都会のこどもが過疎地の古民家にきたら、近所から野菜が届いた。「あてにしない」から起こる"豊かさの循環"
生まれ育ったまちのために何かしたい。そう思ってはいても、働き方や子育ての事情から踏み出せない人もいます。完全に移住しなくても、二拠点生活や起業に挑戦することはできるのか。頼りたい人と頼られたい人、挑戦したい人と応援したい人が関わり合える島根県雲南市の取り組みに、ヒントがありました。
「自分の住む村は人が少なくなっていく一方なので、将来は自分が何か貢献しなければ、この村はなくなってしまう。幼い頃からそう思っていました」
島根県雲南市(旧吉田村)出身の会社員、岩田翔平さんは話します。
鳥取県に次いで日本で2番目に人口が少ない島根県。約3人に1人が65歳以上の高齢者である一方、出生数は減少傾向で、少子高齢化が進んでいます。国立社会保障・人口問題研究所が2023年にまとめた「日本の地域別将来推計人口」によると、2050年の県内人口は2020年の約7割となり、50万人を割る見通しです。
なかでも人口減少率が大きいのが中山間地域です。岩田さんが生まれ育った雲南市の2050年の人口は、2020年時点からほぼ半減すると推計されています。
都市と地方を行き来する
岩田さんは中学卒業後、松江市の高校に通い、大学進学で島根県を離れました。東京で就職、結婚。転職してIT企業で働くようになって6年、忙しい日常から離れるように地方や離島に旅行することが増えました。
「人工物に囲まれた街でハイスピードで走り続けていると、ふと自然を求めて旅をしたくなります。都会で働くのとは違う暮らし方もあるんじゃないか。そういえば自分は田舎の出身だったな、と」
そうして再び、生まれ育った雲南市に思いを馳せるようになりました。
地元ワイナリーの奥出雲葡萄園で興味のあったワインづくりの修行をしたり、UターンやIターンで起業した人たちと情報交換したりするため、休暇を取って二拠点生活をスタート。島根出身ではない妻も地域づくりのための連続講座「しまコトアカデミー」を受講するなど、雲南での暮らしに関心を持っています。
「都市と地方には異なるおもしろさがあるので、どちらの良さも取り入れたい。双方を行き来してつなぐ役割を担うことができれば、新しいかたちで地元に貢献できるのではないかと思っています」
地域の人がこどもを預かる
ただ、働き方を調整できたとしても、気になるのは3人のこどものことでした。2023年11月に3週間の滞在を決めたときには、仕事がある妻と小学生の長女は東京に残り、未就学の2人は雲南に連れて行くことにしました。
岩田さんがそう決断できたのは、株式会社CNC(元Community Nurse Company株式会社)が運営する子育てコミュニティ「地域まるごと子育て縁」が雲南市にあったからです。地域の人たちが古くから集ってきた瓦葺きの古民家で、地域の人たちと関わりながら、一時的にこどもを預かってもらうことができるのです。
岩田さんは3週間の滞在中、保育園の一時預かり保育に加えて、「地域まるごと子育て縁」を利用しました。
「こどもたちは初日からなじみ、日々知らない人と関わっては仲良くなるので、活動レポートを妻と読むのが毎日楽しみでした。3週間の間にこどももたくましくなったように見えました」
岩田さんが葡萄園で作業をしていると、散歩にきたこどもたちに「パパ!」と声をかけられるなど、距離の近さも安心につながったといいます。
米や野菜が届けられる
「地域まるごと子育て縁」を運営するCNCは「コミュニティナーシング(おせっかい)」を提唱しています。地域看護の実践から着想したコンセプトで、自治体や企業との連携により全国に拡大。活動は医療分野にとどまらず、子育てやまちづくりなどシームレスな活動に発展しています。
「地域まるごと子育て縁」の発端は、新型コロナウイルスの感染が広がり、全国一斉休校になった2020年3月でした。
学童保育が利用できなくなり、こどもたちが安全に過ごす場所がないことを知った住民たちが、一時預かりを始めました。休校期間中の集まりを「みそ汁学校」と名付け、近所の人たちの力を借り、遊んだり勉強を見合ったりして過ごしました。そのうち米や野菜や醤油を届ける住民が現れ、集まった人たちみんなでメニューを考えて昼食をつくりました。
この体験がきっかけとなり、ボランティアとして関わっていた学生2人が保育士資格などを取得し、2022年10月に地域交流型の預かり保育として事業化。地域の人たちとの関わりを続けながら、岩田さんのように市外在住の人が一時的にこどもを預けたいというニーズにも対応しています。
拠点としている古民家は、急な階段や土間があり、温度や湿度の変化が大きいため、保育施設としては不向きともいえます。食事も地域の人たちが提供するなど、一般的な保育園とは環境が異なります。
地域まるごと子育て縁マネージャー(取材当時)の有路登志紀さんはこう話します。
「日常にある危険はこどもにとっては学びの機会でもあります。ここにはその危険も含めた環境でこどもを育てたいという人たちが集まり、その思いに共感する人がこどもを預けています。人と人とが頼り頼られる、有機的な関わりを最も大切にしています」
頼るための「余白」
有路さんは、こうした性質のプロジェクトに地域の人たちが関わりやすくするためには「余白」が重要だといいます。
例えば給食は、基本的にはスタッフが調理する手はずになっており、献立も決まっています。それでも地域の人から手伝いの申し出があれば、献立を増やしたり、こどもと一緒に調理してみたりと、プラスアルファのことができるととらえています。「おせっかい」をいつでも受け入れる体制にしている一方、あてにしている仕組みではないのです。
「ギブアンドテイクというわけでもありません。得意分野を生かして人に頼られることで生きがいが生まれたり、人に頼ることで孤立を防げだりと、地域全体で豊かさが循環することを目指しています」(有路さん)
学生ボランティアとして関わり、「地域まるごと子育て縁」の立ち上げメンバーになった井上敬介さんは、「地域の人たちはこどもの成長を一緒に見守ってくれる心強い存在」だと話します。
「おじいちゃんの世代にあたる人が『こどもに負けないように自転車をこぎ始めて、今日は6キロ走った』と話したり、昔の遊びを思い出して教えてくれたりすると、地域の人たちの健康にもつながっていると感じます」
自治の意識が浸透
待機児童が多い都市部では、公的な保育の基準からこぼれ落ちると、民間の保育サービスに料金を払って自力で解決するしかありません。雲南市ではそのいずれでもない「共助」が自然体で機能していることが、子育てしやすさにつながっています。
2004年に6町村が合併してできた雲南市。東京23区と同程度の面積なのに山林が8割を占め、人口は3.5万人。高齢化率は4割を超え、全域が過疎地に指定されています。
合併を機に、住民が主体となって地域づくりを進める自治の取り組みが始まりました。市は「市民が主役のまちづくり」を掲げ、住民のチャレンジを後押しする仕組みをつくりました。2011年に開講した、社会起業や地域貢献を志す若者をサポートする次世代育成事業「幸雲南塾」もその一環で、CNC創業者の矢田明子さんは1期生でした。
幸雲南塾など市内の起業家育成プログラムを運営してきたNPO法人おっちラボ代表理事の小俣健三郎さんは、こう話します。
「雲南は日本の過疎地としてとりわけ特別な地域ではありません。ただ、合併当初から自分たちが住む地域の計画を立て、予算配分も決めて優先課題に取り組んできた自治の意識が、実行力として浸透している面はあると思います」
「私が移住してきた8年前と比べると起業家が増え、空き店舗を活用する人たちによってシャッター街だった商店街の風景も変わりつつあります。この地域で新しいことが起ころうとしている空気を感じます」
岩田さんは、雲南市にはさまざまなチャレンジを生み出す仕組みがあることを肌で感じています。小俣さんのように相談に乗ってくれる起業家や、おもしろい取り組みをしている地域の人たちと出会い、自身も新しい働き方や暮らし方に挑戦することで、その一人になろうとしています。