sequenceや% ARABICAなどを手がけた建築家が、豊かな暮らしを実践する理由。「良き生活者は良き設計者になれる」
建築、インテリアから空間デザインまで、さまざまなプロジェクトを手がけてきた建築家の加藤匡毅さん。既存の建物や風景を最大限に生かしたデザインは、人々に愛されながら街に溶け込んでいます。2024年7月、加藤さん率いるPuddle(パドル)のオフィスが東京・清澄白河に移転。建築とインテリア双方のフィールドを経験した加藤さんならではのバランス感覚、そして新オフィスに込めたクリエーションの新たな可能性とは。
東京・渋谷のMIYASHITA PARKの都市型ホテル「sequence MIYASHITA PARK」や、京都の桂川と渡月橋を臨む「% ARABICA Kyoto Arashiyama」、京都の錫工房に依頼したカウンターが目を引く「TSUCHIYA KABAN KYOTO」などのデザインを手がけてきた加藤匡毅さん。
自身が率いる建築・空間設計事務所のPuddleは、建築からインテリア、空間デザインまで幅広いプロジェクトを担当。手がけた数々の店や施設はそれぞれの街に溶け込み、日本各地で多くの人に愛されています。
さまざまな要素を生かした心地の良い雰囲気を基調としながら、訪れる人を主人公のように引き立てる空間をつくり上げる。建築とインテリア、それぞれのフィールドでの経験に裏打ちされた、独自のバランス感覚に迫ります。
幼少期から、工作や絵を描いたりするのが大好きでした。
小学生の頃から18歳までを過ごした横浜市金沢区は、埋め立てによって土地を造成し、道路の歩車分離など先進的な街づくりが行われていた場所。高校生の頃は、当時日本一の高層ビルだった横浜ランドマークタワーなどが竣工するなど、「人が都市をつくる」ということがある種当たり前だった環境のなかで過ごし、人工物も私にとっては自然なものでした。横浜赤レンガ倉庫などの古い建物と共存している景観は、私の価値観にも少なからず影響を与えたと思います。
大学は建築学科に進みましたが、なぜか就職活動には身が入らず、かといって卒業後は大学院にも進学せずに、聴講生という形で1年ほど大学に籍を置いていました。
その後、大学の先輩が「手伝ってくれないか」と声をかけてくれたことがきっかけで隈研吾建築都市設計事務所に出入りし始め、アルバイト時代も含め長いこと在籍し、気がついたら事務所の一員になっていました。社会人として心機一転というより、ものづくりの延長として社会人になったという方が正しいかもしれません。
良き生活者は良き設計者
隈研吾事務所を経て転職したインテリアブランドのIDÉEでは、クリエイティブな仕事との向き合い方に変化がありました。建築事務所で働いていた頃は、作品づくりに集中して朝から晩まで働き、常に仕事とともにある生活が当たり前だったからです。
IDÉEの同僚たちは、音楽や料理など異なる分野の出身者が多く、それぞれの入り口は違えど、生活を豊かにすることを考えている人たちでした。建築や設計だけではない、多様な価値観に触れながら仕事ができたことも大きかったですね。
IDÉEでの毎日は充実していましたが、30歳までには独立したいと考えていたんです。そこで、2004年に元同僚とともに共同設立したのがGEOGRAPH(ジオグラフ)です。IDÉEで働いていた時に染みついた、一つの領域にとらわれないアプローチも大切にしたいと思い、内装や家具のデザインといった身近なものを手がけつつ、宇宙エレベーターのデザインコンペにも出品するなど、幅広くさまざまなプロジェクトを手がけていました。
独立して8年が過ぎたころ、2011年に経験したのが東日本大震災です。
当時は多くの人がそうだったと思いますが、震災直後は無力感に襲われました。独立して、仲間とのものづくりは楽しかったのですが、「このまま続けていてもいいのかな」と真剣に思ったりもしましたね。
ただ、震災を通し、人々が集まれる場所の設計をしてみたいとも考えました。私自身も仲間と集う時間を大切にしていたこともあり、人と人とのコミュニティづくりに主軸に置いた空間設計がしたいのかもしれないと思ったんです。
正直に言うと、震災がなければなんとなく仕事を続けていたかもしれません。それでも、一度仕切り直してスタートしたいと考え、再独立という形で2012年に設立したのがPuddleです。
生かす・借りる
Puddleでは、一からチャレンジして新しいものをつくり上げることはもちろん、リノベーションなど既存のものを生かしたデザインも大切にしています。新しい体験につながる接点をつくることが、デザインをするうえで必要なことだと思っているからです。
新しい体験という点にフォーカスした場合、古いものを壊し作り替える「スクラップアンドビルド」のアプローチはしなくていいかもしれない。今まで使われていたものでも、視点を変えて見ると輝き出すかもしれない、と考えてみることに興味があるんです。
例えば、表参道にあるGYRE内の「Tamitu Laboratory & Cafe」は、同じ場所にありPuddleがデザインを手がけた「ダンデライオンチョコレート」の店舗を改装したもので、特徴的な緩やかな円弧を描くカウンターは、ダンデライオン時代に設置したものを生かしています。
元々あるものを取り入れるという考え方でいうと、日本庭園などでおなじみの「借景」のアプローチもデザインに取り入れることが多いです。私自身、「いつか手放すのであれば、借りれるものは借りて、必ずしも所有しなくてもいい」と思っていることもあるかもしれませんね。そして、借りている景色の側からの見え方も大切にしています。こちらの視点では景色を借りているようではありますが、向こうの視点ではこちらが景色の一部なわけですから。
その手法を取り入れたプロジェクトのひとつが、「sequence MIYASHITA PARK」です。所在する渋谷は本当に大きな都市で、客室から見える景色も大都会そのもの。一方で、宿泊者にとっては、自分が主人公のようにその景色に溶け込める場所だとも思うんです。
外の景色との一体感を生むため、それぞれの客室の窓は大開口にし、窓のすぐそばには縁側を設置し、外の景色をより近く感じられるようにしています。そして、眼下にある渋谷区立宮下公園からは、窓際で過ごす宿泊客の様子を垣間見ることができるなど、どちらの側からの視点も考慮したデザインとなっています。
また、セカンドホームのサブスクサービスのSANUの「SANU 2nd Home 一宮 1st」は、訪れる人の意識が広い空に向くようにデザインしています。sequence MIYASHITA PARKでは渋谷の都会的な風景そのものを取り入れましたが、SANUが所在する九十九里浜の周辺は整地された場所であり特徴的な景観の要素が少なかったため、頭上に広がる空に着目しました。
シンメトリーに配置された建物の間や、大きくとった天窓などに広い空を取り入れることで、空も自然の一部だということを示唆する。そんなデザインにしたのです。そうしたことに気づくことができるような場所をつくりたいという思いが、設計の際に目指していた部分でした。
あえて「はみ出す」
とはいえ、私が手がけているのはアート作品ではなく、資金も無尽蔵にあるわけではありません。もちろん、仕事として受けている以上、クライアントの希望や予算も考慮しなければなりません。
例えば紙を折る際、端と端を重ねる四つ折りは比較的簡単ですが、三つ折りは慣れていないと難しく感じますよね。コストのバランスは、それに似ていると思います。慣れていても狙った通りにいかないということもありますから、私はあえて一度「はみ出す」ことも試みています。
そこであらためて必要ではない部分を削り、折り目をつけ直すように調整する。そうすることで、回を重ねるごとにぴったりと折れる=調整できるようになっている気がします。
その一方で、建築や空間デザインに欠かせない、芸術性と機能性の両立は、初期段階からもがいて考えていくことが多いです。特に、機能性についてはクライアントからも求められることが多く、プロとしても確実に提供しなければならない部分でもあります。
自分でも不器用だなとは思うのですが、最初からテンプレート化したものを当てはめていくというアプローチは全くできないので、毎回すごく苦しく感じている部分です。ただ、苦しいがゆえに、方向性が定まった時はブレずに進めていけることが多いですね。
新しさや独創性を求めて芸術性に寄り過ぎてしまっては、より芸術性の高いものに取って代わられてしまいます。何かの気づきを得られる体験を芸術性だとするなら、機能性にも気づきを得られる体験があるはず。足元を見つめ、機能性を突き詰めていくことで得られる気づきを大切にしたいと思っています。
そして、この仕事をするうえで最も重要なのは、施工スケジュール調整などのタイムマネジメント。でも、実は苦手なんです(笑)。時間があればあるだけ考えてしまったり、少しでも違和感を感じてしまうプロセスがあれば、そこから先に進めなくなってしまったり…。
その解決策ではありませんが、できるだけタイムマネジメントが得意な人と一緒に仕事をするように心がけ、迷いがなく決断も早い早朝から仕事をするように、個人的な働き方も変わりました。
旅を続けたどり着いた新天地
3年前に長野の軽井沢に引っ越したのですが、忙しくなった時期と重なったこともあり、オフィスがある東京と自宅がある長野を行き来する毎日でした。率直に言うと、東京にはタスクを処理しに来ているという感覚に近かったでしょうか。
また、コロナ禍だったこともあり、オンラインで仕事をすることも増えました。そこで、「自然豊かな軽井沢に住んでいるのに、頻繁にこの街を離れ、家でもモニターばかりを見つめている。これって、本当に豊かな暮らし方と働き方なんだろうか」とふと思ったんです。
Puddleが大切にしているのは、街と場所の境界線をぼかし、その街で働き、暮らす人を主役にしたデザインです。にも関わらず、それを手がける人は行ったり来たりしてあくせく過ごしている。
そこで思い出したのは、「自分自身が良き生活者であれば、それは良き設計者であることにもつながる」というIDÉEでの経験です。頭のなかで良い生活を考えるだけでなく、自分もその実践者になることで考えられることがあると気づきました。
私は旅が好きなのですが、多くの人が想像するような「家から出かけてまた家に帰る」という旅ではありません。一箇所にとどまらず移動を続ける、いわゆるノマドのような旅です。
どうやら移動する最中の時間も好きなようで、現在住んでいる長野から東京のオフィスに向かう新幹線の車中や、次のプロジェクトに向かうための移動も、私にとっては大切な働く場所。移動することは、私にとって何かに縛られない象徴のようなものかもしれません。
そこで、あらためてどうあるべきかと考えたとき、街の人とのつながりを感じ、生活者として気づきを得ながら働きたいなと思いました。そこで、オフィスを通りに面した場所に構え、働くという時間も大切にすべく決めたのが、すでに関わっているプロジェクトもいくつかあるという縁もあった清澄白河へのオフィス移転です。
とはいえ、カフェなどのお店でもない設計事務所は、お世辞にも入りやすい場所とは言えません。そこで考えたのは、居心地の良い空間の要素をオフィスに取り入れることでした。
私の場合、軽井沢の豊かな自然に癒されていたので、その要素として植物を取り入れたいと思い、メルボルン発の植物ショップ、THE PLANT SOCIETYにコラボレーションを打診しました。先方にも快諾してもらい、平日はPuddleのオフィスとしての活用をメインに、週末はTHE PLANT SOCIETYのショップとしての活用をメインにできる、実験的な場所となる予定です。
通りの植物屋さんにふらっと入ったつもりが、打ち合わせをしたり、図面を引いたりしている人がいた。そんな予想外の出会いを通じて、私たちも新たな気づきをこの清澄白河の街で見つけていきたいですね。