損保会社員、趣味のガラスが人生を変えた。造形で光を操る貴島雄太朗の世界

小林明子

ガラス作家の貴島雄太朗さんは、損保会社の会社員から転身した異色の経歴。しかも、吹きガラスと削り技法の両方を手がける数少ない作家です。「好き」と「楽しい」を仕事にして30年。広がり続ける表現の源泉を聞きました。

東京都練馬区の閑静な住宅地に「となりのトトロ」のサツキとメイの家を思わせるような、小さな森に囲まれた住宅と工房があります。1996年に生まれた「青樹舎硝子工房」。落ち着いた外観とは裏腹に、工房ではガラスを研磨する大きな音が響き、窯の中には灼熱の炎が燃えさかっています。

貴島雄太朗
貴島雄太朗さんが主宰する「青樹舎硝子工房」
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ここで朝6時から夜9時までガラスと向き合っているのが、貴島雄太朗さん。吹きガラスと削り技法の両方を手がける数少ないガラス作家のひとりです。作品を創作するだけでなく、企業からの注文製作、商品ウィンドウのデザインディスプレイ、吹きガラス教室など、活動は多岐にわたります。

そんな貴島さんがガラスと出会ったのは、20代のころ。サラリーマン時代に趣味で通い始めたガラス教室でした。

貴島雄太朗
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ガラスへの情熱で会社を辞めた

大学卒業後、損害保険会社に勤めていました。仕事に慣れてきた3、4年目の頃、作曲家をしていた父から「何か趣味をもちなさい」と言われたんです。いきなりそう言われても何をやればいいのかわからず、アイデアを求めたら「ガラスでもつくってみたら」と。

幼い頃からものをつくることは好きだったので、たまには親の言うことでも聞こうかと、東京ガラス工芸研究所の吹きガラス教室に通い始めました。

日曜日のレッスンだったので、参加者のほとんどは社会人でした。私のように趣味ではじめた人もいれば、すでに製作のキャリアがある人も。自己研鑽のために休日返上で来ていたガラス工場の若い職人さんもいました。

貴島雄太朗
貴島雄太朗(きじま・ゆうたろう) / ガラス作家、青樹舎硝子工房主宰
1964年、東京生まれ。明治大学商学部卒業。損害保険会社勤務のかたわら、東京ガラス工芸研究所で吹きガラスを始める。武蔵野美術大学スペースデザインコースを通信で卒業。1996年、青樹舎硝子工房を設立。作家活動、企業や個人の注文製作、商品ウィンドウデザインディスプレイ、表彰記念品など幅広く制作。工房では吹きガラス教室を開催している。
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

吹きガラスは最初からとても楽しくて、次第に「これは向いてるのかな」という自信が芽生えてきました。比較的すぐに作品ができて、他の人よりも上達が早かったんです。いい仲間にも巡り会えて、1、2年後には「ガラスが仕事になったらいいな」と思うようになりました。

とはいえ、会社員の仕事とガラスづくりはあまりにもかけ離れた世界でしたし、ガラスの仕事だけで食べていける見込みもありませんでした。許される時間の中で目一杯やろうと、教室での作品づくりに没頭していたら、どんどん本気になり、ガラスへの情熱のほうが勝ってしまったんです。

「これは天職かもしれない」。吹きガラスを習い始めて7年後の1996年に自宅の敷地内に工房をつくり、1999年に会社を辞めて専業になりました。

貴島雄太朗
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

展示会で気が滅入る

私は美術の勉強をしてきたわけではないので、常に試行錯誤の連続でした。ガラスは失敗しても割って溶かせばつくり直すことができますから、何度やり直したかわかりません。

つくった作品を発表する展示会は作家の晴れ舞台とされていますが、僕の場合は本当に気が滅入るんですよ。

正直に言うと、展示する作品すべてが自分が納得がいったものではないわけです。1週間も在廊していると、自信のない作品が並んでいる様子が否応なく目に入るので「ここはこうすればよかった」「今ならもっと工夫できたのに」とだんだんつらくなってくる。お客さんが来ない時間はずっと落ち込んでいました。

ただ、そうした展示会のおかげで、ひとつの作風を確立することができました。

2003年から毎年、東京大学の赤門前にあった「ギャラリー愚怜」(現在は閉鎖)で展示会をさせてもらっていました。そこは、光がほとんど入らない、黒とグレーの空間。どのようにガラスを展示するのが正解なのかと悩んだ末、限られた照明のもとでは、色をなるべく排除して光を生かすべきだと気づきました。そして、研磨の代表作である「削紋」シリーズが生まれました。

貴島雄太朗
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

「削紋」は、吹いて成形したガラスの表面をグラインダー(電動研磨機)で微妙に角度をつけながら磨き、鈍い輝きを放つ模様を生み出しています。半透明のすりガラス調で、見る角度によって光の反射の表情が変わります。

ガラス生地そのものを吹いてつくるので、きちんとした形にはなりません。そのシルエットを生かすには、切子のように幾何学的な模様を「細工」するのではなく、線ではなく面で「造形」するイメージのほうが、一体感のある作品ができあがります。

日常で使えるものを

貴島雄太朗
貴島さんの代表的な技法のシリーズ「削紋」
画像提供:TSUCHI-YA

ひとつの作風が決まると、今度はそれを極めていくことが楽しくなります。

使う人の手におさまりがよいグラスはどんなものか、手に取るのではなく少し距離のあるところから見つめる花器にはどんな存在感が求められるのか、高級レストランの料理人の創作イメージに応えるにはどうすればいいか。

つかい手のニーズに寄り添うことにも、楽しさを感じます。自分がつくりたいものを追求するだけでなく、外的要因によって製作に広がりが生まれることもまた、私の作風だと思っています。

貴島雄太朗
削紋 半円一輪挿し(鱗)
画像提供:TSUCHI-YA

そう考えるのは、私がもともとサラリーマンだったことも影響しています。取引先の事情が想像できますし、ビジネス感覚も叩きこまれています。鑑賞用の芸術品だけでなく、日常で使ってもらえる作品をつくらなければ、ガラスの魅力は広く伝わらないと考えています。

自分がガラスの道を目指すために苦労したからこそ、ガラス教室も30年やめずに続けています。ガラスは設備をそろえるのが大変なので、道半ばであきらめてしまう人も少なくありません。若いときに夢を見せてあげるきっかけをつくりたくて、生徒さんには設備を自由に使ってもらっています。

つくり手の楽しさは伝わる

貴島雄太朗
ガラス教室の生徒の作品を窯で焼き上げる
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

模様を削るときに、座標から0.1ミリもずらさないように全集中してストイックに取り組む作家さんもいますが、僕の場合は、YouTubeで好きなホラー映画を流したまま、ガラスの形に沿って模様を生み出すように磨いていくくらいがちょうどいい。たまに、集中しすぎて肝心なシーンを聞き逃したりすることもありますが。

貴島雄太朗
クリスタルガラスの透明感を確かめる
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

最近、素材をソーダガラスからクリスタルガラスに変更しました。チタンとバリウムが入っている新型クリスタルのため、透明度や屈折率が高いのです。大きな作品だと重くて研磨するのも大変ですが、より複雑な輝きに魅了されています。

楽しくて始めたガラスづくりが、今でも楽しくて楽しくて仕方がありません。だから、依頼を受けて思いがけないものづくりをすることも、若い人を応援することも、やめられません。

ガラスづくりは目と体力が勝負です。私は今年60歳になり、これからは、できることよりもできなくなることのほうが増えてくるでしょう。それでも、ずっと「楽しさ」を追い続けていきたい。つくり手が楽しんでいたら、つかい手にもきっと伝わるのではないかと思うからです。

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連載「職人の手もと」

著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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