「もう使わないのに手放したくない」のはなぜ?「愛着」の研究から見えた、大切なものと出会い直す方法とは
大切にしていたけれど着る機会が減ってしまった洋服。譲ってもらったまま身につけずしまいこんでいるジュエリー。使わないのに手放すことができないモノが、ある日、「私のこと、忘れてない?」と問いかけてきたらーー。「愛着」という複雑な感情を、デザインの力で可視化する研究が進んでいます。その先にある、モノの価値を問い直す社会とは。法政大学デザイン工学部教授のソンヨンアさんに、最新の研究について聞きました。
ーーソンさんは、人間とモノのインタラクション(相互作用)による感情の変化を研究されています。どのような研究内容なのでしょうか。
私はもともと工学系の研究者ですが、「ヒューマンコンピュータインタラクション」という分野で人と機械の相互作用を研究するうちに、人間の心をくすぐる技術に関心をもつようになりました。人間の心を動かす体験をデザインする「アフェクティブデザイン(Affective Design)」を中心に、新たな価値を生み出す研究を進めています。
学生時代は、匂いを記録するシステムをつくり、日常生活の匂いを分析することに試みました。匂いは人の記憶と結びついていて、通りすがりに嗅いだだけでも感情の変化を起こす可能性があるからです。
また、冬に展示会をしたときに、場所に応じて温度が変わる耳当てをつくり、来場者につけてもらいました。会場内のある地点に行くと温かくなり、ある地点に行くと冷たくなります。すると、耳当てが温かくなる場所にどんどん人が集まってきて、知らない人同士がしゃべり始めたんです。
技術には、効率性を追求するだけでなく、人と人との間にある壁をなくしたり、心を温かくしたりする力もあることにおもしろさを感じ、デザイン工学の領域から、人とモノ、人と人との関係性を探求するアプローチを続けています。
最初は感覚から生まれる感情やコミュニケーションの変化に興味があったのですが、最近の研究テーマは、より高次元な「主観的価値」に移っています。例えば「思い出」や「愛着」のように個人の体験や記憶に基づく感情と、モノとの関係性が気になっています。
愛着は変化する
ーー「愛着」という言葉には情緒的なイメージがありますが、心理学ではなく工学系の研究との接点が気になります。
「愛着とは何か」と聞かれると、きっと人によって答えが違いますよね。その感情を、言語や行動のように客観的にわかりやすいものに落とし込むことに挑戦しています。
学生たちに「長く使っていないけれど大切なモノ」の写真を撮ってきてもらい、そのモノにまつわる物語を語ってもらう授業をしました。昔使っていたスマートフォンや洋服、ディズニーのカチューシャなどがありましたね。そのモノを手に入れたときから現在までの愛着の大きさ、つまりその人にとってモノの価値がどのように変化したかを「愛着グラフ」に記録してもらいました。
そうすると、その人にとってのモノの価値が変化するポイントは、過去のこともあれば、未来のこともあるということが可視化されました。例えば、ここ数年ずっと着ていない洋服があるとします。「お母さんと出かけたときに着ていた思い出があるから捨てたくない」というのは過去に価値があり、「サイズアウトしたけれど、ダイエットが成功したら着たいから残しておく」というのは未来に価値があるというわけです。
価値に正解はないのですが、ブランド名や価格などの資本主義的な価値だけではなく、その人にとっての「主観的価値」もまた、モノを持ち続けたり、売ったり買ったりするときの重要な要素になりうることがわかります。新たにモノを買わなくても、すでに持っているモノの価値が上がることがありますし、自分にとっては価値がなくなったモノでも、ほかの人に売ることで価値が変化することもあるからです。
多様な主観的価値に焦点をあてることによって、人間の複雑な欲望や潜在的なニーズを深堀ることができるのです。
自分だけの名前や物語
ーーすでに持っているモノの主観的価値を上げるには、何かきっかけが必要なのでしょうか。
それがまさに私たちが研究している「アフェクティブデザイン」の役割です。モノを大切に思う感情を呼び起こす仕掛けをデザインするのです。
例えば、持っているモノに自分だけの名前をつけるワークでは、名前をつけるモノにこもっている主観的価値が明らかになったり、前よりもっと大切にするようになる可能性が示唆されました。
また、ある学生は、しばらく使っていないモノが「私のこと、忘れてない?」と呼びかけるように「ポロン」と小さく音が鳴るプロダクトを考えました。「音楽や声よりも小さな音のほうが、持ち主に愛着を感じさせると考えた」のだといいます。
研究室の学生の中には、商品に目玉をつけて購入を促す行動変容を考えるアイデアや、古着を大切に使っていた前の持ち主の思い出を商品タグにつけることで服の思い出を共有できるアイデアに取り組んでいる人もいます。
モノの価格や見た目、使用期間にかかわらず、人とモノのインタラクション(相互作用)によって人間の感情に変化が生まれ、主観的価値は変化するのです。
ーー職人が丁寧に手づくりしたモノには「つくり手の想い」が宿り、人から譲り受けたモノには「使い手の想い」がこもっているとみなすことも、主観的価値の一つになりえそうです。研究ではさらに踏み込んで、モノ自体を擬人化する発想もあるのですね。
女性研究者3人でおこなった共同研究「rapoptosis(ラポトーシス)」では、モノが自ら別れを告げる仕組みを提案しました。
着ていない期間が長くなった服が、「もう◯日、着てくれてないです」「いろいろなところに一緒に行けて楽しかったです」「私を着てみたいという人が◯人います」などと、持ち主に向けてメッセージを発するというもの。服からいつどんなメッセージを受け取ると、持ち主は別れを選ぶのか、他の人に譲ろうとするのか、持ち続けることを選ぶのか。ワークショップなどから人間の感情の変化を分析しました。
私は洋服をたくさん持っていて、整理するのに苦労していたときに、ふと「私が着ない服は私から離れていったほうが、服も私も幸せなんじゃないだろうか」と考えたんです。
モノを手放すタイミングは人間が主体的に決めて行動するものですが、逆の発想で、モノが自ら居場所を探していくとどうなるんだろう?モノから別れを切り出されたときに人間は受け入れられるのか?といった疑問から、この研究が生まれました。
rapoptosisにおいてモノが別れるタイミングやメッセージをデザインした際、着ていない期間が長くても思い出深いから別れたくない服があったり、メッセージの内容によってはまた使いたくなるというフィードバックが多くありました。効率性のような客観的価値では語れない、モノそのものが持っている「記憶」や「思い出」のような主観的価値の重要性を改めて感じました。
モノと出会い直す
SDGsやエシカル消費という概念が一般的になり、使わなくなったモノを再利用するサービスは広まってきました。ただ、ここでいう再利用の価値は、機能性や原価、使用頻度などの数値化できる価値のみで測られ、モノと持ち主との思い出や愛着といった主観的価値はあまり考慮されません。この研究は、そんな現象へのアンチテーゼでもあるんです。
「地球環境を守るためにリユースすべき」というコミュニケーションは、ときに窮屈に受け止められ、「エシカル疲れ」を引き起こしがちです。これが欲しい、かっこいい、自慢したいなどの人間の率直な感情を汲み取り、楽しみながらサステナビリティに取り組める仕組みをつくれるといいですよね。
ーー長く使うためにモノの新しい価値と出会い直すという意味では、リフォームも選択肢のひとつになるでしょうか。
リフォームは、モノの形を変えたとしても、そのモノが持っている「愛着」や「思い出」を受け継いでいくための方法ですよね。受け継いだ主観的価値に、現代性やいまの自分に合う価値を上乗せして、さらなる付加価値を生み出していく選択だといえます。
最近では、過去の価値である「思い出」と、未来の価値である「期待」をつなぐ技術も生まれています。
身近なモノを例に挙げると、親から子、孫へと受け継いでいくジュエリーであれば、例えば祖母が身に着けていた当時の様子を画像生成することもできますし、孫が身に着ける様子をシミュレーションする映像をデザインすることもできます。つまり、主観的価値を大切な人たちと共有したり、新たに生み出すこともできるわけです。モノをめぐるストーリーがより広がり、「愛着」のかたちも変わっていくでしょう。
ーー「愛着」などの主観的価値に注目した研究は、社会にどんな変化をもたらすのでしょうか。
感情の研究は、今まで見えなかった新しい物差しをつくることに近いと考えています。
主観的価値というモノの価値が存在することが広く認知され、共通言語で語られるようになると、資本主義の市場に新たな物差しが生まれますし、個人のモノとの付き合い方も変わってきます。
持っているモノの価値をとらえ直したり、モノの形を変えて付加価値をつけたりすることで、社会全体で主観的価値の総合値を底上げすることができるでしょう。
たとえ資本主義的な価値の物差しでは測れなくても、人間の心にとって重要な価値を上げていくことこそ、豊かさだといえるのかもしれません。それが金銭的にも高い価値となる可能性があるという点では、私たちデザイナーも挑戦しがいがありますね。
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