首都圏パワーカップルの小学校受験。働く母親の葛藤「夫を主人と呼ばなければ...」

小林明子

小学校受験は「親の受験」とも言われています。共働き世帯が増えるにつれ、働く親たちにとっても選択肢のひとつとなり、首都圏での志願者数は増加傾向です。ただ、受験する学校によっては、働く母親がモヤッとする場面もあるようで......。

教室に足を踏み入れると、紺づくめの母親たちの姿が目に飛び込んできた。

紺色のセットアップ、紺色のバッグ、紺色のスリッパ。グローバル企業で管理職として働く40代のAさんにとって、息子の小学校受験のために見学した幼児教室の"ドレスコード"は衝撃的だった。

「自立した大人が制服のように同じ色と形の服を着るなんて、今どきありえないと思いました。自分の意見をしっかりもっている先輩ママであってもそのスタンスは変わらずで、『こどものためだから』と、普段とはまったく違う紺色ルックだったので驚きました」

「紺色以外は色じゃない」

Aさんは心の中ではまったく同意も納得もできなかったものの、幼児教室で自分が浮いている状況では受験のスタート地点にも立てない。仕方なく、紺色のワンピースとバッグを買い揃えた。

40代の会社員Bさんは、学校説明会に白いシャツで参加したら、ママ友に鼻で笑われた。

「受験では、紺色以外は色じゃないから」

小学校受験
写真はイメージです
Adobe Stock / 中村健二

女性ファッション誌では、同じ紺色でもさまざまなニーズに合わせたお受験ファッションが提案されている。

人気校の校風に合わせたおすすめブランド、学校説明会から面接、入学式、入学後の送迎までオールシーズン着回せるコーデ、そのまま仕事に直行しても不自然ではないパンツスーツ、きれいめなのに洗えるワンピース、マタニティや授乳服を兼ねるものなど。母親の身だしなみも、小学校受験の重要な要素なのだということがうかがえる。

「働く母親は自分勝手」

小学校受験では、家庭の教育方針や生活習慣が重要視される。ペーパーテストの考査のほか、こどもの行動観察や親子面接によっても合否が決まる。学力だけでなく運動能力や感性、コミュニケーション能力なども選考の対象となるため、本を読んだり、公園や美術館に連れ出したり、季節の行事を体験させたりと、親がやるべきことは数えきれないほどある。多くの親がつきっきりで伴走するため、「親の受験」とも言われている。

Aさんは管理職の仕事と受験の両立が不安だったが、コロナ禍でリモートワークになったことが幸いした。息子を幼児教室に送ってから迎えの時間までカフェで作業をしたり、車の中でリモート会議をしたりして乗り切った。

それよりも負担に感じたのは、志望していた小学校が、母親が働くことについて好意的ではなかったことだ。

「入学したらこどもの送迎や保護者会の参加は当然で、それに同意できないのであれば入学しなくて良いというスタンス。『働く母親はかわいそう、自分勝手』という感じで話をされたことが数回ありました。働いている自分を否定されているような気持ちになりました」

Aさんが直面したのは「小学校受験は強制ではないのだから、こちらの世界に入るのであればルールに従ってもらいます」という、あらがえない空気。結局、息子もAさんもその空気感に耐えきれず、考査直前に受験を断念した。

「こどものために心を殺さなければ無理かも......とまで思い詰めました。でも、それはこどもにとって幸せなの?、と疑問に感じたんです。働く母親が小学校受験をするなら、越えなければならない壁がたくさんあると思います」

夫婦ともに年収700万円以上

子育て世帯の消費行動に詳しいニッセイ基礎研究所上席研究員の久我尚子さんによると、かつては母親が専業主婦でなければ難しいとされていた小学校受験に、ここ数年は共働きのいわゆる「パワーカップル」が続々と参入しているという。

パワーカップルとは、ともに高年収の共働き夫婦のこと。一般的に明確な定義はないが、久我さんの研究では「夫婦ともに年収700万円以上の共働き世帯」と定義している。

その定義では、パワーカップルは共働き世帯の1.9%。妻の年収が高いほど夫も高年収の割合が高まる傾向があるという。女性活躍推進や両立環境の整備に伴ってパワーカップル世帯は増加傾向にあり、コロナ前と比べても減っていない。

小学校受験
世帯類型別に見た「パワーカップル」(夫婦ともに年収700万円以上)世帯数の推移
出典:ニッセイ基礎研究所「パワーカップル世帯の動向

「パワーカップルは共働きのわずか2%とはいえ、都市部に住み雇用が安定している人が多いことから景気の影響を受けにくく、活発な消費を続けています。その一つがこどもの教育。中学受験や小学校受験の牽引役であることは間違いありません」(久我さん)

「日常生活でお金をかけたいもの」を聞いたところ、パワーカップルの妻は「旅行」(国内旅行と海外旅行いずれも28.3%)に次いで、「子どもの教育」「自分の趣味」(いずれも18.9%)が上位となった。

小学校受験をするとなると、学費だけでなく幼児教室の月謝も必要となり、長期にわたって教育費がかさむ。二馬力のパワーカップルだからこその経済的なメリットはある。一方、幼児教室の方針や受験する学校の校風によっては、仕事のキャリアを通して培ってきた価値観とのズレを感じてしまうAさんのような母親もいる。

「最近は、学童保育を併設するなど共働き世帯をターゲットとする私立や国立の小学校も出てきていますが、学校によっては母親が働いていることに難色を示すところもまだあるようです」(久我さん)

「夫」ではなく「主人」が正解

広告代理店に勤める30代のCさんが自宅から近いという理由で選んだのは、伝統的な私立女子校。幼児教室では「お母様も女性らしく、謙虚に振る舞ってくださいね」と念押しされた。

「普段は『夫』と呼んでいますが、面接では『主人』と呼ばなければならず、慣れるまで苦労しました。受験対策はほとんど私がしたのに、最初に質問されるのは夫で、私は『付け足し』をする役割。しかも、でしゃばらない程度の絶妙なさじ加減で、です」

会社員のDさんも面接対策に戸惑い、自分の仕事について話すのは控えるようにした。

「最初は面接のルールがピンとこなかったんですが、本番直前にようやく理解しました。母親は仕事スイッチを完全にオフにして、自我を殺す必要があるのだと」

「そういう価値観の学校にこどもを入れるのはどうなんだろう......と悩みながらも、荒れている近所の公立小学校にも入れたくない。もう後戻りはできないので、そのまま突き進みました」

小学校受験
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Adobe Stock / 中村健二

「勝ち組」にする罪悪感

勤務先で社会貢献に関する事業を担当しているEさんは、大学までエスカレーター式で進学できる小学校を受験すると決めてから、アイデンティティが分裂するような葛藤を感じているという。

「仕事では、やれSDGsだといって教育機会の平等や貧困対策をうたっているのに、我が子は生活に困ってほしくないから、受験させて『勝ち組』にしようとしているんです。罪悪感から、受験しようとしていることは同僚やママ友にはとても言えません」

外資系企業に勤めるFさんは、夫も同業で多忙なため小学校受験は見送ったが、地域で評判のよい公立小学校に入学させるために、その学区内に引っ越した。

「親として真剣に考えて準備したつもりですが、結果的に何がこどもにとって『正解』なのかはわかりません。仕事と違い、合理的にスパッと割り切れないことばかりだなと感じます」

幼児教室に父親たちの姿

前出のBさんのこどもは、無事に合格をつかんだ。2人目も私立小学校を志望し、来年度の受験を控えている。

「授業参観がリモートOKだったり、PTAがなかったり、無駄なバザーが廃止されたりと、私立でも働く親に理解がある学校があるとわかったからです」

1人目が受験したときから数年が経ち、幼児教室の雰囲気はガラリと変わっていた。

以前は「参観型」の教室が多く、こどもが授業を受けている間、紺づくめの母親たちがずっと後ろに座っていた。

「ビシーッと背筋を1ミリも動かさずメモを取りまくりながら聞いている、ある種、異様な光景でした」

いまは「お預け型」のクラスの開講が増え、こどもを送った後にリモートで仕事を再開することができる。しかも、以前は父親の姿はほとんどなかったが、Bさんが2人目を通わせている幼児教室では母親と父親が半々くらいになっているという。

「リモートワークやフレックスで仕事と両立しやすくなったうえ、父親の意識改革もここ数年で加速した気がします。アフターコロナで受験のかたちも変わったのではないでしょうか」

「働く母親にとって小学校受験はまだまだ難しいことが多いですが、夫婦間の協力がもっと進めば母親の負担が減り、受験は母親主導という固定的なイメージもなくなっていくかもしれません」

小学校受験の各種情報サイトが掲載している首都圏の私立小学校の志願者数ランキングによると、2023年度入学での志願者数上位校の倍率は10倍を超えていた。アフタースクール(学童保育)を併設する学校が増え、国際教育やICT教育、農業体験など教育内容も多様化している。

「仕事でグローバル化やITの進展に対峙しており、経済力があって高学歴夫婦も多いであろうパワーカップル」(久我さん)にとって、私立小学校の教育が身近な選択肢になるのは必然で、それが小学校受験のかたちに変化を起こしている。ひいてはここから、教育における「家族像」の多様性にもつながっていくのかもしれない。

著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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