ヘラルボニーが戦略的に狙う、社会変革の「近道」。盛岡、銀座、パリに相次いで出店
障害のイメージを変えることを目指し、障害のある作家と契約してビジネスを展開している「へラルボニー」は2025年3月、東京・銀座と岩手・盛岡に相次いで出店しました。2024年7月には、フランス・パリに現地法人を設立。都心、地方、海外、それぞれの土地でビジネスを進める背景には「アートの力で障害のイメージを変えたい」という想いがあるといいます。
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Akiko Kobayashi / OTEMOTO
見えない壁を溶かす
「銀座は『障害』とは遠い場所でした」
2025年3月15日、東京・銀座にへラルボニー初の常設店舗「HERALBONY LABORATORY GINZA」がオープンしました。代表取締役 / Co-CEOの松田文登さんは、高級ブランドが軒を連ねるいわば資本主義の中心地に出店した経緯を、こう説明しました。
「一等地に福祉に関する施設を建てようとすると、土地の値段が下がる懸念から反対されることが多いんです。しかし今回、『へラルボニーの出店は、むしろ地価を上げる可能性がある』と開発業者から言ってもらえました。銀座ラボラトリーは、常識という見えないボーダーを、アートの力で溶かす実験場にしていきたい」
写真:北川滉大
へラルボニーは、文登さんと双子の弟の崇弥さんが、重度の知的障害を伴う自閉症の兄の翔太さんがありのままに暮らせる社会を実現したいという思いで、2018年に創業しました。
障害のある作家が描くアート作品の知的財産を管理し、使用料の一部を作家に支払うビジネスモデル。この3年間で、作家が得た報酬の総額は15.6倍になったといいます。
2024年5月、日本企業で初めて「LVMH Innovation Award 2024」で部門賞を受賞し、2025年6月には世界最高峰の広告賞「カンヌライオンズ2025」のグラス部門で「GOLD」を受賞。主催する国際アートアワードには、世界65の国と地域から2650点の応募がありました。
創業から7年目にして、世界が注目するクリエイティブカンパニーとなっています。

1991年岩手県生まれ。東北学院大学卒。株式会社タカヤで被災地の再建に従事後、双子の弟・崇弥と共にへラルボニーを設立。4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、福祉を起点に新たな文化の創造に挑む。ヘラルボニーの国内事業、主に岩手での事業を統括。岩手在住。Forbes JAPAN「CULTURE-PRENEURS 30」選出、第75回芸術選奨(芸術振興部門)文部科学大臣新人賞 受賞。
松田崇弥(まつだ・たかや) / 株式会社ヘラルボニー 代表取締役/Co-CEO(写真右)
1991年岩手県生まれ。東北芸術工科大学卒。小山薫堂が率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉を社名に、双子の兄・文登と共にヘラルボニーを設立。「異彩を、放て。」をミッションに掲げ、福祉を起点に新たな文化の創造に挑む。ヘラルボニーのクリエイティブ統括。東京都在住。Forbes JAPAN「CULTURE-PRENEURS 30」選出、第75回芸術選奨(芸術振興部門)文部科学大臣新人賞 受賞。NPO法人ニューロダイバーシティ理事。
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銀座で選ばれる価値
満を持して銀座に出店したとも言えますが、実は創業のきっかけも銀座にありました。
2015年、岩手県花巻市の「るんびにい美術館」で知的障害のある人たちのアートに触れて衝撃を受けた崇弥さんは、アートを広めるために文登さんら仲間と相談。障害のある人とそうでない人を区別する壁を取っ払って「心を結びたい」として、アート作品でネクタイをつくることを構想しました。どのメーカーからも門前払いされる中、最初に製造を請け負ってくれたのが、創業1905年の老舗紳士洋品ブランド「銀座田屋」でした。
勢いのある筆致や鮮やかな色使いをプリントではなく織地で再現したいと希望したところ、クレヨンのかすれまでも忠実に織り上げられたネクタイが完成。障害のある作家と老舗メーカー、デザインとものづくりが、互いをリスペクトした商品になりました。
創業期に銀座でそんな仕事ができたからこそ、今回の出店は「銀座で、選ばれることに挑戦するチャンスをいただいた」だと崇弥さんは語ります。
「支援やチャリティーの文脈ではなく、純粋にアートとして手にしてもらいたいです」

本場から挑戦する
銀座に先立ち、アートの聖地であるフランス・パリでもすでに挑戦は始まっていました。世界最大級のスタートアップ集積施設「StationF」を拠点に、現地の企業との商談などを進めています。
「海外進出の最初の地にパリを選んだのは、フランス語で『生の芸術』を意味する『アール・ブリュット』の本場だから。ど真ん中のパリで評価を得られたら、すべての場所での挑戦チケットを得られると考えました」(文登さん)

出典:ヘラルボニー
ヘラルボニーは、ビジネスで成功することがすなわち社会を変える「近道」になるという考え方を貫き、大きな変革を起こすために都心や海外に進出を果たしました。
一方、地道にその実践をしてきたのが、創業の地である岩手県盛岡市です。

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盛岡の観光資源になる
人口約28万人の盛岡市。歴史が息づく街をヘラルボニーのアートで彩られた路線バスが運行し、ヘラルボニーがアートプロデュースを手がけたホテルには国内外からの観光客が宿泊します。

Akiko Kobayashi / OTEMOTO(写真右)

2025年3月29日には、市内の老舗百貨店「パルクアベニュー・カワトク」に旗艦店「ISAI PARK」がオープンしました。併設されたカフェで「いらっしゃいませ」と声をかけるのは、施設外就労として働く「いわてひだまり農園」のキャストたち。盛岡の食文化や観光名所を発信する拠点の役割も担います。

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地元の人にとっては生活に溶け込んでいて、観光客にとっては訪れる目的の一つになる。それがヘラルボニーの目指すところだと、文登さんは話します。
「へラルボニーが観光資源の一つになると、おそらく障害福祉の歴史が変わるのではないでしょうか。今まで『支援』の対象と思われていた人たちが、観光やファッションやショッピングといった資本主義のど真ん中に参入し、たくさんの人たちが時間やお金や手間を使うようになる。営利活動の枠を超えて、余白や問いをつくれる行為だと思っています」
そこから生み出したいのは、「多様な人たちが過ごしやすい土壌」だといいます。
「カフェで働いている人に障害があるとあえて言う必要がないのが、へラルボニーでは普通なんです。そんな状態を社会にも広げたい。障害という言葉を使わなくても、盛岡にくるとなんだか優しい、なんだか過ごしやすい、と感じられるようなまちにすることが、私たちの役割です」
Akiko Kobayashi / OTEMOTO
