないとダメだ、と。

母が10年前からそう言い続けてきた結果が、今日も変わらずネクタイをつくり続けることができている、いまの笏本縫製の姿なんです。

縫製の工程を切り出して熟練の内職さんに低単価で外注するのはよくあることで、コスト面では企業努力と言えるのかもしれません。でも母は「外注に頼り切ったものづくりをしていると、10年後にものづくりができなくなる」と再三、言ってきました。

縫製はオフシーズンには発注が減りますから、内職さんはコンビニや物流センターにアルバイトに行って、そっちのほうが時給が高ければ、食べていくために技術を捨ててしまいます。ハイシーズンにいざ発注しようとしても、「もう内職はやめたので」と言われてしまうと、ものはつくれないし、技術も継承されません。

周りを見渡すと、外注できる内職さんがいなくなって商品がつくれなくなった工場がたくさんあります。昔は量産できていたのに、内職さんが減ったり高齢になったりして生産量が半減したという話も聞きます。

うちは10年前から外注はしない方針で、お金も時間もかかりましたが工場の中で職人を育ててきました。生産がピークになる時期には人手不足で困ることもありますが、ものがつくれなくて困ったことはありません。

外注をすべて否定するつもりはありませんが、うちが10年前に外注頼みにしていたら、自社ブランドの運営はできていなかったはずだと強く思います。

「職人は探すのではなく育てろ」「全員が職人であれ」。これが、母から僕が受け継いだ、ものづくりを長く続けるための挑戦です。

笏本縫製
2015年に立ち上げた自社ブランド「SHAKUNONE(笏の音)」
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なので、笏本縫製はものづくりの会社ではありますが、ブランド企業ではないんです。われわれの原点はあくまでファクトリー(工場)なんですね。卓越した技術やこだわりをもつ職人がいるわけではなく、全員がゼロから技術を学び、複数の作業ができる工場なんです。

もともと受託生産だったところから自社ブランドを立ち上げたので、「ファクトリーブランド」と呼ばれますが、僕がやりたいのはどちらかというと「ブランドファクトリー」です。この違い、伝わりますでしょうか。つまり職人がつくった商品を、より多くの人に実用的に使ってもらいたいという思いがあります。

自社ブランドのネクタイは、1本1万1000円。ブランドの付加価値をつけた価格にはしていません。日常的に使いたい、何かの記念にほしい、大切な人に結んでほしいといったシーンで買うのを躊躇するような価格にはしたくなかったからです。

ただ、この自社ブランドのおかげで笏本縫製は、倒産の危機を乗り越えることができたのです。

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連載「職人の手もと」
OTEMOTO
著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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