修行のすべてが献立に生きている。「茅乃舎」初代料理長がつなぐ和食の滋味

最所あさみ

福岡の街から少し離れた山間を車で走ると、まるで日本昔ばなしの世界に入り込んでしまったかのような立派な茅葺き屋根の建物が現れる。

九州を代表するだしブランド「茅乃舎」のルーツとなるレストラン「御料理 茅乃舎」だ。

茅乃舎
茅葺き屋根が特徴的な「御料理 茅乃舎」
Asami Saisho

古き良き日本の家屋に合わせ、提供する料理も昔ながらの調理法や地場の素材にこだわっている。

そんな「御料理 茅乃舎」がオープンしたのは2005年のこと。地元で100年以上続く醤油蔵がスローフード運動と出会い、食文化や職人の仕事を次世代に残し、受け継ぐ場としてつくりあげたレストランだ。

旬の食材を生かした料理は評判を呼び、瞬く間に人気店へ。なかでも、丁寧にとられた「だし」の味を家でも再現したいという声が多く寄せられたという。そこで、レストランの名を冠した「茅乃舎だし」の販売をはじめ、つゆやソースなど調味料のシリーズを生み出し、現在のブランドへと成長していった。

家庭でも手軽に和食をつくれることで人気の「茅乃舎だし
OTEMOTO

今や地元・福岡のみならず、東京にもファンが多い「茅乃舎」シリーズ。その原点となる「御料理 茅乃舎」の初代料理長に抜擢されたのが、当時、大分県の湯布院にある老舗旅館の副料理長だった岡部健二さんだった。

高級店から専門店までさまざまな業態を経験してきたものの、それまで料理長の経験はなかったという岡部さん。料理人として今も昔も必要とされる修行への姿勢や、料理長の役割について話を聞いた。


師匠が弟子の転職を決めていた時代

私が修行を始めた頃は、まだ昔ながらの師弟関係が強く残っている時代でした。フランス料理に憧れる気持ちもあったものの、はじめに就職したのは割烹旅館。そこで見習いとしていちから修行をするうちに、日本食の奥深さに目覚めていきました。

茅乃舎
岡部健二(おかべ・けんじ)/ 御料理 茅乃舎 初代料理長
Asami Saisho

修行のなかで、「この人についていきたい」と思える師匠に出会い、そこからは師匠のつながりでいろんな店を経験させてもらいました。

当時はまだ師匠同士のつながりも強く、師匠同士で「そろそろコイツに別の店で経験させたい」「ちょうどあの店で人を探している」といった情報交換がなされ、その中で若手の異動も決められていたんです。今の若い人には驚かれるかもしれませんが、若手がどうキャリアを積むかは師匠次第でした。

もちろん明確にやりたいことが決まっていれば、ある程度それに合わせて必要な経験ができる場所を選んでもらえたと思います。でも若い頃はまだ視野が狭い部分もありますから、一時の流行りではなく長い目で見て経験を積ませてもらえたことに、今では感謝しています。

たとえば、私が若手の頃はちょうどイタリアンがブームになりはじめた頃でした。伝統的な和食だけではなく、イタリアンやフレンチも学んで、いつか創作料理の店を出したいと考えていたんです。

しかし師匠に相談すると、「たとえ今一時的にブームだとしても、日本人は最終的には日本食に戻ってくる。だから和食を極めたほうがいい」と。そこからは、結果的に和食一本で今日までやってきました。

もちろん和食以外にも素晴らしい料理はたくさんありますが、私は師匠の助言通りに和食の道を極めてきてよかったと思っています。年齢が上がるほどシンプルな和食を好む方が増えますし、シンプルで滋味深い料理だからこそ何度も通っていただける面もあると思っています。

私自身も、若い頃は視覚で楽しませる派手さのある料理を好んでいましたが、茅乃舎に来てからは体にいいものをシンプルに食べていただきたいと思うようになりました。修行時代に一時の感情や流行りに流されず、長く通用する核となるものを育ててもらったからこそ、今の自分があると思っています。

茅乃舎
Asami Saisho

さらに、いろんな種類のお店を経験できたのも師匠のツテがあったからこそだと思っています。一口に「和食」といっても、高級店から和食居酒屋までさまざまな種類のお店があります。さらに旅館や料亭でも動き方が変わりますし、コース主体なのか一品料理主体なのかによっても求められる能力は違います。

つまり、お店が変われば急に「できないこと、経験したことがないこと」が増えるんです。しかもそこには先に働いていた同い年の料理人もいる。すると「こんな簡単なこともできないのか」という目で見られます。この経験を何度も繰り返すことで、井の中の蛙になることなく新しい技術や知識を身につけようと必死になれるわけです。

今はどこも若手人材の確保に必死で、昔のように師匠同士のツテで店を変わるケースも少なくなりましたが、個人のキャリアを考えるならば、やはり少しでも多くの種類のお店を経験するべきだと私は思っています。

茅乃舎
御料理 茅乃舎の初代料理長として献立を考えた岡部さん
久原本家 提供

修行で鍛えられるのは技術よりも精神性

私の修行時代は厳しいことも言われましたし、言葉で教えてもらうなんてことはありませんでした。みなさんがイメージされるような「修行」そのものでしたね。雑用も多かったですし、同じことを何回も何回もやらされました。

こうした昔ながらの「修行」には賛否両論ありますが、私自身は厳しい修行時代を乗り越えた経験が料理長になってからの仕事に生きたと思っています。たしかに技術の習得だけ考えれば、昔ながらの修行のスタイルには非効率な面もあるかもしれません。しかし仕事は技術だけでなく、精神面、心の成長も必要です。

雑用をこなしたり、同じことを何度もやり直しさせられる経験を通して鍛えられた忍耐力があったからこそ、一人前になってから大変な問題に直面しても、乗り越えることができました。一見非効率に見える修行も、長い目で見れば仕事をする上で必要な能力を身につけるためにあったのだと今になって実感しています。

今は一から十まですべて言葉にして教え、その背景も丁寧に伝えています。時代の変化もありますが、店側にとってもその方が効率的ですからね。

ただ、同じ技術でも自分で苦労して手に入れたものと、周りからポンっと与えられたものとでは、仕事を大切にする想いが違うのではないかと思うんです。技術だけでなく精神面でも。厳しいことを経験せずにトップに立ち、問題に直面したら、忍耐力が養われていないために乗り越えられないかもしれないですね。

昔ながらの修行スタイルは悪い面ばかりが取り上げられ、非効率な部分はすべてなくしていくべきだと言われがちです。でも自分の料理人人生を振り返ってみると、修行時代に学んだことはすべて今に生きていると感じます。働き方や教育の効率性の部分は改善しつつも、目に見える技術だけではなく、長い目でみて必要な能力や精神性も身につけられるような教え方ができればと思っています。

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「御料理 茅乃舎」のホール
久原本家 提供

「料理長」になるための教育はない

御料理 茅乃舎の料理長になるまで、私に料理長の経験はありませんでした。旅館で副料理長は務めていましたが、実は料理長と副料理長の仕事はまったく異なるんです。

副料理長は、いわば現場を統括する責任者。厨房のすべてを取り仕切ります。対して料理長の主な仕事は、献立を考えること。ですから、昔は献立を決めたら現場は副料理長に任せ、自分は厨房に立たない料理長も少なくありませんでした。

今は人手が足りずに料理長が現場を見ているお店も増えましたが、本来は料理長と副料理長の仕事にはそれだけ大きな違いがあります。しかし、だからといって料理長の仕事とは何かを手取り足取り教えてくれる人はいません。みんな副料理長として現場をまわしながら、料理長がどのように献立を組み立てているのかを自分なりに考えて学んでいったんです。

もちろん私も、献立の考え方を誰かに習ったことはありません。しかも茅乃舎はゼロから立ち上げる飲食店でしたから、イメージをすり合わせるために何度も試行錯誤を繰り返しました。このお店は何を提供するためにあり、どんなお客様を喜ばせたいのか。それまでの自分の経験をすべて使って、ひとつひとつ献立を組み立てていきました。

茅乃舎
昆布と鰹節でとっただしに大分・耶馬渓の黒豚、十穀と野菜が入った御料理 茅乃舎の名物である十穀鍋
久原本家 提供

現在は開業当時の副料理長が料理長を務めていますが、料理長を引き継ぐ際に「料理長としての仕事」を教えたことはありません。向こうからアドバイスを求められたこともなかったですね。

そもそも、料理長の仕事は言葉で教えられるようなものではないんです。どうやって献立を組み立ててきたかを教えるのは簡単です。でもそれでは同じ考え方を踏襲するだけになってしまう。料理長は、自分のものづくりの哲学をつくりあげなければなりません。自分なりの哲学を持ってはじめて、自分で考えて献立をつくることができるようになるんです。

ですから言葉にして何かを伝えたことはありませんが、日々の献立を通して茅乃舎らしさを学んでいってくれていたのではないかと思います。

たとえば御料理 茅乃舎では、文化の継承に重点を置いています。ただおいしいだけでなく、日本の古き良き食文化を伝えることを大切にしているんです。その象徴が、コースに取り入れている「路代おばあちゃんの逸品」。

ふつう、料理人はコースのなかに自分以外の人がつくった料理をいれることはありません。しかし「路代おばあちゃん」こと長野路代さんが九州ならではの食材や調理法を次世代へ受け継ぐ活動をされている姿に感銘を受け、この活動を知ってもらうためにもぜひコースに入れたいと思ったのです。

料理長交代の際、何を変えて何を変えてはいけないといった指示を出したことはありませんが、この「路代おばあちゃんの逸品」は現在もコースのなかに残っています。それはこのメニューに「御料理 茅乃舎らしさ」があると現在の料理長が感じ取ったからでしょう。

「路代おばあちゃんの逸品」が含まれるコース料理
久原本家 提供

しかし、ただ同じメニューを続けるだけではなく変化も作っていかなければなりません。その際に何を大事にして何を変えるべきかを判断する材料は、誰かに教えてもらったことではなく、自分で仕事のなかで学び、作り上げた哲学にあるのだと思います。

料理人の視点と商品開発の視点

料理長を退いてから、現在は商品開発部で「料理人監修」シリーズなどの開発に携わっています。食を扱うという意味では同じですが、当初戸惑ったのはお客様自身に調理してもらう商品ならではの難しさでした。

御料理 茅乃舎では、料理に使う食材選びも火の入れ方も、すべてベストな状態で出すことができます。もっともおいしいと思えるものを、自信を持ってお出しできます。

しかし販売する商品の場合は、さまざまな状況を想定しなければなりません。入れる食材ひとつとっても、安全性を優先するために加熱殺菌しなければならないこともあります。料理人としては、加熱せずに届けた方がおいしいはずなのにと思ったことも…。レストランで培ってきたやり方が通用しないことにはじめは苦労しました。

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久原本家 提供

商品開発は料理とはまた異なる力が求められる分野ですが、今後また料理人として現場に戻るとしたら、この経験もまた献立づくりに活かせると思っています。お店で食べておいしい料理と同時に、その味を自宅で再現できるキットが開発できれば楽しみ方も広がりますから。商品開発も念頭におきながら献立を考えられるのは、開発の経験を積んだからこそですよね。

修行時代に幅広い経験をしたことが私の料理人としての成長につながったように、今取り組んでいる商品開発の経験もまた、次の「おいしさ」につながると思っています。

連載「職人の手もと」

職人の手もと」は、ものづくりに真摯に向き合う職人たちの姿勢から、日々の仕事や暮らしに生かせる学びをお伝えするシリーズです。

連載「職人の手もと」
OTEMOTO
著者
最所あさみ
リテール・フューチャリスト/ 大手百貨店入社後、ベンチャー企業を経て2017年独立し、「消費と文化」をテーマに情報発信やコミュニティ運営を行う。OTEMOTOでは「職人の手もと」連載を中心に、ものづくりやこれからのお店のあり方などを中心に取材・執筆。
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