祖父は"カリスマ百姓"だった。乳業メーカー3代目が「牛乳屋をやめる」と宣言する理由

小林明子

1978年、全国に先駆けてパスチャライズ(低温殺菌)の牛乳を流通させた島根県雲南市の木次乳業。本州では珍しい放牧の酪農や、飼料の自給自足にも取り組んでいます。安全安心な牛乳づくりにとことんこだわったうえで、3代目はあえて「僕たちは"牛乳屋"じゃなくていい」と宣言します。その背景には、この地で慕われた創業者の思いがありました。

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ひとり何役もこなす「百姓」

島根県の東部、神話の世界を彷彿とさせる建物や自然が残る雲南市の周辺では、あちこちで必ず耳にする名前があります。

「忠吉さん」。日本の有機農業の草分けで、「食育」や「スローフード」という言葉が生まれる前から食の安全を追求し続けた木次乳業の創業者、佐藤忠吉さん。2023年9月に103歳で他界しました。

木次乳業
日本の本州では珍しい放牧に取り組む「ダムの見える牧場」
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

忠吉さんは1953年に仲間とともに酪農を始め、1955年に牛乳の販売を開始。1962年に木次乳業有限会社を設立しました。この頃、学校給食に牛乳を導入するよう働きかけ、旧大原郡木次町の学校で脱脂粉乳が牛乳に切り替わりました。

木次乳業
低温殺菌の「木次パスチャライズ牛乳」は全国の高級スーパーなどに出荷されている
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

1978年には、全国に先駆けて低温殺菌牛乳「パスチャライズ牛乳」の流通を実現しました。生乳本来の風味や栄養分を損ねないよう、65度で30分間の加熱殺菌をした牛乳です。

忠吉さんは有機農業や地産地消にも先駆的に取り組み、ワイナリーの奥出雲葡萄園やカフェなど食を通じた地域おこしの拠点「食の杜(もり)」の開設にも貢献しました。

木次乳業
木次乳業
広大な敷地にぶどう畑やワイナリー、「庭カフェ」(右)がある「食の杜」
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

1996年に息子の貞之さんに社長を交代してからも、相談役として地域自給の取り組みを続け、雲南市の名誉市民となった忠吉さん。2021年に3代目社長に就任した孫の佐藤毅史さんは、こう振り返ります。

「忠吉は、名刺の肩書に『百姓』と明記していました。社長である時も、相談役である時も、『百姓』の肩書を外すことはありませんでした」

そして毅史さんは続けます。

「忠吉の言う『百姓』は、『農家』とは違うんですよ」

木次乳業
収穫を終えたぶどう畑
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

「昔は限られた生活圏の中で、ひとり何役もこなす人がいたからこそ、暮らしが成り立ってきました。作物をつくるには農業だけでなく土木や大工もやらなければいけないし、栄養学や天文学を知ることも必要です。自給自足のため食品加工もしますし、ときには民間療法を取り入れるなど医学の知識も役に立ったでしょう」

「それらの役割は時代とともに専業化して今に至りますが、農業を中心にありとあらゆる知識や技術をもった人が地域共同体の健やかな暮らしを支えた時代があったんですね。忠吉が目指していたのは、そうやって地域をつないで再生させる『百姓』の役割だったのだと思います」

木次乳業
木次乳業3代目社長の佐藤毅史さん
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

小さな村の暮らしを支える

毅史さんにとって祖父の記憶は、ほとんど自宅におらず、海外に出向いたり、日登牧場で乳搾りをしたり、奥出雲葡萄園で地域の人たちと交流したりする姿でした。

「僕もいずれ家業を継ぐものだと思っていましたが、いざ社長に就任するとなると、ただ敷かれたレールを歩んできただけの自分は何をしなければいけないのか、何をやりたいのかと途方に暮れました。忠吉の孫だと言われる重圧あって祖父や父には頼れず、知り合いの経営者に相談しながら、忠吉が考えてきたことを僕なりに解釈していきました」

木次乳業
すべて手作業で進められるチーズづくり
木次乳業
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

そんな毅史さんは2021年の社長就任挨拶で「牛乳屋にとどまらない」という強いメッセージを述べました。日々、安心安全な牛乳や加工品をつくるために情熱をかけている従業員たちに「牛乳づくりをやめるぞ」と過激な話をしたこともあります。

あえて強い言葉を使うのは、忠吉さんが目指した「百姓」の役割に立ち戻るべきだという思いがあるからです。

「祖父が始めた小さな会社を、2代目の父が全国規模に拡大しました。ただし、そもそもの『百姓』の目的は、小さな村の暮らしを支えることです。仕事で関わる人たちや地域の人たち、そして自分たちの暮らしを健やかにするために仕事をするのであって、大きな牛乳屋をつくるためではないということを改めて伝えたいんです」

木次乳業
牛の種類や牧場ごとに乳を管理している
木次乳業
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

牛乳配達は最後の砦

なぜ、いま再び小さな村の暮らしに目を向けるのでしょうか。毅史さんは、祖父や父の代よりさらに加速している過疎化や高齢化を危惧しています。雲南市と奥出雲町の人口はここ50年間で減り続けており、高齢化率も4割を超えました。

「山間部の集落では物流がままならなくなっています。若い世代は町に買い物に出られますが、車を運転できない高齢者にとっては宅配や近所の小さな商店が頼みの綱なんです」

木次乳業
赤いワックスコートを施した「イズモ・ラ・ルージュ」
Akiko Kobayashi / OTEMOTO
木次乳業
ナチュラルチーズと地域で獲れた猪のソーセージを使ったピザ
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

もともと牛乳は宅配が主流だったものの、世帯単位や店単位の注文数が減ったいま、個人宅や小さな商店に配達するのは決して効率がよいとはいえません。

「ビジネスとしては取引をやめる選択が正解なのでしょうが、僕たちがやめると地域の暮らしが寂しいものになってしまいます」

「逆にそうならないように、僕たちが配達車を走らせ、他の商品も一緒に乗せることができれば物流のインフラとしての役割を担えるかもしれない。もちろん収益性も大事ですが、地域の暮らしを守るという使命を考えると、もはや牛乳屋という枠にとどまっていてはいけないのではないでしょうか」

木次乳業
UターンやIターンの従業員や関係者も多い木次乳業。「まずは働く人たちと家族の健やかな暮らしを守りたい」(毅史さん)
木次乳業
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ほかにも、地域起こしにつながる加工品の提案や、老廃牛や廃鶏の再利用、地域の人たちの雇用促進など、暮らしを豊かにするために無数の方法がある、と毅史さんは話します。

「都会にある企業とは違い、地域にある企業だからこそ私たちは成り立っているし、地域のためにできることもあります。この地域に企業がある意味を考え続けていきたい」

生活道路のすぐ近くで乳牛がのびのびと過ごしている放牧の風景は、つくる人と食べる人、企業と住民の距離の近さを象徴しているようでした。

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心のローカル
OTEMOTO
著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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