経営は「なで肩」の自然体で。奄美の黒糖焼酎を世界と未来につなぐ4代目

太田瑞穂

「黒糖焼酎」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。

ふわりと甘い香りのするお酒。鮮やかな奄美諸島の風景。風に揺れるさとうきび。ここまで連想できる人は、ごくわずかかもしれません。

でも、10年後には、きっと「黒糖焼酎といえば…」というイメージが次から次に浮かぶお酒になる。そんな希望を感じさせてくれるのが、奄美大島で創業96年となる西平酒造の4代目、西平せれなさんです。

西平せれなさん
西平せれな(にしひら・せれな) / 西平酒造株式会社代表・杜氏
鹿児島県奄美大島生まれ。東京でミュージシャンとして活動していた2014年、父が体調を崩したため帰郷。2021年10月、西平酒造の4代目代表に就任
西平酒造 提供

音楽活動から一転、家業に

せれなさんは1927年創業の酒蔵の蔵元にして、家族全員がミュージシャンという西平家に生まれました。セレナーデからつけられた「せれな」という名前や、上京して音楽大学へ進学した経歴からも、小さい頃から音楽に囲まれて育ったことがうかがえます。

「焼酎を造っている時の匂いはずっと覚えていた」ものの、家業への関わりは夏休みにラベル貼りを手伝う程度。実家近くの焼酎工場には足を踏み入れたこともありませんでした。

しかし、上京後に音楽活動をする傍ら、試飲会などのイベントを手伝い始め、「自分の家の焼酎を飲んでくれる人の反応を見て感情が動く」ようになりました。

2014年、3代目を務めていた父が体調を崩し、帰郷。そこで待っていたのは、経営が傾いた蔵をどうするかという家族会議でした。両親からは「自分のやりたいことをやりなさい」と伝えられたものの、「弟2人は東京でバンドに属していて動けないし、お酒に一番興味があるのは私だったから」という理由で家業に飛び込みました。

奄美大島
奄美大島には美しい海や亜熱帯雨林など手つかずの自然が残り、2021年には世界自然遺産に登録された
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

実際、蔵の状況は厳しいものでした。「でも、だからこそ、危機感を持って、色々なことを変えていかなきゃいけないと思えた」と振り返ります。

焼酎造りも蔵の経営も全てゼロからのスタート。定年間際だった杜氏さんに一から造り方を教わり、経営に関する業務も必死に勉強して覚えたそうです。そして、7年後の2021年に、正式に4代目に就任しました。

そこから、せれなさんは本領を発揮していきます。「経営が危なかったからこそ、何かを変えないといけないと思えた。それはある意味よかったのかもしれません」。豪胆にして爽快な数々の改革を明るくあっけらかんと語るその姿に、これからの焼酎業界はきっと面白くなる、と楽しみになりました。

奄美と世界を結ぶ古酒

せれなさんの様々な思いが凝縮されているのが、熟成酒「ましゅ」。奄美の隠された秘話をモチーフに、西平酒造に眠っている焼酎をリリースする「奄美秘伝(Hidden)シリーズ」の第一弾として、代替わりの際に発表されたお酒です。

「ましゅ」は、江戸時代に薩摩藩が招いたアイルランド人の土木技師トーマスの恋人で、奄美の島唄にも度々登場。鎖国時代にもかかわらず世界とつながりを持つことを恐れなかった、奄美に実在した女性です。黒糖焼酎も奄美と世界を結ぶ架け橋になってほしいとの願いを託し、せれなさんは蔵で眠っていた古酒に「ましゅ」の名を付けました。

ましゅ
奄美秘伝シリーズ第一弾の「ましゅ」。奄美と世界の架け橋になるよう願いを託し、50年前の黒糖焼酎に実在の女性の名前をつけてリリース
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50年前に奄美産の黒糖で造られたこの古酒は、樫樽やタンクでの熟成を経て、まろやかで深い味わいになっていました。奄美らしさを残しながら海外でも見栄えのするデザインの瓶とラベルでパッケージ。代替わりを祝してリリースした50本は、創業94年(発表当時)を記念して9万4000円の値段をつけました。定価では18万円で販売しています。

「宇宙一贅沢な液体なのに」

1000円前後の価格帯が大半を占める焼酎において、常識を覆す大胆な価格設定について聞くと、せれなさんは次のように語ってくれました。

「私はものすごく危機感を感じているんです。焼酎にも、黒糖焼酎にも。ここ10年20年このままだと、無くなってしまうというくらいの危機感を感じている。それを黒糖焼酎の蔵元たちが一番気づいていないんです」

黒糖焼酎は、奄美群島でしか造ることができないと法律で定められています。造っているのは26蔵のみで、焼酎のなかではわずか1.8%を占めるばかりの希少なお酒なのです。それにもかかわらず、価格を抑えるために人件費や原料費を削り、外国産の原料を使用することもありました。

せれなさんは焼酎造りを学び始めたころ、「手間暇かけてこんなに仕込んだのに、蒸留するとこれだけしかできないの?」と驚いたと言います。そして、「焼酎って宇宙一贅沢な液体なのに、なんでこんなに安いのだろう」と疑問を抱くようになりました。

「ましゅ」の価格は「蔵の創業94周年を記念して9万4000円」と、さらりと説明してくれたせれなさん。しかしそこには、焼酎に対する彼女の情熱や危機感、問題提起が詰まっているのです。

奄美が潤う仕組みをつくる

せれなさんに代替わりしてから、西平酒造では原材料を全て国産に切り替えています。黒糖は2022年から全て沖縄産、今年から一部は奄美産になりました。また、米も全て国産を使っています。

黒糖
黒糖はサトウキビの絞り汁を煮詰めたもの。黒糖焼酎の原材料となる
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地元にも関わらず、奄美産の黒糖は他の産地のものよりも高いため、原料として使う蔵は少数。それでも、「奄美産の黒糖を使うサイクルができれば、もっと地元産を使える状況になってくると思います」とせれなさんは希望を捨てません。

「今後、海外にもどんどん紹介していきたいのに、奄美でしか造れない黒糖焼酎の原材料が海外産なんて、それだけで冷めてしまうじゃないですか」

奄美産の黒糖で造った焼酎を適正価格で売り、奄美が潤う仕組みをつくる。これがせれなさんの目標であり、黒糖焼酎を未来につなげる唯一の道だと話してくれました。

ミュージシャンが造る黒糖焼酎

西平酒造
黒糖焼酎には欠かせない麹造り。好きな音楽を流して楽しみながら作業することもあるそう
西平酒造 提供

西平酒造は、働いている従業員の8割がミュージシャンというユニークな酒蔵です。焼酎は、データ解析をしながら「科学的に」造っているものの、「その時々の気候や環境条件、造り手によって少しずつ味わいが変化する作品と捉えている」そう。ライブの感覚にも似た感性は、ミュージシャンならではなのかもしれません。

働き方も、自分たちに合うように変えてきました。8人いる才能豊かな社員たちは、造り、営業、事務とマルチに仕事をこなしています。

西平酒造
西平酒造のメンバーの多くがミュージシャン。前列左から2番目がせれなさん
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一方で、自分が一番やりたいことをできる環境を整え、ライブやツアーでスタッフが1週間休むことも珍しくありません。「うちはめちゃくちゃ自由で、社員全員に生活を優先するように言っているんです」。誰かが休めば、残りの人がその分頑張る。それを全員が理解した上で会社を回しているそうです。

「私は就職も、就活すらもしたことがなくて、ちゃんとした会社には入れないタイプです。でも、世界を変えるのは難しいけど、会社だったら変えられる。みんながどう生きたいか、そのためには会社がどうあればいいかを考えるようにしています。そうしないと、自分が働いていけないからなんですけど(笑)」

主役というよりツールとして

せれなさんは、「すごく飲兵衛で、お酒そのものもですけど、それを飲む場とか、そこで広がる話、その時間が好き」と語ります。その一方で、社会的には若者の酒離れが進み、焼酎に限らず、酒造業界はどこも岐路に立たされています。

「奄美ではじゃんじゃん飲むという文化が根付いていて、蔵元としてそういう売り方をしていた時期もあったし、ちょっと前までは、自分で造っているのでお酒を主役にしたいというエゴもありました」

西平せれなさん
せれなさんは、ソーダ割りや冷凍庫でキンキンに冷やしたパーシャルショットが好きだそう
西平酒造 提供

しかし最近では「お酒というより、空間をつくるツールとしての楽しさを広めたい」と考えるようになりました。その一環として、スタッフ全員がミュージシャンである利点を生かし、「音楽付きの焼酎」を企画。「このボトルはこの音楽を聴きながら」というように、1杯のお酒とそれに伴う体験を味わう提案をしていく予定です。

みんなで頑張ろうという空気

黒糖焼酎がすでに飲酒文化に深く根付いている奄美でも、「じゃんじゃん飲むばかり」で、誰がどこで造っているのかは意外と知られていないそう。お酒を飲む年齢に達する前に若者が島を離れることも多く、学ぶタイミングを逸してしまうのもその一因です。

最近は、地域の学校に出向いて学生たちに黒糖焼酎について話す機会も増えてきました。「本来なら奄美の人たちが黒糖焼酎の一番の営業マンになれるはずなのに、現状はそうではない。やっぱり教育が大事だと思います」

地域文化のひとつとして、奄美の高校で黒糖焼酎について講演するせれなさん
西平酒造 提供

地元の人に知ってもらうだけでなく、業界内外での交流や情報交換も活発に行っています。26蔵ある黒糖焼酎蔵も、職人気質で「バチバチしていた」時代から、みんなで頑張ろうという空気に変化してきました。

せれなさんは、日本酒や焼酎の造り手が自ら情報発信し、業界を盛り上げることを目的にするJapan Sake Shochu Platform (JSP)にも唯一の黒糖焼酎蔵として所属。

「これまで日本酒ばかりが盛り上がっていて、焼酎は相手にされていないという思いがどこかにありました。日本酒の蔵と一緒にイベントをすることで新たな発見がたくさんある。それを黒糖焼酎の蔵に伝えています」

さらにイベントがあれば、西平酒造「音楽部」が演奏をすることも。様々な分野の人たちと交流し、情報を発信することで、黒糖焼酎の世界が広がっていきます。

西平せれなさん
焼酎造りと蔵の経営のかたわら、ミュージシャンとしても活動中
西平酒造 提供

造り手、経営者、音楽家

広い交流関係を持つ焼酎の造り手、経営者、そしてミュージシャン。せれなさんは、時期によって造り手モード、経営者モード、ミュージシャンモードを行き来しており、うまく切り替えながらこなしています。

加那
西平酒造の代表銘柄「加那(かな)」。奄美では、女性を呼ぶ際、名前のあとに「加那」をつけて親しみや愛情を表現するそう
西平酒造 提供

さらに、お酒の業界では少数派の女性でもあります。奄美の焼酎蔵では、女性の杜氏から始まった蔵はさほどめずらしくないそう。西平酒造の初代杜氏も曾祖母さんのトミさんでした。その理由は諸説あると前置きしながら、「全然仕事をしない南の男性もいますから、女性が支えるしかないんですよ」と笑いながら教えてくれました。

西平酒造のロゴも、女性のシルエット。代表銘柄「加那(かな)」のラベルに使っていたデザインに修正を加え、代替わりの時に正式に採用しました。女性の顔の輪郭はせれなさんの輪郭に似せ、肩は少しなで肩になっています。

西平酒造ロゴ
西平酒造のロゴは、「肩の力を抜いた」女性のシルエット
西平酒造 提供

西平せれなさん

修正のアイデアは、デザイナーさんが提案してくれたものでした。

「これまで女性たちは、男性に負けないように肩肘を張って頑張ってきました。でも、これからは肩の力を抜いて、自然体で、社会で輝けるように」と。

連載「職人の手もと」サイドバー2022
OTEMOTO
著者
太田瑞穂
ライター、翻訳&通訳。旅先でその土地の日常的な暮らしやそこに根付く文化を少しだけ体験するのが好き。
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