ワーカホリックは"病"。男性が手に取りづらい本が、私たちに教えてくれること
2022年の内閣府の世論調査では、社会全体で「男性のほうが優遇されている」と答えた人は78.8%。いまだに根強い「男尊女卑」の価値観ですが、最近は「逆差別」との声もあります。著書『男尊女卑依存症社会』で問題提起した大船榎本クリニック精神保健福祉部長の斉藤章佳さんと、ジェンダーの研究を続けている東京大学男女共同参画室特任助教の中野円佳さんが、「男尊女卑」に反発を覚える人にこそ伝えたいことを語り合いました。
中野円佳(以下、中野) 『男尊女卑依存症社会』とは、まさにど直球のタイトルですよね。私は東京大学の男女共同参画室で学内のジェンダーバランスの改善に取り組みつつ、非常勤講師として他大学でメディアとジェンダーの授業なども担当しているので、興味深く手にとりました。
斉藤章佳(以下、斉藤) 私は長年依存症の回復施設でソーシャルワーカーとして働いていきました。横断的にさまざまな依存症の問題を抱える当事者と関わってきて、彼らの多くに共通する問題として、根っこに「男らしさ」「女らしさ」に縛られた男尊女卑の価値観があると感じ、この本にまとめました。
ただ、このタイトルは強烈過ぎて最初は編集者から反対されていました。実際、発売後に男性が手に取ることは少ないようです。
中野 なんとなく理由がわかる気がします。
男性は「無視」「反発」
斉藤 この本に対する男性の反応で最も多いのが、「無視」です。次に「反発」や「抵抗」を示す人が多いです。少数ながら「共感」もあります。
以前『男が痴漢になる理由』という本を出版したときも、タイトルから反射的に「男性の責任性を追及するような本」だと認識され、男性からは敬遠されました。
不思議なことに、私の名前(章佳)が女性の名前のように見えるようで、女性が書いた本だと勘違いしたまま脊髄反射のように反発してくる人もいました。プロフィールを見て著者が男性だと気づいた途端、反応が180度変わる。しかも、この一連のプロセスを無自覚にしている人が少なくないのです。
中野 それがまさに「男尊女卑」の象徴的な反応ですよね。
「この社会は男尊女卑だ」と女性がいくら訴えても聞いてもらえなかったり反発されたりする実感が日々あります。「レディースデーも女性専用車両もあるんだから、むしろ女尊男卑だ」と言われることさえありますから。斉藤さんのような男性が言うことでようやく聞く耳を持つ人は一定数いるでしょうね。
刷り込まれた「女のくせに」
中野 私が勤めている男女共同参画室では、東大の女性教員を増やす取り組みをしています。その一つとして女性に限定した公募をすると、「それは逆差別だ」という批判が必ずきます。
ですが、2022年5月1日現在で東大の学部生の女性比率は20.1%、教員は約16%です。他大学と比べても女性の割合は低く、何もしないままでは改善しません。
女性が教員になるまでには、研究者としての入り口に立つまでの間にも、東京の大学への進学に反対されたり、優秀であっても適正に評価されなかったり、出産や育児との両立が難しくて離職したりと、女性であるがゆえのさまざまな障壁があります。
もちろん男性にもさまざまな障壁があってそれらを乗り越えた人はいますが、性別という属性で言えば、相対的には男性のほうが社会の恩恵を得やすく、いわゆる「下駄」をはかせてもらってきたわけです。
東京医科大学など医学部では入試で女子の合格者の数を意図的に抑えていたことが明らかになりましたが、こうした明示的な差別だけでなく、女性たちは幼少期から意欲を削がれる場面が多いことは教育社会学などの研究でわかっています。
こうした差別がある現状に無自覚なため、その差別を是正する措置を打とうとすると「逆差別だ」という批判が沸き上がるのだろうと思います。
斉藤 私は性別が男性で性自認も男性のヘテロセクシュアルです。私が生まれたとき、跡取りとして待望の長男だったことから、祖父母が天皇陛下がいる方向に向かってバンザイをしていたと何度も聞かされました。男に生まれたら喜ばれるという経験をずっとしてきて、知らないうちに性別によって人間の価値が決まるのだという考え方を刷り込まれました。
周囲の大人から受ける影響は子どもにとってすごく大きいものです。「女のくせに」という言葉が頻繁に飛び交う家父長制ど真ん中の環境の中で、私は当たり前のように男尊女卑の価値観を吸収して育ちました。まさに無自覚に「下駄」をはかされてきたうえに、差別の意識を内面化してしまったのです。
中野 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(当時)による「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という発言は記憶に新しいですが、直接的に女性蔑視の発言をしなくても、世の中には男尊女卑や男性優位がしみ込んでいると感じます。
男性が優位で女性が劣位というシチュエーションは職場や学校でもたくさんありますが、気づかずにやり過ごしていることも多くありますよね。
斉藤 私は、自身の根っこを支えているのが男尊女卑の価値観だと気づいてから、複数の著書で「男尊女卑」という言葉を意識的に使うようにしてきました。なぜ自覚できたかというと、15年くらい前から加害者臨床に携わるようになったためです。
加害者臨床とは、性暴力やDV(ドメスティック・バイオレンス)の加害者に向けた、行動変容のための再加害防止のプログラムです。
性暴力やDVの加害者は、被害者を自分と対等な存在として見ていません。簡単に言うと、被害者である対象を都合よく「モノ化」しています。
私も男尊女卑的な価値観のモードで加害者と対峙していると、彼らと共鳴し合う自分に気づくことがあるんです。ですが、そのような価値観を許容して引っ張られてしまうと、専門家として彼らに効果的な行動変容のアプローチをすることはできません。
私にも幼い頃から刷り込まれているであろう男尊女卑の価値観が、加害行為の発動のきっかけとなり、被害者を生んでいる。そこまで頭でわかっていてもなお、いまだに私の中でふいに、実家で聞いていた「女のくせに」という言葉が反響して聞こえてくることがあるんです。
加害者と臨床現場で対峙するときはバランスボールに乗っているような感覚で、自分の中にある男尊女卑と向き合いながらセルフトークを積み重ねています。
中野 無自覚という点では、女性の中にも男尊女卑はあると思うんですよね。仕事先の担当者に男性と女性がいたとして、男性のほうが偉いはずだという先入観から先に男性と名刺交換をしようとするような、ちょっとした瞬間にも無自覚に表れるのではないでしょうか。
また、ダイバーシティに関する最近の議論では、性別などの属性に関わらず、いわゆる「マジョリティ性」と「マイノリティ性」という言葉もよく聞くようになっています。
例えば私は性別でいえば女性ですが、日本に住む日本人で大卒でヘテロセクシュアルという立場では、日本の中で「マジョリティ側」にいます。一つの属性だけを見ていると、マジョリティとしての権力性に気づきにくいのではないかと思います。
ですから、自分の性別を背負って「この社会は男尊女卑だ」というよりは、自分の中のバイアスも自覚したうえで、どういう社会で生きていきたいのかを議論することが大事だと思います。
死に追いやる働き方
中野 本の中では「ワーカホリック」のリスクを高めるのが男尊女卑の価値観であるという分析も印象的でした。
斉藤 アルコール依存症の人と数多く接する中で、アルコールだけでなく仕事にも耽溺している人が少なくないことがわかりました。
長時間労働や激務を続けるうちに、仕事をしていないと罪悪感に駆られたり、アルコールに依存してまで仕事をやり遂げようとしたりと、心身ともに死に追いやるような働き方をやめられなくなるのです。
ワーカホリックは正式に疾患とみなされてはいませんが、依存症との共通項は多いです。耽溺していると問題が起きていても自覚できないことや、自分が依存していることを認めたがらない点などです。依存症よりも厄介なのは、異常な働き方であるにも関わらず、周りからは「仕事熱心な真面目な人」と讃えられてしまう点です。
日本人が自己犠牲的に働きすぎてしまうのは、男尊女卑的な価値観と強く関係しているのではないか、と私は考えています。男性は外で稼ぎ、女性は家庭で無償のケア労働をするという性別役割分業に過剰適応して、その結果、男女ともに何らかの依存症に陥ってしまうケースを見てきたからです。
中野 すごく無理をしている状態だからこそ、他のことでごまかそうとして依存してしまうのですね。
斉藤 実際、依存症には男女差があります。男性は仕事や金銭的な問題から依存症に陥りやすく、中でもアルコール依存症やギャンブル依存症は圧倒的に男性が多いです。仕事で成果を出さなければいけない、競争に勝たなければならないといった「男らしさ」のパワーゲームに過剰適応した病であるとも考えられます。
一方、万引き依存症は女性が多い傾向があります。動機として多いのが「節約」で、場所は身近なスーパーなどが多く、家事や育児や介護などのケア労働のストレスを背景にした「女らしさ」に過剰適応した病であると考えています。
また、万引きの問題に合併しやすい摂食障害も、社会の中にある「ルッキズム」と大いに関係があり、やせていて美しいのが「女らしさ」であり価値があるという価値観にとらわれて苦しんでいるケースが多いです。
つまり依存症は「ジェンダーの病」と言えます。私は、性別役割分業で男女の役割が入れ替わると、それぞれの依存症の男女の割合も大きく変わってくるのではないかという仮説を持っています。
中野 ただ、まるっと入れ替えたら解決するかというと逆の問題が発生するかもしれませんよね。
私は最初に書いた『「育休世代」のジレンマ』で、競争志向が強い女性はパートナー(夫)にも競争に勝ってほしいという発想になるために、自分も夫もワーカホリックが良しとされる職場に入ってしまいがちで、自縄自縛状態になるということを書いています。
これに対して「専業主夫になってくれるような男性と結婚しない女性が悪い」という反応が継続的に出てくるのですが、専業主婦の経済的不安定さやケア労働の大変さを鑑みると、夫が専業主夫になって妻が長時間労働すればそれで解決するかというと、立場が逆になるだけで問題は温存されてしまう。
先ほどのワーカホリックの問題を考えると、性別に関係なく競争社会のあり方についても考える必要があると思います。
行動経済学には、女性は男性との競争を避ける傾向があるものの、競争自体を避けるわけではないという研究があり、いかに男女ともに競争に参入させていくかが機会の平等だという考え方もあります。一方で、そもそも男らしさの象徴でもある「マッチョ」な競争の枠組み自体を見直すべきだという議論もあります。
誰もが競争に参入し、社会的、経済的な成功に向けて競い合うのか。家庭や地域などに別の居場所をつくってサステナブルな働き方をしていくのか。私は、がむしゃらに働くワーカホリックな価値観のほうを問い直すフェーズが訪れるとよいなと思っています。
斉藤 そうですよね。男尊女卑というと、優位に置かれている男性は楽ができる社会だととらえられがちですが、無意識にはかされている下駄に適応できず、歩きづらくて苦労する面もあります。
仕事をしてお金を稼ぎ、家族を守る人生は、裏を返すと、働き続けなければならないし、勝ち続けなければなりません。「らしさ」に過剰適応しないようにするためにも、男尊女卑的な価値観を一度リセットする必要があるのではないでしょうか。
被害が「なかったこと」に
中野 男性は「強くあるべき」「弱音を吐いてはならない」という抑圧も根強くありますが、男性が被害者にもなることもありますよね。ジャニーズ事務所の創業者である故・ジャニー喜多川さんによる性加害問題が明らかになりました。
仕事の功績と加害は別問題であると言い出す人がいたりとか、被害を受けた人や目撃した人も加害者を尊敬している側面があるとか、大手メディアが加害を正面から取り上げてこなかったことなどいろいろな問題をはらむ事件となっています。ですが、特筆すべきは被害を受けた男性たちが国外メディアのBBCの報道をきっかけに声をあげたということです。
私は2020年にベビーシッターのマッチングサービスから派遣されていた男性シッター2人がわいせつ行為で相次いで逮捕された事件を取材しました。被害者には女児も男児もいたため、「ベビーシッターが同性同士であればいいというわけではない」とSNSに書いたところ、「女の性加害者はほとんどいないのに、的外れだ」という反応があったんですね。男性が被害者になりうるということがあまりに知られていないと実感しました。
斉藤 私はペドフィリア(小児性愛障害)の当事者たちの加害者臨床にも携わっているので、男児の被害が多いというのは早くからわかっていましたが、一般的にはその事実は知られていません。
ジャニーズ事務所で起きた事件だったことから、「美しい男子だからターゲットになる」ととらえている人も少なくありません。見た目はあまり関係なく、性暴力は権力関係と構造の中で起きる問題です。そういう意味では誰もが被害者になりえますから、ジャニーズは特殊な事例ではないんです。
また、男性の性被害の場合、加害者が女性のケースもあります。それなのに周りから「早く経験できたからラッキーだ」などと言われ、被害をなかったことにされた男性被害者は少なくないんです。性的に早熟であることを「男らしさ」の文脈で解釈されているためです。
そうすると、被害を被害として認識することが難しいですし、認識したとしても打ち明けるのは「男らしくない」「男の恥」だと考えてしまいます。男児の性被害は昔からあるにも関わらず表面化していないのは、社会に浸透している男尊女卑的な価値観が大きな要因だと思います。
中野 ジャニーズの問題は特殊な世界の話として終わらせてはいけないですよね。性別に関わらず誰もが守られ、被害者の目線で世界を見ていくことが大事だと思います。
斉藤 このタイミングで、ジャニーズ以外の性被害の告発も出てきています。
2017年に世界的に#MeToo運動が起き、日本でもジャーナリストの伊藤詩織さんが実名で被害を告発した後、性被害の告発が相次ぎました。2019年に性暴力をめぐる裁判で4件の無罪判決が続いたことから、性暴力のない社会を求める「フラワーデモ」が全国に広がり、2023年の刑法改正は、被害者の声が大きく反映された形になりました。
これまでは女性たちが連帯していましたが、今後、男性たちの連帯や相互扶助が起こりうるのかどうかにも注目しています。
中野 小児性犯罪については、大手学習塾の四谷大塚での事件も明らかになりました。斉藤さんがずっと指摘されていることですが、密室で1対1になる環境をつくらないようにしたり、子どもに対する包括的性教育を通して注意喚起したりすることで、できるだけ初犯を遠ざけること、そして日本版DBS(※)をあらゆる領域で義務化して再犯を防ぐことが大事ですね。
※ 日本版DBS 子どもと接する仕事に就く人に性犯罪歴がないことの証明を求める新たな仕組み。秋の臨時国会での法案提出に向けて政府が検討している案では、義務化の対象は学校や保育所、児童養護施設などで、認可外保育施設や学童保育、塾やスポーツクラブなど民間の事業者は任意の認定制度を設ける方針(2023年9月6日現在)