300年前の時計は直せるのに、30年前の時計は直せない。現代の「ものづくり」が生む矛盾とは。

最所あさみ

できることなら、いいものを長く使いたい。ほとんどの人は、そう考えているはず。しかし時計の世界では、300年前のものなら直せても、30年前に作られた時計は修理できない、という現象が起きているのだそうで──。

吉祥寺にあるアンティークウォッチ専門店「マサズ パスタイム」。お店に足を踏み入れると、アンティーク家具が並ぶクラシックな空間に、磨き抜かれた美しいアンティークウォッチがずらりと並びます。そのなかには、なんと300年近く前に作られた時計も。しかもすべて現役で、きちんと時を刻んでいます。

Asami Saisho / OTEMOTO

300年も昔に作られた時計も、修理すれば現代でもまた使えるなんて…!と驚いてしまいますが、マサズ パスタイムの代表である中島正晴さんによれば、職人が手作業で製造していた時代に作られた時計だからこそ、現代でも修理ができるのだそう。

逆に今製造されている時計は、メーカーが部品の製造をやめてしまうと、修理が難しいものが多いと言います。

300年前の時計は直せるのに、30年前の時計は直せない。この矛盾はなぜ生まれてしまったのか?アンティークと修理の視点から、現代のものづくりについて考えます。

時計は本来、「一生以上」のもの

高級品の宣伝文句として、よく「一生もの」という言葉が使われますよね。しかし時計に関して言えば、私はこの言葉には懐疑的なんです。

というのも、ぜんまい式の機械時計は本来、「一生以上」のものだから。

中島正晴(なかじま・まさはる)/マサズ パスタイム 代表
法政大学在学中、スクーバダイビングのガイドとしてフィリピンとインドネシアに計2年駐在。その後大学を中退して渡米、アンティークと出会う。1990年に帰国し、東村山市でアンティークショップを開店。翌年より独学で時計修理を始める。1999年、店舗を吉祥寺に移転し、アンティークウォッチショップ「マサズ パスタイム」と改称。アンティーク時計の修復、販売に加え、独自の機械式時計の製作プロジェクトを進行。
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現在作られている高級時計の多くは、それなりの年数は動くように作られています。たとえば今40歳の人が購入したとすると、よほどのことがない限りはその人が死ぬまで使える「一生もの」なんです。

でも本来は、一人の人間の一生をはるかに超えて、何百年と動き続ける可能性を持っているのが時計の面白さです。製造されてから100年以上経った時計を「アンティークウォッチ」と呼びますが、私たちのお店には100年どころか300年前に作られた時計がたくさんあります。

ところが残念ながら、アンティークウォッチは今後減ることはあっても増えることはありません。100年経てばアンティークウォッチになるのだから、月日が経てば今の時計も100年後にはアンティークになるじゃないか、と思いますよね。でも実は1960年あたりから時計の作り方が変わってしまったことで、修理ができないものが増えてしまったんです。

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時計は精密機械ですから、100年もの間なんの故障もせずに動き続けることはできません。修理やメンテナンスができるからこそ、何百年もの間、時計として現役で動き続けることができるのです。

昔は、職人が部品ひとつひとつを手作業で作っていました。部品はとても頑丈に作られており、それらを磨いたり削ったりして微調整しながら、すべての部品がぴったりと収まるように職人の手によって組み立てられていたのです。

そのため、たとえひとつの部品が破損して使えない状態になっていても、その部品さえ復元できれば、修理してまた元通りに動かすことができます。実際に、私たちが今扱っているアンティークウォッチのなかにも、部品を再生することで修理した時計がたくさんあります。

一方で、近年の時計はアッセンブリー交換といって、部品をひとかたまりにした「ムーヴメント」と呼ばれるパーツを製造し、定期的にそのパーツごと交換する前提で作られています。

アンティークウォッチ(左)と現代の時計のムーヴメント(右)。アンティークウォッチは部品ひとつひとつが職人の手仕上げで磨かれており、随所に美しさが光る。
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しかもムーヴメントに使われている部品は、機械で作りやすいように柔らかい素材を使っていたりと、耐久性よりも効率性を重視して作られているため、アンティークウォッチの部品に比べて壊れやすいし、消耗も早い。そのため、時計を動かし続けるためには定期的にムーヴメントごと交換しなければならないのです。

しかし時計メーカーは次々に新しい製品を作っているので、どこかのタイミングで過去の部品の製造をやめてしまいます。そして部品製造が終了してしまえば、もはやメーカー自身ですらも修理はできない。

つまり今の時計は、メーカーが部品の製造を止めてしまえば、100年どころか、10年前、20年前に購入した時計ですらも、修理不可になる可能性があるのです。

このように、今と昔で時計の作り方そのものが異なるゆえに、100年以上使い続けられる「アンティークウォッチ」が、今後増えることはないのです。

「100年越しの通信教育」で修理を学ぶ

とはいえ、私もアンティークの世界にはじめて出会ったときは「なんでこんな古いものをみんな欲しがるんだろう?」と不思議に思っていました。

20代まではアメリカのダイビングショップで働いており、アンティークとは無縁の人生。しかしあるとき、知人の手伝いでアンティークマーケットに出入りするようになったのです。

マサズ パスタイムの店内には、時計以外にもお皿や小物などのアンティーク雑貨が並ぶ
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その頃はただの手伝いのつもりだったのですが、日本に帰国してなにかお店をはじめたいと思ったときに思い出したのが、アンティークマーケットでの経験でした。

そこでアンティーク雑貨を買い付けて販売をはじめたのですが、その中でも人気だったのがアンティークウォッチでした。しかし古い時計なのでほとんどは止まってしまっており、使えるようにするには修理が必要。そこでお客様に購入いただくたびに、修理屋さんへ持って行っては修理してもらっていたんです。

ところが、修理しても修理してもすぐに止まってしまう。何度もお客様からクレームを受け、結局返品されてしまうこともしょっちゅうでした。

こちらも当然修理屋さんにクレームを入れるのですが、最終的に返ってきた言葉は「アンティークウォッチはもう年寄りなんだから、多少動かなくなっても大目に見てあげてよ」というものでした。

彼らの考え方にも一理あるのですが、とはいえ商品としてはきちんと動かなければ売れないし、せっかく売れても山のように返品がきてしまう、目の前の現実があるわけです。

動くように直さなければ売れないけれど、どの修理屋さんに頼んでも「動かなくても仕方ない」と言われる。修理の世界で信頼されている、有名な職人ですらそうなのです。

「だったら、自分で修理してみるしかない」。

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ある晩、そう思い立って時計をすべてバラバラに分解し、ひとつひとつの部品を磨いたり調整したりした上で、もう一度組み立て直してみました。すると、時計が無事に動き出したのです!

それからは無我夢中で時計をいじるようになり、そのうち自分の店で売る時計は自分で修理するようになりました。

時計の修理は専門的な教育を受けた人しかできないと思われがちですが、私は時計関係の学校を出ているわけでもないですし、正規の教育は受けていません。

そう言うとよく「独学で身につけたんですね」と言われますが、実は100年前にアメリカやヨーロッパで書かれた修理本に、当時つくられた時計の修理方法が詳しく解説されているんです。

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古い文献たちは棚の飾りではなく、今でもたびたび使用する現役の参考書です。時計学校を卒業したうちの職人たちも、わからないことがあればこの「参考書」を開いて学んでいます。

当時の職人に直接教えてもらうことはできませんが、本を通して学ぶことはできる。まさに「100年越しの通信教育」ですね。

これらの本を参考にしながら修理の経験を積み、修理できるものの幅を広げていった結果、自分たちの売り物だけではなく、お客様から預かった時計の修理も引き受けるようになっていきました。

「なぜこの価格なのか」。技術料に納得してもらう

自分が修理に出す側だった頃は、修理の職人さんたちは修理が面倒だから「アンティークウォッチはもう年寄りなんだから」と言い訳しているのだろうと思っていました。実際、一晩かければ素人の私でも修理できたのだから、できないわけではなかったはずなんです。

ではなぜ修理を断られてしまうのか。それは修理単価が低すぎるがゆえに、かける労力がリターンと見合っていないからです。

たとえば一般的な時計の分解掃除は、1万〜2万円が相場ではないでしょうか。しかしうちでは、一般的な分解掃除は4万〜6万円の料金をいただいています。

店内の奥では職人たちが作業をしている
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なぜそんなにかかるのか。その理由をお客様に説明し、納得していただくのは大変な作業です。しかし、この手間を惜しんでしまうと真っ当な仕事ができませんし、職人の技術に正当な対価が払えなくなってしまう。だからこそ、納得いただけるまで丁寧に説明をします。

特に、分解掃除は「時計のなかを綺麗にするだけなのだからどの修理店に行っても同じだろう」と考える方もいらっしゃいます。

しかし、実は分解掃除で時計が壊れてしまうこともあるのです。特にアンティークウォッチは今の時計と違い、細かな部品をひとつひとつ絶妙なバランスで組み立てる技術が求められます。慣れていないと作業中に部品を傷つけたり、ゆがませてしまったりして、逆に修理が必要になることもあります。

他店に分解掃除を依頼してしまったがゆえに時計が壊れてしまい、あとからうちで20万円以上かけて修理をした、なんて事例もあります。あとで20万円を払うくらいなら、今5万円かけて分解掃除をしたほうが結局はお得ですよね。このように価格の理由と価値を説明しながら、納得していただいています。

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さらに、作業単価が低いと設備投資をして機材を揃えるのが難しいという問題もあります。

アンティークウォッチは部品を再現できれば修理できるので、そのための機械が購入できれば、修理できるものの幅はグッと広がります。うちのお店でも、アンティークウォッチの部品を再現するために、製造された当時に使われていた機械をいくつも所有しています。修理単価が低すぎると、こうした機械を揃えるためのお金が工面できません。

歯車の歯を調整するための機械。現在も修理の際に現役で使われている
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時計の文字盤に模様を施すための機械。アメリカで見つけ、日本まで持って帰ってきたという
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料金に納得してもらうプロセスは、たしかに大変な作業です。見積もりを出した際、数十万円の修理費用に驚かれる方も少なくありません。しかし、修理にどれだけの工数がかかり、どれだけの技術と設備を揃えて修理をしているかを丁寧にお伝えすれば、料金の妥当性も理解していただけます。

高い技術を残していくためには、続けていけるだけのお金を稼がなければならない。そしてそのためには、なぜその価格設定なのか、背景を丁寧に伝える手間を惜しんではならないと思うのです。

数千円の時計を20万円かけて直す理由

修理費用は、修理にかかる時間や難易度、技術によって決まるので、時計そのものの金額は基本的には関係ありません。高い時計だから修理代金が高くなるわけではありませんし、逆に安く買った時計だから修理費用も安くてすむわけではありません。

蚤の市やオークションサイトで数千円で販売されているアンティークウォッチを、20万かけて修理されたお客様もいます。

そもそも、市場価値とその人にとっての価値は別物ですよね。思い入れがあるものなら、売っても数千円にしかならない時計だとわかっていても、数十万かけてでも直したいと思う人もいるでしょう。しかもアンティークウォッチの場合、直すことはできても新しく同じものを作ることはできないので、なおさらです。

修理に20万と聞くと高額に聞こえるかもしれませんが、アンティークウォッチの場合は、一度完全に修復すれば、あとは定期的なメンテナンスだけで、この先何十年、ひょっとすると何百年も使える可能性があります。

その一方で、1000万も出して買った有名ブランドの時計がたった8年で壊れてしまい、メーカーからも修理不可と言われてしまった、なんて例を耳にすることも。

そんな話を聞いていると、やはり今の高級時計は長く使うことを前提に作られてはいないのではないか、と思ってしまいます。

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そもそも現代は、「高いもの=いいもの、長く使えるもの」ではなくなってきていますよね。

何千万もする高級時計も、蓋をあけて中を見ると、仕上げに美しさを感じられないことがあります。部品の多くが機械で作られているため、フチを手仕上げで面どりしたり、ネジの溝にいたるまで美意識が光るアンティークウォッチに比べると、どうしても見劣りしてしまうんです。

中身はお客様には見えない部分ではありますが、何千万もする時計ならば、中身まで美しくあってほしいですよね。

もちろん、部品のひとつひとつまで磨き上げるには労力がかかりますから、時計は大金持ちしか手に入れられないものでした。

しかしその正確さ、仕上げの美しさには大金を払うだけの価値があった。しかも、メンテナンスすれば何百年も使えるのですから、まさに「高いものは長く使える」が成り立つ時代でした。

ところが機械化が進み、時計のつくり方も変化した結果、価格はそのまま「価値」を表すものではなくなってきているとつくづく感じます。

店内の家具や装飾品もほとんどがアンティークのもの。
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今は、本当に「いいもの」を見分ける審美眼を磨くのが難しい時代だと思います。有名なブランドで買った時計やバッグは、「高いもの」かもしれませんが、すべてが「いいもの」とは限りません。

ブランドや価格といった記号に惑わされず、どれだけ美しく丁寧につくられたものであるかを評価できる軸をもつ消費者が増えれば、ものづくりの仕方もまた変わっていくのではないかと思います。

これからのアンティークをつくる

とはいえ、いち経営者の視点で考えれば、昔ながらのつくり方ではリスクが高すぎるし、採算が合わないのも理解できます。

うちの店でもオリジナルのカスタム腕時計をつくっていますが、たとえば文字盤にはプリントではなく「エングレイヴィング」という手法で、手作業で文字を彫っています。とても細かな作業なので、ひとつの文字盤をつくるのに一週間はかかってしまうし、途中でミスをしてしまえばまたはじめからやり直しです。

文字盤がプリントではなく手作業で彫られたアンティークウォッチ。こうした細かい作業ができる職人は現在とても少なくなっている
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さらに最終の組立工程で傷をつけたりしてしまえば、そこまでの労力はすべて水の泡。こんなにもコストとリスクがかかる方法は、経営の視点で見れば合理的ではありません。

しかしアンティークウォッチの美しさ、精巧さを知れば知るほど、そこに使われている技術が施された「いい時計」を、もっとこの世に増やしていきたいと考えるようになりました。

「アンティークウォッチはもう増えない」と諦めるのではなく、これから100年後にアンティークウォッチになるような時計をつくるために、現在はオリジナル商品の製造にも注力しています。最近では、スイスをはじめとするヨーロッパの国々で「独立時計師」を名乗り、昔ながらの技術をつかって時計をつくる工房も出てきました。

アンティークウォッチが製造されていた頃の技術はすでに失われてしまったものもあり、技術を復活させてさらに一人前の職人を育てるとなると、それだけでも長い時間がかかります。

でも、せっかくこれまで培われてきた「いい時計」をつくる技術が、私たちの時代で途絶えてしまうのはもったいないことですよね。何百年経っても色褪せずに美しさを放つアンティークウォッチを見てきたからこそ、現代でも、数百年後まで残るものをつくりたい。

そんな思いで、日々アンティークウォッチとものづくりに向き合っています。

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「ものづくり」についてさらに知る

OTEMOTOでは、職人の考え方や哲学を紐解く「職人の手もと」シリーズを連載しています。ものづくりに真摯に向き合う職人たちの姿勢から、日々の仕事や暮らしに生かせる学びをぜひ受け取ってください。

連載「職人の手もと」
著者
最所あさみ
リテール・フューチャリスト/ 大手百貨店入社後、ベンチャー企業を経て2017年独立し、「消費と文化」をテーマに情報発信やコミュニティ運営を行う。OTEMOTOでは「職人の手もと」連載を中心に、ものづくりやこれからのお店のあり方などを中心に取材・執筆。
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