「なんで干物はダサいのか?」 東京から出雲に戻った3代目夫婦が、老舗に起こした革命

小林明子

出雲大社のお膝元である島根県出雲市で創業58年となる老舗干物店「渡すい」こと渡邊水産。不漁や消費者の魚離れ、後継者不在など「魚業界にはいいニュースが何もない」という現状に直面しています。そんな逆境において干物の新概念を広めようと奮闘しているのが、3代目の岩田響子さんと竜平さん夫妻です。

渡邊水産
岩田響子さんと竜平さんは、渡邊水産の3代目。夫婦で役割分担して家業を切り盛りする
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

幼い頃から、祖父母と両親が忙しく働く姿を見てきた岩田響子さん。愛媛県で船長をしていた祖父が1965年に創業した渡邊水産は、山陰沖で獲れた新鮮な魚を干物に加工して販売しています。響子さんたち4人きょうだいも、学校から帰ると自宅の隣の加工場での出荷作業の手伝いが待ち受けていました。

干したカマス一尾一尾にセロハンを巻いて個包装し、発泡スチロールの箱に並べて、スタッフと家族が総動員で運送会社のトラックに積み込むのが毎日の作業でした。

「その日につくったものを出荷に間に合わせるために、こどもだけでなく運送会社のお兄さんにまで手伝ってもらう始末でした。祖父母も父母もいつも『忙しい。お金がない。つぶれる』しか言わないし、こんなリスクが高い干物屋なんて絶対やりたくないと思っていました」

きょうだい4人、誰も家業を継ぐ気はありませんでした。祖父母も、2代目となった両親も期待しておらず、いずれは事業を譲渡するのも仕方ないと考えていたといいます。

渡邊水産
脂ののったアジを新鮮なうちに手でさばいていく
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

「干物ってなんですか?

響子さんは高校卒業後に上京。創業間もない食材宅配サービス会社に入社しましたが、激務で体調を崩し、3年ほどで退職。実家に戻り、再び家業を手伝うようになりました。

企業で働いた後に再び家業に目を向けると、「業務改善」の視点で気づくことがたくさんありました。

「加工場には冷凍庫がいくつもあり『あっちにアジがあったかも』と探し回ったり、『このアジは"中"かな』と魚のサイズを目分量で決めたりと、在庫管理ができておらず効率が悪かったんです。清掃や資材の発注などでも改善すべきことばかりでした」

渡邊水産
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

働いていたスタッフは響子さんより年上のベテランばかりでしたが、まずは掃除を実行しました。不要品を捨て、空けたスペースを使って資材をまとめて管理するという基本的なことから業務を改善していきました。

響子さんはそのまま渡邊水産に入社したものの、3代目として家業を継ぐ気にまではなれなかったといいます。干物の味には自信がありましたが、どうしても拭えないイメージがありました。

「なんで干物はダサくて古臭いんだろう」

祖父母や両親のような過酷な働き方はしたくないという思い。さらにその頃、店頭を訪れた30代の男性が漏らした言葉にも衝撃を受けました。

「干物ってなんですか?」

渡邊水産
写真提供:渡邊水産

美しいのはうちの干物だった

水産庁の水産白書によると、魚介類の年間消費量は減少傾向で、2020年度は1人あたり23.4キロと、ピークだった2001年度の58%に落ち込みました。要因は、価格の高さや調理の手間、食の志向の変化とされています。

「魚離れについてバイヤーさんから聞いてはいましたが、直接聞いたときはショックでしたね。若い世代に知ってもらわないと、干物なんて簡単に消え去ってしまうだろうと」

創業者の祖父がおいしい干物をつくり、2代目の父はBtoBの販路を開拓し、取り扱う魚の種類を拡大しました。響子さんは3代目として「最終ランナーにはなりたくない。ちゃんと中継ぎをしたい」と、消費者に向けて干物の魅力を伝える役割を担うことを決意します。

響子さんは渡すいの干物を「美人干物」とネーミングし、SNSなどで発信を始めました。魚を食べることで健康や美容に効果があると知ってもらえたら、贈答用ではなく日常的に干物を食べてもらえるようになるだろうと考えたからです。

それでも、すぐに干物が受け入れられたわけではありませんでした。

「もうダメだ、何もできない、と毎日苦しくて苦しくてたまりませんでした」

くじけそうになりながらもがむしゃらに試行錯誤を続けていたら、意外な反応がありました。いつも買ってくれている身近なお客さんに「あなたのところの干物はきれいよね」と言われたのです。

「当たり前すぎて気づかなかったんですが、たしかにうちの干物は美しいんです。なぜ美しいかというと、手間をかけて丁寧に加工しているからです」

渡邊水産
機械と手で3回にわたってウロコの処理をしたササガレイ
Akiko Kobayashi / OTEMOTO
渡邊水産

手作業で開くため頭がついたままの渡すいの干物は、パタンと閉じると海で泳いでいる魚そのままの形。職人が最適な水分量を見極めながら乾燥させるため、解凍しても水分(ドリップと呼ばれる旨味成分)が出づらく、ふっくらしたまま。皮が網にこびりつかず、短時間で焼けるため身は白く骨離れがいいのも特徴です。

健康や美容効果をうたうまでもなく、干物そのものが美しい。そう気づいた響子さんは、自社の干物の魅力を語ったり、写真や映像でより美しく表現したりするのが楽しみになり、継ぐことも前向きに考えるようになりました。

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干物にも惚れた夫が社長に

さらに響子さんを後押ししたのは、高校の同級生だった岩田竜平さんとの結婚でした。

東京でデザイン家具の会社に勤めていた竜平さんは、地元に戻って公務員試験を受けようかと考えていた矢先、響子さんの思いにふれ、結婚と同時に渡邊水産への入社を決意しました。

「もともと僕も干物屋に対しては、朝早いし魚臭いし大変だというイメージしかなかったんです。でも純粋に渡すいの干物はおいしかったので、せっかくいいものをつくっているんだから自分にできることがあるんじゃないかと思い立ちました」(竜平さん)

いまは響子さんがBtoC部門で発信を担当し、取締役の竜平さんは管理部長として工場のマネジメントをしています。2024年度以降、母で常務の美和子さん、父で社長の一さんが順に退任し、竜平さんが3代目の社長に就任して代替わりをする予定です。響子さんのきょうだいも税理士、DXアドバイザー、社員としてそれぞれ家業を手伝っています。

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渡邊水産の3代目の岩田竜平さん、響子さんと、2代目の渡邊美和子さん、一さん(左から)
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

老舗が入り口を広げていく

響子さんも竜平さんも干物職人ではないため、2代目の一さんまで継承されてきた製造のノウハウの引き継ぎは課題として残ります。時代に合わせた葛藤もあります。

例えば、手作業で魚を開くこだわりについて。

響子さんは「職人が並んで魚を開く風景をずっと残したい」と望んでいますが、竜平さんは「人手不足でも干物をつくり続けるためには、機械開きも視野に入れるべきかもしれない」と話します。

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一斉にアジを開く作業をはじめる渡邊水産の職人たち
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

しかし「干物のおいしさを広めたい」という根本的な考え方は共通しています。

2人の夢は、いつか漁船を持つこと。それは干物づくりに携わる人を守りたいからでもあります。山陰沖でも不漁が続く中、雇用契約があれば漁師さんの生活を保障でき、新鮮な魚を仕入れ続けられるからです。

職人の技や知恵だけに頼るのではなく、持続可能な仕組みを整えていく。竜平さんはこれを「家業から企業へ」と表現します。

響子さんはこう話します。

「老舗だからといってお高くとまるのは違うと感じます。すでに干物を食べる習慣がない家庭も多い中で、グリルがなくてもフライパンで調理できる方法を伝えたり、パンに合う食べ方を紹介したり、キャンプで干物バーベキューを提案したり。まずはこちらから入り口を広げていく必要があると思っています」

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夫婦としても仕事のパートナーとしても、夢を語り合う竜平さんと響子さん
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

2人には、ニューヨークで「干物バー」を開くという夢もあります。干物をクールな日本の食文化として確立させ、逆輸入するという発想です。

「海外の人に日本の文化ってクールだねと褒められるのはうれしいけど、ちょっとモヤモヤしてしまいます」と響子さん。

醤油、味噌、漬物、和菓子......食品業界で家業を継いだ同年代とは、「自分たちが会社を畳む代かな」とネガティブな話題ばかりになるといいます。

「うちの会社だけを生き延びさせたいわけじゃなくて、業界を盛り上げたいし、逆境にある日本の食文化を守りたい。私たち日本人が自分たちの文化ってかっこいいと思えるように、若い人に伝える挑戦を続けていきたいです」

響子さんが提案する干物の新概念は、魚は「高い、臭い、面倒」 魚離れを突破する、驚くべき干物レシピがあった で紹介しています。

特集
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著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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