幻の固形石鹸を7年かけて"復活"させた石鹸屋の意地。「非効率なのになぜ?」4代目社長の答えは......
創業100年の石鹸メーカーが、大正時代の「創業の原点」に立ち返り、固形石鹸づくりにゼロから挑戦しました。その名も「木村石鹸の木村石鹸」。企画、開発、発売までに7年の歳月をかけて生まれた素朴な石鹸は「いったん技術を手放してしまうと、復活させることは難しい」というシンプルな問いを投げかけます。
【後編はこちら】給料は社員自ら提案。「性格のいい人」を採用。創業100年の石鹸メーカー4代目の「曖昧」な経営とは
木村石鹸工業は1924(大正13)年、大阪市で「木村石鹸製造所」として創業。戦後、衣類用洗剤「ホワイトベアー」や、銭湯向け洗剤「エアーポール」などで販路を広げ、本社を大阪府八尾市に移しました。
4代目社長の木村祥一郎さんは2013年、「どうしても手伝ってほしい」と3代目社長の父親に頼まれ、IT企業の取締役を退任して木村石鹸に入社しました。「ダサい町工場」だと敬遠していた家業に飛び込んで初めて、「正直なものづくり」の信念に共鳴したといいます。
IT企業で培った経営戦略と、手間ひまかける丁寧なものづくり。端から見ると相性が悪いようにも感じられる要素を融合させ、新たな事業に次々と取り組む木村さん。その一つが、現在いる職人の誰もつくったことのない「固形石鹸」をゼロから開発するというプロジェクトでした。
「正直、そこまで難しいと僕は思っていなかったんですが、やってみると失敗の連続でした。それでも100周年の節目にどうしても固形石鹸をつくりたかったんです」
7年かけて出来上がった固形石鹸の誕生秘話を、木村さんに聞きました。
世の中の人が「石鹸」と聞いて最初にイメージするのは固形石鹸であることが多いのではないでしょうか。木村石鹸でも、もともと固形石鹸をつくっていました。今の本社の前にあった工場の片隅には、古い木枠や道具がまだ残っていました。
ただ、いつのまにか固形石鹸の製造は途絶えており、どうやってつくっていたのかもわからない。製法のマニュアルなど何も残っていないし、親父も処方を知らないんです。「石鹸屋なのに、伝統的な固形石鹸のつくり方を知らないのはどうなんだろう」といまさらながらに考えました。
2024年に創業100周年を迎えるタイミングで石鹸屋としての原点に立ち返ろうと、7年前に固形石鹸の企画をスタートしました。
石鹸づくりの道具づくり
木村石鹸では「釜焚き」という伝統的な製法で、液体石鹸や粉石鹸をつくっています。油脂を釜の中で加熱して不純物を取り除き、高品質の純石鹸をつくる製法で、熟練の職人の勘と技術が必要です。
最初は、木村石鹸を象徴する釜焚き製法で固形石鹸をつくろうとしましたが、うまくいかなかった。釜焚きで純石鹸の素地はできるものの、それを精製して固めるのに適した設備が木村石鹸にはなかったんです。
この設備はすでに国内では生産されておらず、古い設備のメンテナンスも難しい状況です。固形石鹸づくりに新規参入する会社がほぼないのは、設備投資に莫大な金額がかかるからです。
そこで、釜焚きはあきらめ、「枠練りコールドプロセス製法」でつくることにしました。油脂を加熱せず、時間をかけて鹸化させていくので、完成までに1カ月以上かかります。天然油脂の成分が熱によって損なわれないぶん雑味も残るので、原料の状態には細心の注意を払わなければなりません。
木枠が残っていたということは昔はコールドプロセス製法でつくっていたはずですし、小さな工房や個人でコールドプロセスで石鹸を手づくりしている人は多くいるので、正直そこまで難しいと僕は想像していませんでした。
実際、数年前に最初につくったものはうまくできたんですよ。それで高をくくっていたら、次の仕込みからまったくうまくいかなかった。同じ油でも、ロットが違うとごくわずかな成分の差があるため、そのせいで石鹸に色ムラができるくらい繊細なんです。油の状態、作業場所の気温、撹拌する回数など、さまざまな細かいパラメーター(変数)によって石鹸の固さや使い心地が変わってしまうことに気づき、焦りはじめました。
固形石鹸をゼロからつくったので、そもそも誰もつくり方を知らなければ、つくるときに必要な道具も自前でつくるしかありませんでした。石鹸を円柱形に固める型や押し出す道具、きれいに切り分ける道具などもすべて手づくりです。うまくいかなかったときに道具に原因があるとなれば道具をつくり直したので、すでに3代目や4代目の道具もあります。
固形石鹸を復活させる過程で勉強になったのは、昔やっていたことを一度やめてしまうと、復活させるのはとても難しいということです。だからこそ、ちゃんとしたものをつくるプロセスを確立させなければならないという思いが強まり、失敗を繰り返しても試行錯誤を続けてきました。
非効率なことをなぜやるのか?
そもそも固形石鹸を復活させたところで、いまの時代にニーズがあるのだろうか。100周年なんて自己満足なんじゃないか。7年もかけて固形石鹸をつくることにどんな意味があるのかと自問自答したこともあります。
例えば釜焚きも、非効率なのでやめたほうがいいという議論はずっとあります。自前の設備で職人を育てて作業するよりも、釜焚きでつくられた純石鹸の素地を買ってきたほうが安いからです。
最近、伊勢神宮の式年遷宮について勉強したんです。1300年以上続けられてきた伝統行事で、20年に一度、新殿を造ってご神体を移す神事のたびに、数百億円の事業費がかかるそうです。古来と同じ手法で続けることには現実的な難しさもあるでしょうし、さまざまな議論があるでしょう。
歴史ある多くのものごとは、時代の変化に伴って「何のために続けるのか」と問われることは避けられません。その問いに対する僕なりの答えは「続けること自体に意味があるから」です。
固形石鹸をつくることを一度やめたら復活できないということがわかった今、つくり続けていくことだけでも価値はあるんじゃないか。釜焚きも続けること自体に価値があるから、僕は続けようと決めました。だって、技術がなくなった状態を想像すると悲しいじゃないですか。
まさかのちゃぶ台返し
ようやく固形石鹸を安定した品質でつくれるようになってきた2024年12月の仕事納めの日だったでしょうか。固形石鹸の名称やパッケージデザインづくりを半年かけて進めていたデザイナーと最終確認の打ち合わせをしていました。「これでいこう」となったときに僕が「やっぱりごめんなさい!」と言ってひっくり返したんです。......なんか違うな、と思って。
原料を厳選してゼロからつくった固形石鹸ですから、想定している単価でお客様に納得していただくには、高級感がある洗顔石鹸であることをうたう必要があると考えて、ラグジュアリーなデザイン案が進んでいました。品質には自信があったので、最初はそれがいいと思ったんです。でも、違和感が拭えなかった。固形石鹸づくりに挑戦しながら僕たちが向き合っているものは、ビジネスとしての成功ではなく、あくまで創業の原点に立ち返ることだったはずだ、と。
石鹸屋として創業からの100年を見つめ、次の100年のために新たなフォーマットでやり直そうという心意気や気持ちは「木村石鹸の木村石鹸です」という言葉にするのがいちばんシンプルだということに気がつきました。それで結局、セルフタイトルアルバムみたいな商品名になっちゃったんです(笑)
人間にしかできない仕事
僕たちのルーツは製造業であり、アイデンティティはものをつくることにあります。売ることよりもつくることのほうに比重を置き、そこにこだわりがあるので、必ずしも市場の要請にすべて答えていけば満たされるわけではないんです。
世の中のニーズを考えると今は固形石鹸ではないし、コスパで考えると釜焚きよりも効率的な製法がある。やめたほうが儲かると言われるかもしれませんが、製造に軸足を置いている企業としては、儲けるためにやめてしまうことは、自分たちのアイデンティティを損ねることになります。
時代の変化によって、対応しなければならないことと、変えてはいけないことがあります。難しいけれど、常に悩み、判断していくのは、AIではなく人間にしかできないことだからこそおもしろい。社長がやるべき仕事の一つですね。