水より醤油が安いなんて...奥出雲の小さな醤油店が、大手メーカーに勝つ2つの戦略
スーパーの安売りの目玉商品として、ペットボトルの水より安く売られていることもある醤油。そんな価格競争とは一線を画し、昔ながらの木桶仕込みの製法で、国産丸大豆、国産小麦、地元の湧水を使って無添加の醤油をつくり続けている小さな醤油蔵があります。
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新しい年が明けたばかりの2024年1月6日、しんしんと冷え込む早朝に、今年の製麹(せいきく)が始まりました。島根県の山間部にある奥出雲町の森田醤油店では、この日から初夏まで100回あまり、麹づくりが繰り返されます。
「僕らは醤油をつくるのではなく、菌のはたらきを助けるだけ。従業員には『菌の気持ちになってみろ』とよく言っています」
こう話すのは、10代目社長の森田郁史さん。1903(明治36)年ごろに7代目が始めた醤油づくりを、いまも同じ製法で続けています。
大手は3日でできる量
日本醤油協会によると、日本の醤油メーカーは年々減っており、2022年は1055社。1955(昭和30)年の6分の1程度になっています。その中でも、森田醤油店のように麹から醤油をつくっているところは1割もないといわれています。
麹づくりは3日間にわたる作業です。蒸した大豆と炒った小麦に種麹を加え、麹室(こうじむろ)に入れるのが1日目。麹菌の繁殖の状態を見ながら撹拌する「手入れ」をするのが2日目。3日目に取り出し、また新たな麹を仕込みます。森田醤油店では2つある麹室で交互にこの作業を繰り返し、2023年は7月ごろまでに計119回、仕込みました。
麹室は高温多湿に保たれていますが、麹菌が自ら発熱して高温になりすぎたり、菌糸が伸びて塊になったりするため、空気を入れて麹をほぐす必要があります。このタイミングの見極めには「慣れだけでなくセンスも必要」と森田さん。「温度管理が気になるあまり、麹室の様子がわかる部屋で寝ていた時期もありました」
従業員14人のうち、麹の様子を見極めることができるのは、社長の郁史さん、息子の浩平さんともう1人だけ。この3人でおよそ半年間休みなく、醤油づくりのキモとなる麹の番を続けているのです。
「うちが半年かけて必死に回数をこなしてつくる麹の量は、大手メーカーなら1サイクルの3日間でできてしまう量。同じ販売価格でやることは不可能です。だから、大手にはできないことをしていくしかない」
そこで森田さんが目指したのは、「自分のこどもに安心して食べ続けさせたい」と思える商品を徹底して自らの手でつくることでした。
「醤油は食うな」
森田さんは物心ついた頃から、森田醤油店の後継ぎとして育てられました。「商売をする者に学歴は要らん」という父の反対を押し切り、「外の世界を見てみたい」と東京の大学に進学。このとき、百貨店の外商の運転手として高級住宅街を行き来したアルバイトの経験が、後になって醤油づくりに生きることになるのでした。
卒業後に地元に戻って目にしたのは、郊外型の大型スーパーで客引きの目玉商品として大手メーカーの醤油が安売りされている光景でした。
「ペットボトルの水が500ミリリットル100円で、その倍量の1リットルの醤油が同じ100円なんです。大豆を買って小麦を買って麹をつくってから熟成させているものが、なんで水より安いんだろう、とショックでした」
森田さんはトラックに醤油を積み、近隣の家庭や飲食店をくまなく訪問しました。売上は上がらず、「こんな営業をしていてもらちが明かない」と常に焦りがありました。さらに追い討ちをかけたのが、そこで聞いた農家の人たちの言葉でした。「醤油や味噌は食うなと言われている」。塩分の摂りすぎは高血圧のリスクがあるとして保健指導を受けたというのです。
この逆境に立ち向かうため、森田さんは二つの戦略を立てました。一つは、価格競争に乗らないため、原料にこだわった高価格帯の醤油をつくること。もう一つは、醤油の消費量が増えていくことはないだろうから、他の調味料もつくること。既存の商品で売上を担保しつつ、「夢をつかむための商品」を開発していくことにしたのです。
幻の「国産丸大豆」
当時は輸入大豆から油を除いた脱脂加工大豆を使うのが一般的で、森田醤油店も例外ではありませんでした。森田さんは大豆の旨味を引き出すため、国産の丸大豆を使うことにしました。試行錯誤を経て1989年、原材料が国産丸大豆、小麦、自然塩のみの「むらげの醤」が誕生。ところが、広島や岡山で売り出したところ、ある"事件"が起こります。
「突然、岡山の消費生活センターから電話がかかってきたんです。国産丸大豆という表現は輸入ものより国産のほうが優れているという優良誤認を引き起こすので、ラベルに書かないようにしろという指示でした。こんちくしょうと思いながら表記を変更したら、3年後に大手醤油メーカーが国産丸大豆醤油を出したんです。不可解な出来事でしたが、それだけ国産丸大豆醤油に注目が集まっていて、売れる兆しなんじゃないかと感じましたね」
また、醤油と両輪となる商品として、醤油をベースにしたぽん酢の開発にも着手しました。しかし、この開発にもおよそ3年を要します。醤油の原材料にはとことんこだわっていたにも関わらず、ぽん酢の原材料となるかつおだしを取り寄せたところ、そこにかつお以外の成分が入っていることがわかったからです。
「息子がよく工場で遊んでいたので試作品をなめさせることもあったんですが、あるとき『そんなに飲むなよ』と口をついて出たことがあって。安心して食べられる無添加の商品をつくろうとしてきたので、やはり自分は納得できないんだと気づきました。それまでの試作品がいいものだと思えなくなり、仕切り直したんです」
そこで森田さんが選んだ道は、だしを調達することをやめ、自らだしを抽出することでした。醤油メーカーでありながら、かつおと昆布を煮出す工程からぽん酢づくりをスタートさせたのです。
「自分が目指す100点満点の商品のためにはこの原材料しか使わないと決め、まずぽん酢のラベルをつくりました。でも、甘かったです。自分で煮出すだしの風味は市販品とはまったく別物で、なかなか味が決まらなくて。親父からは『できもせんのにラベルだけつくるなんて』とあきれられました」
何度も試作を繰り返し、およそ3年後にようやく、国産丸大豆醤油、自家製のだし、徳島県産の無添加の果汁を使った「手造りぽん酢」が完成しました。そして、醤油とぽん酢の二枚看板を引っ提げて、森田さんは東京に営業に向かいます。
「バイヤーって何?」
首都圏の高級スーパーなら、高価格帯の商品でも仕入れてくれるのではないかという直感がありました。大学時代の土地勘を頼りに、飛び込み営業をすることにしました。「298円」などと大きく値段が書かれた値引きチラシを配るスーパーではなく、産地や生産者や原材料の情報が丁寧に書かれたリーフレットが置いてあるような百貨店やスーパーにターゲットを絞りました。
「醤油とぽん酢の小瓶を20本ほどカバンに入れて、自作のパンフレットを手に店に向かいました。バックヤードに通されたらしめたもの。自信を持ってつくったものだから、とにかく必死で説明しました。営業しないと食っていけないという事情もありましたが」
港区青山の高級スーパーに行くと「ここはそういうところじゃない」と門前払いされそうになりました。「そういうところじゃないって、どういうところですか?」「バイヤーと話をして」「バイヤーって何ですか?」「いいからアポをとって」「アポって何ですか?」ーー田舎から出てきたばかりで何もわからないという体で教えてもらいつつ、少しずつ販路を開拓していきました。
生産量が3倍に
森田醤油店の商品は、雑誌の消費者ランキングや食材宅配業者からの商品開発依頼など、味や安全性が評価されたことで広まっていきました。
なかでも一度熟成させた醤油にさらに種麹を加える「再仕込み」の醤油は、3年間の熟成によって引き出された深い旨味が特徴で、刺身やステーキの味を引き立てるとして引き合いが絶えません。
「都心の高級ホテルや高層ビル最上階のレストランのテーブルに、ステーキ用の醤油として置かれているらしいです。僕は行ったことがないんですけどね」と森田さんは笑います。
全国的にはここ20年で醤油の出荷数量は減り続けていますが、森田醤油店では生産量が3倍に増えました。森田さんはその売上を設備投資に回しています。
醤油を熟成させる場所を確保するため、2010年に「湯ノ原工場」を新設。麹づくりにかける期間を短縮すれば職人が休めるようになるため、麹室を増やすことも検討しています。
奥出雲の小さな醤油メーカーだからできるやり方で従来の価格競争とは一線を画し、昔ながらの製法で醤油をつくり続けていく。そのためには道具にもこだわります。古い木桶をどうやって使い続けていくかという課題に取り組んでいます。