なぜ遅刻したのか、聞いてくれる大人はいなかった。母と先生に怒鳴られた朝

田房永子

「だらしない!時間通りに来られなければ、社会でやっていけないっ!」。学生の頃、遅刻するたびに先生に怒鳴られていた、漫画家の田房永子さん。母親のせいで遅刻していたとは言い出せませんでした。令和の小学校の優しい指導を目の当たりにして、ふと感じました。あのときの遅刻指導は、何のためだったのだろう、と。


娘の通う公立小学校に用事があって行った時のことです。昭和生まれの私にはビックリな光景に出くわしました。

すでに授業が始まっている午前10時。小雨の中、1人で登校してきた2年生くらいの子を下駄箱で2人の先生が出迎えていたのです。

「よくがんばったねー! よく来たねー!」

大歓迎ムードです。

遅刻してきた児童を先生がねぎらい出迎える現場を、その後も2度ほど目撃しました。

遅刻のイラスト
Eiko Tabusa for OTEMOTO

娘に聞いてみると、遅刻しても優しく迎えてもらえるのは低学年で、雨が降っている日や、親が付き添えない状況の時に連絡を受けた先生が下駄箱で待っているとか、イレギュラーな対応ではあるそうです。

朝の校門では「あと3分で授業開始」という時にゆったり登校してくる児童に先生が「急いで!」と声をかけている、と言っていました。

昭和50年代生まれの私は、学校に遅刻しようもんなら脳天にゲンコツを力いっぱい振り落とされるような破裂系の叱られ方をした記憶ばかり。もしくは完全シカトに近い冷たい空気を浴びせられるような冷血系制裁という感じ。

もちろん登校時刻を守れないこっちが悪いのですが、実際、ものすごい剣幕で怒られたあの指導は適切だったのか、振り返ると疑問も残ります。

「社会でやっていけない」

私が通っていたのは、東京にある私立の中高一貫女子校。我が母校での遅刻指導は「今学期、遅刻が多かった人」が学期末に呼び出され、一つの教室で一斉に説教を受けるというものでした。

高校2〜3年の時、私もよくその遅刻指導に呼び出されていて、他の生徒もいつものメンバーでだいたい10人くらいだったと思います。

着席させられた10人に、50代の生活指導の男性教員1人が力いっぱいの大声で「お前たちはだらしがないっ!そんなんじゃ社会でやっていけないっっ!! 時間通りに来られないヤツはどこにも雇ってもらえるわけがないんだっっっ!!」と15分くらい怒鳴られるという遅刻指導です。

教員がどんなに顔を真っ赤にして怒鳴っても正直、「遅刻しないようにちゃんと来よう」と思ったことはありませんでした。

そこまでの気力がなかったからです。

朝の「お母さん劇場」

幼少期の頃から私の母はいわゆる過干渉で、中学生になってからは母が何かプチンとくることがあると、突然私の部屋に乱入してきて耳をつんざく大声で「お前はダメ人間だ!」「誰に学費を払ってもらってると思ってるんだ!」と罵倒してくるのが毎日のようにありました。聞かないようにしても聞こえてしまうし、私をののしる内容なのでつい「うるさい!」と反応してしまいます。

母は私がつかみかかるまで煽ってくるので取っ組み合いになります。激しくなり、これ以上はマズい、というタイミングになると母が唐突に、私が生まれた日のことや祖父母がどれだけ私を愛しているか、と「愛」を語り始めます。

母の中ではいつの間にか「突然ブチ切れて暴れ出したのは娘(私)」ということになっているので「こんなに暴れるなんて、おばあちゃんが悲しむわ」とさめざめ訴え始めます。

私は母から一方的に罵られてその理不尽に怒っていたはずなのに、自分が1人で暴れ出したんだっけ?と混乱に陥り、大好きな「おばあちゃん」というキーワードを出されると一気に罪悪感に包まれシューンと落ち込んでしまうのです。

そうなると母は聖母のような微笑みになり、「おばあちゃんもおじいちゃんも、みんな、みぃんな、永子ちゃんを愛しているのよ」と私をなぐさめるのでした。

母による唐突な激昂で開幕した「お母さん劇場」はそうやって私が悪者になる形で大団円を迎えます。

この、始まってしまったら1時間以上かかる劇場、いわゆる母の心の問題に付き合うための時間は週に何回もありました。

朝も家を出る時に母が絡んできてケンカになって揉み合ってから登校というのも日常茶飯事。

母には家でも外でも恥をかかされることが多く、ストレスフルで常に胃が痛くて保健室に胃腸薬をもらいに行き過ぎて「胃がんかもしれないからちゃんと検査を受けなさい!」と叱られ、検査を受けに行ったら十二指腸潰瘍でした。とにかく母から浴びせられる強いエネルギーによって疲弊している中高時代でした。

私以外の遅刻指導メンバーも、学校の勉強や活動には消極的で「パー券」を売ることに一生懸命なコギャルとか、中学の頃は厳しめの部活に入っていたけど高校ではいつも心ここにあらずな感じでボーッとしてる子とか、やっぱりなにかしらいろいろありそうな子たちでした。快活で学校の中心的な存在で優等生、っていう子はいなかった気がします。

理想を言ってしまえば、遅刻指導というものは本来「どうして遅刻してしまうのか?」と各生徒に事情を聞いたりすることだと思います。

「お前らみたいなだらしなくて自堕落な生徒はこの先、社会でもやっていけない!」という叱責は「はい、知ってます。親にも保健室の先生からも言われてます。自分でもそう思います」という感想しかないし、単なる呪いであり、なんの効果も生みません。

遅い時刻に仏頂面で登校してもテーマパークさながらに大歓迎される令和の小学生を「そんなに甘やかして大丈夫なのか」と心配する声も聞きます。確かに、甘すぎるのはよくないかもしれない。だけど、先生たちの冷ややかな対応の記憶ばかりの私は、先生から「よく来たね」と出迎えてもらえるのって、本当に素敵なことだなあと思います。

げた箱
写真はイメージ
Adobe Stock / Satoshi

校門で追い返される

私の母校では、遅刻してくる子を入れないように校門を閉めてしまうというのはありませんでしたが、ドラマではよく見ました。校門から入れないから学校の塀をみんなでよじ登って教室までダッシュして、号令に間に合う、とか。

実際、1990年に兵庫県の県立高校で、遅刻を取り締まるために登校門限時刻に校門を閉めようとした際、1人の高校生が挟まれ圧死した事件がありました。

その事件から、遅刻の取り締まりをゆるくしようという方向に社会の空気が変わったことは、当時小6だった私も感じました。

私と同年代の人からは「帰宅指導」「再登校指導」というものがあったという話も聞きます。

男子は丸刈りで女子はおかっぱなどの頭髪ルールを違反していたり、自転車のヘルメットを着用しなければいけないのにかぶらずに登校したりしたら、校門で追い返される「帰宅指導」。男子は先生が頭に手をパーで当てて、指から髪の毛がはみ出たらアウト、強制帰宅です。

指から1ミリ髪が出ていたら、その日の授業を受けられない。学校って一体なんでしょう、そんな根源的な疑問が湧いてきます。

この帰宅指導は今でもあって、公立中学プリントを提出日に忘れたら取りに帰らせられる学校もあると聞きます。 

しかし昨今は、発達障害について認知されるようになり、各生徒の特徴や家庭の事情に合わせた個別指導も進んでいるので、逆に生徒によって教師の対応の格差も生じているそう。それが「どうしてあの子は帰宅指導にならないんだ、ずるい」と生徒間の問題にも発展しているといいます。

さらに、親との関係に何かしらの問題があって遅刻しがちな生徒のことは、その問題を教師同士で把握している、という学校もあると聞きます。

昔は「遅刻してくるやつはクズ」前提の対応をしていれば〝よかった〟先生たちも、今は対応に手間がかかって本当に大変だろうなと思います。

あの頃の私が、先生に「何か事情があるのか?」と聞かれたところで、母の日々の横暴をどうにかできたわけではない。

ただ、そういった「何かあるのか?」と聞いてくれる姿勢がもしあの頃の先生たちにあったら、と思うだけで目頭が熱くなるくらい、あの頃の私はひとりぼっちで母の対応をしていたなあ、と思います。

だからやっぱり私は、生徒1人1人に合った対応をしようという傾向には大きく賛成の札を上げたくなります。10代の子どもが抱える何かを、1人の先生や大人が全て解決できるわけじゃない。だけど「この子に何が起きているのか」という視点を持っていることが大事なのではないでしょうか。

著者
田房永子
漫画家 / エッセイスト。1978年東京生まれ。代表作は過干渉な母親との確執、葛藤を描いたコミックエッセイ「母がしんどい」、家族にヒステリックにキレてしまう加害をやめる方法を記した「キレる私をやめたい」。小学生と保育園児の母。
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