「父親」「母親」の肩書を、夫婦で交互に脱ぐことにした話

五月女菜穂

「子どもを産んだら自分の時間はなくなるよ」。これはよくある”アドバイス”ですが、本当にそれ、これから出産する人に伝え続けたいことでしょうか? コロナ禍で出産し、2歳の娘を育てているライターの五月女菜穂さんが、夫婦それぞれの「自分時間」をつくるようになるまで。

2020年4月に生まれた長女と。
Naho Sotome

「いつから母親になる自覚が生まれたんですか?」

先日、そんなことを聞かれた。聞いてきたその人は結婚して、なんとなく子どもが欲しいと思っているけれど、夫は「今は子育てよりも、自分の趣味の時間を優先したい」というのだという。その人自身、夫の気持ちも分からなくないらしい。

「自分の人生、まだまだ楽しみたいじゃないですか。だから、いつから母親になろうと思ったのかなと思って」。その言葉が心の澱として残っている。

実際、私も子どもを授かる前、「自分の時間はなくなるよ」「今しかできないことをしておいた方がいい」といろいろな“先輩”たちから聞かされていた。

私は母親である前に、一人の人間であるのだけれど、確かに子どもにとっては世界にたった一人の母親であるから、そうだよな、自分よりも子どもを優先するべしなんだよなと、漠然と思っていた。

娘と私。
土曜日と日曜日は家族の時間なので、楽しみなのだけど、全力なので、どっと疲労がたまる。
Naho Sotome

マスク生活でママ友ができない

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、1回目の緊急事態宣言が出された2020年4月。ワクチンもなかったし、今よりずっと「未知のウイルス」という恐怖もあった2年前の春。私は第一子である長女を産んだ。

きっとみんなコロナ禍での生活はしんどかったと思うけど、とりわけ子育てに関しても正直、結構しんどかった。

夫ですら出産後の面会もままならずだったし、沐浴や離乳食について学ぶ両親学級は全部中止になった。保育園も何度もコロナ休園になったし(それでも運営し続けてくれているのはありがたいのだけど)、娘が「濃厚接触者」になって1週間の自宅待機になったこともある。

発熱したときは万が一を考えて抗原検査キットを買って検査をした。マスクをして見知らぬ人との会話もできないから、娘を通じて知り合った純粋な“ママ友”もいないし、遊び場もそのときの感染状況によって閉じていることが多かった。

一方、生まれてから今までコロナ禍で育った娘は、外出時にいつも「かっか(※お母さんの意味)、マスク持ったあ?」「シュッシュ(※手指消毒のためのアルコール)する!」なんて無邪気に言っている。そんな姿にも胸がキュッとなる。

一つひとつのストレスは小さいものかもしれない。けど、いつもどこかに孤独や孤立、不安を感じていて、娘を守らなくてはという責任感も常に背負っていた。

それでも、かろうじてやってこられたのは、夫の存在が大きかったと切に思う。

フリーランスの私と、会社員の夫。出産前から、夫婦で共働きをしながら育児をしようと決めていたので、夫は育児休業を3ヶ月間とった。

初めての子育てゆえ、右も左も分からなかったけれど、3ヶ月の間に、夫も私もひとりで授乳やオムツ替えを一通りこなす「ワンオペ」スキルを身につけることが目標だった。そして4ヶ月目から娘を保育園に預け、夫婦で同じタイミングで仕事に復帰した。

納豆や魚が好きな娘。毎度毎度盛大に食べ散らかすが、食欲旺盛で嬉しい。
Naho Sotome

「母親」の肩書を置いておく

娘が熱を出したら。保育園からお迎えの要請があったら。コロナで休園になったら。娘の下痢便が続いたら。万が一私か夫のどちらかがコロナ陽性になったら。

今週の土日は何をする?今日はどちらがお風呂に入れる?夕食の準備はどうする?寝かしつけは?もう挙げたらキリがないけれど、毎日考えるべきことがいっぱいあって、まさに分刻みのスケジュールだった。

私ひとりでは到底、仕事と子育ての両立はできない。たまに両親や義両親の手も借りているが、基本的には夫と協力して乗り切るほかなかった。

だから、スケジュール管理から日々の買い物リストまで、とにかく細かく逐一話し合った。そして、お互いがお互いらしくいられるように、それぞれの「自分の時間」をつくろうと決めた。

夫が飲み会に行くのであれば、別の日に私も仲の良い友人と食事にでかけた。夫が趣味のスノーボードに興じるのであれば、別の日に私もミュージカルの夜公演を観劇した。

もちろんコロナの感染状況を鑑みつつではあったけれど、「父親」や「母親」という肩書きを一旦置いておける時間をつくった。家族の時間も大切にしているけれど、それと同じくらい息抜きの時間を平等に設けるようにした。

「ああ、生きている」の3時間

娘が1歳半になってからは、娘を親に預け、はじめて寝かしつけまでお願いした。誕生日のお祝いを兼ねて、夫婦二人でちょっと高級なフレンチに行った。

どちらか一方に負担がかかりすぎないように、ストレスを理不尽にぶつけあわないように。まさにギブアンドテイクの精神。飲み会だって、観劇だって、長くて3時間ぐらいの話だけれど、その時間があるだけで、大袈裟でなく「ああ、生きている」と思っていた。

もしも第二子ができたら、また状況は随分と変わると思う。けれど、今、こうして試行錯誤しながらも、夫婦で仕事も子育ても頑張っている。自分らしさもかろうじて保てている。

「母親としての自覚」と地続きにある、「母親なのだから」という呪縛。それは社会的にも確かにあるし、自分自身の中にも潜在的にある気がする。だけど、それを一人で背負う必要はなくて、頼れるものがあるのなら、頼っていい。男女がもっと平等であっていい。

私たちは、ともに働きながら、ともに子どもを育てるということを選択した。それも自分の人生なんだ。楽しい人生を過ごしているんだ。そう胸を張って言える私たちであり続けたい。

著者
五月女菜穂
1988年11月、東京都生まれ。朝日新聞の記者としてキャリアをスタートさせ、2016年に独立。フリーランスのライター/編集者として活動しているほか、旅好きフリーランスコミュニティ「@world」を共同運営している。2020年4月に長女を出産。
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