ミナ ペルホネンの皆川明さんが語る、100年続くブランドに必要なこと。「人よりも会社が成長してはいけない」
「特別な日常服」をコンセプトにしたオリジナルのテキスタイルが人気の「ミナ ペルホネン」。創業者でデザイナーの皆川明さんが「せめて100年続くブランド」をめざして1995年に創設しました。続けるために大切にしていることの一つ、「つくり手の幸せ」についてイベントで語りました。
皆川明さんは2022年10月7日、アプリプラットフォームを運営する株式会社ヤプリの主催イベント「YAPPLI SUMMIT」のトークセッションに、デザイナーの篠原ともえさんと登壇しました。
篠原ともえさんの記事はこちら:「大切なことはおばあちゃんの着物が教えてくれた。篠原ともえがドキドキをつくり続ける原動力
皆川さんは1995年、「ミナ ペルホネン」の前身である「ミナ」を創設。当初はたった1人で、魚市場で働いて生活費をまかないながらデザインを続けてきました。
現在は従業員200人を超え、食器や家具も手がけています。展覧会「ミナ ペルホネン / 皆川明 つづく」は10月22日から国外で初めて台湾でも開催されます。
「成長しないようにしよう」
篠原さんと初めてお会いしたのは、僕がブランドをはじめて、まだ2人しかいなかったときでしたね。
その数年後に直営店ができて、自分たちらしい空間でデザインをお見せする場所ができました。それから会社の規模は大きくなり、一緒にものをつくる人の和が広がりましたが、つくり方は当時からまったく変わっていないんです。方法や時間軸は変わらずに続いています。
僕らの会社には「人の成長より会社が成長しないように」という考え方があります。新規の出店や販路の開拓によって瞬間的に売上や会社は大きくなりますが、働く人と一緒に成長していないとどこかで歪みがでたり、マインドがついていかないということが起こりうるからです。
人が成長するのと同じくらいのスピードで会社も成長していけば、たとえゆるやかな成長であっても100年たてばある程度、役割をもったブランドになるんじゃないかと考えています。ですので、中心メンバーの間でも「◯%以上の成長はしないようにしよう」と話し合っています。
つくってうれしい服
良いものづくりとは何かを考えるときには、多方面の視点があります。その中でも、つくり手が幸福感をもつことがいちばん大事なことだと考えています。
一着の服をつくるときに、僕はデザイナーなので、こういうデザインや形にしようと思考する立場ですが、そのあとは原料の調達からはじまって織ったりプリントしたり縫製したりと、ものづくりのプロセスごとにたくさんの人が関わります。
僕らは布をつくるところからはじめますので、いまはこの秋冬の2シーズン先、つまり2024年の秋冬の糸をつくっている段階です。最近は円安や物流の影響で糸の確保が難しくなってきています。最終的にお店に並ぶまでにどこかの工程で慌てることのないように、事前に計画を立ててなるべく早めに準備をすることが重要になってきます。
それぞれの工程において適切な時間を保ちながら進めると、それぞれがしっかりした仕事をしたものが積み上がっていくので、結果的には良いクリエイションができます。
着る人が選んでうれしい、楽しいと思ってもらえるのと同時に、つくる人もつくってうれしい、やった仕事に誇りがもてるという、着る人とつくる人の両方の環境がよいことが、ものづくりにおいてとても大事なことだと考えています。
工場のキャパと同期させる
基本的にデザインは僕が自分でするので、素材の加工や組み合わせについても考えますが、工場の生産体系のキャパシティを超えないということを常に意識しています。一方、キャパシティ内ではフルに動いてもらいたいので、工場のキャパと、デザインしてつくるものの量がほぼ同期するように考えていきます。
例えば、この形の服をつくるためには、布をつくるのに何カ月必要で、その期間につくれる量は何着なのかという順番で、そのシーズンに流通販売できる服の量を決めていきます。その結果、今シーズンにお届けできない方がいたら、来シーズンに少し変えたものを提案できるようにしよう、と考えます。
これは限定感を演出するということではなくて、ものによっては本当に1日に3メートルしか織れないといった事情があるからなんです。日本に2台しかない機械のうち1台を使わせてもらっていて、1年間フル稼働させたとしても織れるのは1000メートル以下だとなると、必然的につくれる着数が決まってきます。1年間でコートとジャケットとドレスをそれぞれ各色100枚ずつつくるのが、その機械のキャパシティなんですね。
なので、いまだに僕はそれぞれのプロセスの中に入って、つくってくれる人たちとの関係性がうまくいくように、工場とぴたっとくっつきながらずっとこれまでと同じことをやっています。
情報の中に情熱があるか
一着の服をつくりあげていくプロセスでは、伝達も重要です。単に間違いがないように言葉を並べるだけでなく、情報の中にどれだけ情熱的な言葉があるかということです。
なぜやりたいのか、そこにどんな思いがあるのか、こういうことをやりたい、こういうものをつくりたいからこのプロセスが必要なんだということを含めて、次の人にバトンを渡していく必要があるんですね。もし今までやったことのない難しい作業が含まれていたとしたら、そこは僕らがきちんと責任をとるから一緒に並走してくださいということも伝えていきます。
コミュニケーションをする際には、対等に意見を言い合う必要があります。ミーティングや企画会議をしているときにあまり発言しない人もいますが、全体の前では言わないだけで、実はちゃんと話を聞いていて、考えをもっているのだということもわかってきました。
昨年、会社の代表を若い世代に譲りましたので、自分はそういう声をちゃんと聞いていく役割を担いたいと思っています。
料理とテキスタイルの共通点
僕がブランドを立ち上げたころはそれだけでは生活できなかったので、魚市場で4年間、マグロをさばく仕事をしていました。いまでも大きなマグロを1本さばけますよ、買いませんけどね(笑)。
マグロを解体する作業は、大トロや中トロ、赤身など特性によってわけてそれぞれの価値をつくることなんです。それらをどうやって仕込み、料理するとおいしくなるか。同じ材料でも扱い方によって味が変わったりするんです。この考え方が、テキスタイルをつくるうえですごく勉強になりました。
ふだん料理をするときも、材料の食感、火の入れ具合、栄養素など、それぞれの材料がもっている特性と、それらが一つの皿にまとまったときの役割を考えるのが好きなんです。その感覚はテキスタイルの肌触りや重さ、縫製のバランスにも近くて、料理しながらテキスタイルのアイデアが浮かんできます。
麻とカシミヤをブレンドするとしたら、ハリ感があるけれど触れるとやわらかく、温かみがある生地にするためにはこういう配合がいいかな。どの機械でどんなふうに仕上げればいいかな。縦糸を麻にして横糸をカシミヤにするのか、そもそも麻とカシミアをよって糸をつくるのかーーとか、そんなことを食材を触りながらずっと考えているんです。
洋服を着て、家に住んで、料理をつくって食べるという営みはすべてつながっていて、暮らしに境界線はないので、同じ視点でものづくりをしていこうと今は食器や家具も手がけています。
ものづくりの考えが近いほかのブランドと、一緒に何かできたら楽しいね、という思いが同時に高まってコラボレーションをすることもあります。僕らにとって勉強になることだったり、自分たちにはできないけど相手が実現していて一緒に力を合わせればできることがあったりするからです。
100年後のための土壌づくり
1995年にブランドをはじめるとき、A4の紙に「せめて100年続くブランド」と書きました。つまり、自分ひとりでは無理だということですね。最初の30年とかそれに近い年数を受け持つつもりではじめたので、まずはものをつくる土壌をしっかり整えようと、よい工場との信頼関係をつくる30年間にしたいなと思っていました。
そのころから少しずつ、デフレスパイラルの名のもとに工場が閉鎖されたり海外に拠点が移ったりした時代でした。それらをなんとか30年か40年で戻したかったけれど、結果的には戻っていません。
それでも、まずは信頼関係をつくって、次の世代の人がその土壌に種をまき、次の世代が水をあげて、芽が出たら、100年後くらいには実を収穫できるんじゃないかというイメージでやってきました。
自分の持ち時間、つまり寿命とか、現役で仕事をする時間軸でこのブランドを考えてはいないんです。自分がデザイナーとして何かを成し遂げたいということでもありませんでした。
ただ、工場と信頼関係をつくるために仕事を継続する必要があるので、継続するにはお客さまの喜びや信頼を得られなければならず、そのためにはよいデザインをしていかないといけない。そんな順番なんですね。
最初に思い描いていた30年まであと3年です。少しずつ次の世代に伝えていくとともに、工場の環境をよりよくして、つくる人と使う人の両方の幸福感を生み出したい。それを毎日、やれる範囲でできるところまでやり続けていきます。
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