「薄味」の牛乳ができるまで。牛が気ままに歩く島根県の山地を訪れてみた
全国の高級スーパーに置かれている、赤と黄色のレトロなパッケージが印象的な「木次パスチャライズ牛乳」。島根県の山間部で、日本の本州では珍しい放牧の酪農によって生産されています。産地を訪れると、人々の暮らしのすぐそばに牛がいる、のどかな風景がありました。
誰に誘導されるでもなく、一列に並んだ牛たちがゆっくりと斜面を降りていきます。
「今日は下に行く気分なんだなあ」
島根県奥出雲町の山あいに10年前に開業した「ダムの見える牧場」。代表の大石亘太さんは、太陽の光を背に浴びながら草を食み始めた牛たちを眺め、目を細めました。
「牛は群れで行動するので、みんなで斜面を上がっていく日もあります。午後4時になると自ら牛舎に戻ってきますよ」
牧場を観光資源に
大石さんは大学で放牧を研究し、酪農に関わる仕事をしたのち、2014年から「ダムの見える牧場」を経営しています。木次乳業が2011年に経営者を公募したときに名乗りを上げました。募集条件が「放牧を取り入れること」「40歳以下の夫婦であること」「木次乳業に雇用されるのではなく自ら牧場を経営すること」の3つで、大石さんの希望とぴったりだったからです。
この牧場は尾原ダムを周回する道路沿いにあり、放牧されている牛をすぐ近くで見ることができます。この日も、近くの保育園の園児たちが園バスで見学に訪れていました。
「僕は牛がいる風景が大好きなんです。放牧は酪農のためだけでなく、牧場を観光資源にすることもできる。放牧の可能性に挑戦したかったので、公募は願ってもない機会でした」
大石さんのように放牧に挑戦したい思いがあっても、日本の本州で放牧酪農をしている農家はほとんどありません。農林水産省によると2021年度、全国の乳用牛の飼育農家は1万3800戸。このうち北海道以外の都府県で自らの牧場で放牧をしているのはわずか146戸のみ。広大な敷地が少ないことや飼料の調達がネックになっています。
また放牧には、牛乳の質や量が安定しないリスクもあります。天然の牧草の状態は季節や天候によって変化するため、それを食べる牛の乳の味も一定にはなりません。牛の運動量が多いぶん乳の量は減り、乳脂肪率も低くなります。
しっかり運動する牛
木次乳業では、こうした課題に向き合いながらも放牧にこだわり、1990年に「日登牧場」を設立。足腰が強い乳牛の品種「ブラウンスイス」を輸入して試験導入し、山地酪農に取り組みました。そのノウハウが「ダムの見える牧場」などにも生かされています。
牧場を見渡せるベンチで瓶から飲む木次牛乳は、たしかに薄めでさっぱりした味わい。牛たちは草を求めて常に歩き回っているので、ずっと見ていても飽きません。山地の斜面には、牛が踏み固めた「牛道」が何重にも刻まれています。
「しっかり運動する牛は脚が強くなり、ストレスもないので長生きする傾向があります。牧草地の土壌にはそば殻を混ぜた堆肥を使い、飼料を自給しています。牛と人間の健康を考えると、放牧は自然に近いかたちの飼育なんです」
こう話すのは、木次乳業営業部の安部翔平さん。東京・築地市場のマグロ店で働いたのち、Uターンして木次乳業に入社しました。大石さんと同じく、自然に根ざした生産方法で安心して食べられるものを追求する木次乳業の思想に共感したのだといいます。
「食べるということは、地球上の生物のいのちをいただくこと。生命の源としての食べものは、どのようにつくられているかが重要になる」
木次乳業創業者の佐藤忠吉さんが繰り返してきたこの言葉を、大石さんも安部さんも日々の仕事で実践しています。
「百姓」を名乗り続けた創業者
この地で知らない人はいないほどカリスマ的な存在だった忠吉さんは、2023年9月に103歳で他界しました。
忠吉さんの孫で3代目社長の佐藤毅史さんは、こう話します。
「忠吉は、名刺の肩書に『百姓』と明記していました。社長である時も、相談役である時も、『百姓』の肩書を外すことはありませんでした」
「忠吉の言う『百姓』は、『農家』とは違うんですよ」(後編に続く)