学生のとき、なぜ運動を続けられなかったのだろう。体育が苦手だった私のみじめな記憶

田房永子

学生の頃、体育や運動部の活動は「選ばれし者」だけが輝ける時間でした。体育が苦手で部活も続けられなかったという漫画家の田房永子さんは最近になって、身体を動かすこと自体は嫌いではなかったのだと気づきます。あのとき、運動を続けられなかったのはなぜなのかをエッセイで振り返ってもらいました。


小学生の頃から体育が苦手でした。

走っても投げても飛んでもクラスで最下位。キックベースはルールが理解できなくて3塁に走って男子にブチ切れられたり、マラソンの授業は「みんなが走り終わったら教室に戻れる」という謎のルールがあり、いつも私がビリでみんなを待たせる重責を負うので本当にやりたくなかった。みじめな思いばかりする科目でした。

中学生になると、母から毎日「運動部に入りなさい」と言われるようになりました。何かに打ち込んでほしかったのでしょう。しかし運動部は朝練も放課後もバリバリやらなきゃいけない。入る気になんてなりませんでした。

しかし夏のこと。私は遠泳を経験したことで、泳ぐ楽しさに目覚めました。臨海学校の、海での遠泳。そのためのプール練習や、海での本番がすごく楽しかったのです。泳ぎ切った時の爽快さも、それまでスポーツで達成感を持ったことがない心身には衝撃的なものでした。

氷砂糖で馬力が出る

遠泳は「安全に完泳」が目的なので、先生が生徒それぞれの能力をしっかり見極めて、同じくらいのスピードで泳げる子たちを細かくグループ分けしてくれました。学年200名いて、8名ずつくらいだったので、20以上のグループがありました。あまり泳げない生徒には短めの距離を設定し、無理のないようにそれぞれのコースを綿密に組む。それに沿って何度も練習し、途中で先生が「やっぱりキミはこっちのグループだ」と変更したりと微調整もあります。

体育に自信のある生徒は「自分はもっと上のグループのはずだ」と先生に訴えていました。先生は「海では絶対に無理をしてはいけない」というルールのもと、その生徒の「スピードはあるけど持久力に不安がある」などの特徴を説明して説得していました。

当日は、それぞれのグループの速さを競わせるのではなく、安全に完泳できることを目標に先生も一緒に泳いでくれます。疲れてくると、ボートの上から励ます先生が氷砂糖を口に入れてくれてそれがすっごく美味しくて、また馬力が出てくるんです。先生と一緒にゴールしたあと食べたスイカが史上最高に美味しかった。

田房永子さんイラスト
Eiko Tabusa for OTEMOTO

「遠泳の楽しさ」を知った私は、母から「運動部、運動部」と言われ続けていたこともあって、水泳部に入部を決めました。水泳部は朝練がなく週2~3回放課後に出ればいいだけで、私にもできそうでした。

水泳部の顧問は「好きな生徒と嫌いな生徒への態度の違いがハッキリしている」と噂のT先生でした。私以外の部員はすごいスピードで泳げる子ばかりだったので、T先生は私に興味がなさそうでした。部員の中に気の合う子もいなかったので私は隅っこにいました。大会に出た時も私の泳ぎがあまりにも遅すぎて誰も見てなくて閉会式の準備が始まってるくらいの勢いでした。

場違いだったけど在籍し続けました。遠泳が楽しかったから、その楽しさを水泳部で体感できるだろうと考えていたのです。それがほぼ不可能(そういう場所じゃない)ということが、13歳の時には分からなかった。ただ「遠泳楽しい+お母さん毎日うるさい=水泳部入部」だったのでした。

今なら「遠泳の楽しさ」は「スピードを競う大会を目標にした水泳部」では得られないということが分かります。遠泳では先生たちの徹底的な寄り添いと生徒同士を競わせることでなく個人の能力に合った指導があったから、私はあの時すごく楽しく貴重な体験ができたんです。

先生は私にウンザリしている

プールサイドにいる顧問のT先生は、いつも私には何も言ってこなくて他の部員たちとキャッキャしていました。

ある日のこと。珍しくT先生が私のところへ歩いてきました。そしてプールの中で立っている私の耳元に顔を近づけてボソッとこう言いました。

「1人でゆっくり泳いでいいから」

「あ、はいッ」と元気に返答してまた泳ぎ始めたけど、なんだか体が硬く重くなっていくように感じました。誤解されやすい先生だけど、きっと泳ぎの遅い私を励ますために言ったんだ。そう思おうとしても、やっぱりその言い方の冷たさは「先生は私にウンザリしている」と捉えるほうがしっくりきました。

それまで大会でみっともない泳ぎをしてしまっても、ハッキリ感じないようにしていた「みじめでつらい」という感情を誤魔化せなくなり、そのあとすぐ水泳部は辞めてしまいました。

文化祭で起きた事件

そのまま体育嫌いが加速して部活からも遠ざかっていましたが、高校に入ってから卓球の面白さに目覚め、卓球部に入りました。

ここでも私はとにかく激弱でした。大会に出ても瞬殺で負けます。11-0が当たり前。

だけどラリーが大好きだったんです。顧問のK先生は優しくて教え方が上手で、気の合う友達もいたのでとても楽しい部活生活を過ごしていました。

しかし文化祭で事件が起こります。

校舎の隅っこに卓球用体育館があり、文化祭では、そこで来訪者も卓球を体験できる卓球部の催しをやるのが通例でした。私が在籍していた年もやることになりました。

でも当日、わざわざ卓球をしにくるお客さんはほとんどいません。当番の数名の卓球部員が制服姿でのんびりラリーをやっているのみで、体育館周辺もシーンとしています。

その体育館では専用シューズを履かなければいけない決まりがありました。本当はダメだけど、荷物を取りにいくだけとかの時はみんな上履きのまま入ることがありました。

3日間ある文化祭のうちの2日目、私は仲良しの部員と2人で当番をしていました。文化祭が終わったので、上履きのまま駆け足で体育館内に入り、荷物を取って帰る準備をしていた時。

卓球部とは関係ない先生が、外からこちらを見ているのに気づきました。

体育館と卓球
写真はイメージです
Adobe Stock / Seiko M

学校の中で最も高圧的で圧倒的な「怒」のオーラを放つ、激こわい最恐の鬼先生です。運動部の目立つグループの生徒だけは「実は優しい」と支持する、だけどそんなの関係なくただただ恐い体育の先生、がなぜかそこに立っていたのです。

専用シューズを履かなきゃいけない体育館の床に上履きで立っている時に、鬼先生と目が合う。一瞬で尻の穴が縮み上がり、冷たいものが背骨をつたい昇り上がってきて、私の全ての内蔵を凍らせました。隣にいる仲良しの部員も完全に硬直していることが察知できました。

鬼先生は瞬間的に激昂。耳を破壊するレベルのものすごい声量の怒号で私たちをなじりながら、ペナルティとして「卓球部の催しの中止」を言い渡しました。

私も友達もパニックになり、鬼先生を追いかけて泣きながら「中止だけは許してください」と懇願し、でも鬼先生は「中止」の一点張りで一瞥もくれませんでした。卓球部の顧問のK先生のところに飛んでいくと、顧問もちょっと怒っている感じで、楽しくて優しい先生を怒らせてしまったことがつらくて悲しくて、そして他の部員の最終日の出し物を無しにさせてしまったことが申し訳なくて、2人ともこの世の終わりみたいな気持ちで何も話すことができず、帰宅しました。

私たち2人は仲がよかったけど卓球部の他の部員とはそんなでもなかったので、次の日謝罪に回ったけど「ん~、まあいいよ~......」みたいな感じでした。

上履きで入った私たちを今生許すことはないかの如く怒り散らしていた体育の鬼先生はその後、私たち2人の前にも卓球部にも現れることはなく、ただ顧問経由で「中止の取り消しはない」ということだけを伝えてきました。

鬼先生は何を伝えたかったのか

部員も顧問もその後、私たちを責めないでいてくれました。優しかった。だけど私と友達は居づらくて仕方なくなり、2人で退部することにしました。顧問は「君たちが辞めることないよ」と言ってくれたけど、ショボーン......としたまま辞めました。

運動が得意な人たちからの「ついて来られないやつはいらない」というメッセージを感じ続けながらもやっと見つけた楽しいスポーツだったのに、結局本筋とは関係ないところで退部する自分がひたすら情けなかったです。

上履きに関しては違反した私たちがもちろん100%悪いけれど、鬼先生は私たちが部活を辞めることを望んでいたのだろうか。鬼先生にとっては、私たちが辞めるのは当たり前のことだったのだろうか。鬼先生は一体何を伝えたかったのだろうか。という疑問はいまだに浮かんでしまいます。卓球部を辞めたあの時のことを思い出すと、つらくて悲しい気持ちでいっぱいになる。

もし母校で「あの時の先生の気持ちを聞ける会」みたいなものが開催されたら私は間違いなく参加します。先生に疑問をぶつけたいわけじゃなくて、あの時できなかった先生との対話がしたいです。

選ばれし者でない人の体育

そんなこんなでそれ以来、卓球や他のスポーツをすることもないまま大人になりました。ところが中年になると「健康のために日常的に運動をしろ」ってとにかく言われるようになります。

健康診断では「週にどのくらい運動するか、何をしてるか」を絶対聞かれるし、テレビからもネットからもとにかく「運動しましょう」が流れ、運動をしている人はそのことをSNSで元気よく発信するので、それを見せられてまた「やらなきゃ、運動やらなきゃ」って思う。

「日常的に理科の実験をしましょう。週3回が理想です」とか「生活の中で図工を習慣化しましょう」とか言われることはありません。だけど、運動だけはものすごく言われる。

つまり学校の授業の中で「体育」だけは生涯を通じて行うものなわけですよね。習慣づけるべきもの。なのに、他の科目よりも異常なほどに厳しく、足が速いとか遠くまで投げられるとか「選ばれし者」だけが圧倒的に目をかけてもらえる世界。

「人と比べて速いか、うまいか」という相対的評価が軸になっていて、その価値観で構成されている。そこに合わない人は部外者となる。

他の科目なら大人になっても部外者のままでOKだけど、体育だけは「自分に合った運動、楽しく続けられるスポーツがなんなのか」という絶対的な視点を自力で持たなければいけなくなります。体育が苦手だった人、部活で一体あれはなんだったのかよく分からないという体験がある者は、その視点を持つところまで戻るのも過酷です。

中学生のときに遠泳が楽しかったのは、私は自分のペースでゆっくり泳ぐことが好きだからだったんだ、とようやくわかりました。水泳部を退部してから30年後、昨年のことです。

「『自分のペースでゆっくり泳ぐ』を日常的にやっています」と言うと、医師や看護師、整体師に褒められます。中学生の時は、部活の中で「自分のペースでゆっくり泳ぐ」のはみっともないことだったのに。あの頃、学校で「絶対的視点での体育の指導」があったらよかったのになあと思ってしまうことがあります。

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著者
田房永子
漫画家 / エッセイスト。1978年東京生まれ。代表作は過干渉な母親との確執、葛藤を描いたコミックエッセイ「母がしんどい」、家族にヒステリックにキレてしまう加害をやめる方法を記した「キレる私をやめたい」。小学生と保育園児の母。
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