授業のあとに犬がぐったり。動物を使った「命の教育」は必要?

太田匡彦

動物園や小学校で、子どもたちが動物にふれあったり飼育したりする「教育」が広く行われています。命を大切にする心や他者への思いやりを学べると評価される一方、教育効果に疑問がつきまとい、動物福祉の観点からも問題が指摘されるようになっています。生きた動物を「教材」として利用する必要はあるのでしょうか。現場や専門家を取材し、考えました。

本物の動物を使わない

犬や猫、ウサギ、ブタ、シカなどの張り子20体を前に先生が問いかける。「命を持っているのは人間だけ?」。小学校低学年の子どもたちは「動物も生きている!」と元気に返す。

次に先生は、家族だんらんの横で犬だけがケージに入れられている絵を見せる。子どもたちは「寂しそう」「外に出してほしい」などと犬の気持ちを想像し、言葉にする。

奈良県宇陀市の県営施設「うだ・アニマルパーク」が、県内の小学生を対象に行っている「いのちの教育プログラム」だ。動物を使ったいわゆる「動物介在教育」の一環だが、本物の動物はいない。

代わりに使うのは、張り子の動物 。英国のRSPCA(英国王立動物虐待防止協会)を視察した、うだ・アニマルパーク振興室の獣医師、藤井敬子さんたちが、そこで行われていた教育プログラムを参考に作り上げた。

藤井さんは取材に、こう振り返る。

「奈良県ではそれまで、小学校に犬を連れて行き、子どもたちにさわらせたり、心臓の音を聞かせたりする、ほかの多くの自治体と同様の定番のやり方で教えていました。でもこの手法には、いつもひっかかりを覚えていました。授業を終えて連れ帰ると犬がぐったりと疲れ、体調を崩すことがよくあったからです」

うだアニマルパーク
うだ・アニマルパークは「いのちの教育プログラム」で張り子の動物を使用している。本物の動物は使わない
Masahiko Ohta

RSPCAの視察で、目からうろこが落ちる思いだったという藤井さん。

「自分たちがやってきた本物の動物を使う教育では、動物に負担をかけるのはもちろん、子どもたちに『動物は我慢させてもいい』『動物の気持ちを考える必要はない』『動物は人間ほどの価値がない』などと誤った情報を伝えてしまっていたことに気付きました。子どもたちが喜んで犬をさわっている姿に満足して、本質的なことから目をそむけていたのです」

視察から帰国後、数年かけてプログラムを開発。2012年度からスタートさせた。

プログラムでは学ぶべきポイントを、大きく三つに整理している。人間はペットや家畜など様々な動物との関わりのなかで生きていることに「気付き」、動物には人間と同じように感情があり、生きる上で必要なもの(ニーズ)があるのだと「共感」し、関わりのあるそれぞれの動物に対して果たすべき「責任」があるということを、3回にわけて教える。

プログラム実施の前と後にアンケートをとると、「人間も動物も尊い命を生きているのだという理解が、確実に深まっていることがわかる」と藤井さんはいう。

「ふれあい」で得られるものは

子どもに命の大切さを教え、他者への思いやりの心を育む、いわゆる「命の教育」。その典型的な手法として、幼稚園や小学校でウサギやニワトリを飼育したり、動物園でテンジクネズミ(モルモット)などの小動物にふれあわせたりする「動物介在教育」が広く行われている。

命の教育の重要さは言うまでもない。だがわざわざ、生きている、本物の動物を「教材」にする必要があるのだろうか。近年、動物福祉への配慮が厳しく問われるようになっていることもあり、疑問の声が大きくなってきている。

学校での動物飼育は明治以降、動物園でのふれあい体験の提供は戦後すぐの頃からと言われる。1992年度には学習指導要領で、動物飼育は「生活科」の中に位置づけられもした。

それなりに長い歴史があるのだが、多くの場合は前例踏襲的に行われていて、適切な教育プログラムが整備されてきたわけではない。このためそもそも、教育効果があげられていないのではないか、という指摘がつきまとう。

学校で動物を飼育していても、教職員や飼育係の生徒だけが世話にあたっているケースが一般的で、それでは命の教育の意味をなさない。熱心に世話をしても、卒業したらその動物との関係が終わるのだから、命の大切さは学びにくい。

動物園でのふれあいは、子どもにとって一時的で一方的な体験にとどまり、なおさら効果は疑わしい。「心臓が動いている」「さわると温かい」と知ったからといって、命の教育になるだろうか。その程度のことなら、家庭で親が伝えれば事足りるはずだ。

「動物のプロ」がいない学校

前述の通り、動物福祉への配慮という観点からも、問題がある。動物になるべくストレスをかけないよう、動物本来の生態に十分に配慮した飼育を求める潮流は世界的に強まっている。

そもそも学校の教職員は「動物のプロ」ではなく、テンジクネズミやウサギの習性にかなった飼育方法を普通は知らない。学校の飼育施設も動物の習性を考慮して建てられたものではなく、猛暑や水害などの災害にも対応できていない。動物が病気やケガをした際の獣医療費が、予算として計上されている学校もまれだ。こうしたことから時に虐待的な飼育環境に陥る。

プロがいる動物園でも、見ず知らずの子どもが次々と一方的にさわるため、動物のストレスになっているとする調査結果も出ている。野生下では捕食される側のテンジクネズミやウサギは、そもそも警戒心が強い動物なのだ。

京都市動物園では2019年、テンジクネズミの唾液を採取し、ストレスがかかると増加するホルモン「コルチゾール」の濃度を調査した。すると、ふれあいをした後のほうが、ふれあいをする前に比べて、有意に濃度が高まることがわかった。同園ではコロナ禍でふれあいを休止したが、通常通り行っていた19年上半期と休止期間中にあたる20年上半期とを比べると、テンジクネズミを獣医師が診療する機会が72件(19年上半期)から38件(20年上半期)に減少したというデータも出てきた。

適切な飼育の手本を子どもに見せられないようでは、命の大切さを教えるどころか逆効果になる。悪循環だ。

京都市動物園
京都市動物園の「ふれあいコーナー」のテンジクネズミ(2022年7月)。週末ともなると親子連れの行列ができていたが、ストレスを考慮し、2022年10月からはさわらずに観察するプログラムを試行する
Masahiko Ohta 

教職員が休日も世話

近年になってさらに二つの課題が浮上している。教育現場では長時間労働の問題が深刻だ。教育効果があまり期待できず、休日も災害もコロナ禍も関係なく世話をしなければいけない動物に、教職員は時間を割く余裕があるのだろうか。現場の教職員こそ、限界を実感しているのではないか。

また、希少な野生動物を飼育・展示する動物園では、役割として生物多様性の保全に重きが置かれるようになってきている。動物園の機能に「教育」が求められていることは確かだが、それは生物多様性や環境保全の大切さを教える「環境教育」であるべきではないか――。そんな声が、動物園関係者からは聞こえてくる。

これまでの動物介在教育のあり方を見直す時期にきているのは明らかだ。

奈良県が、生きた動物を使わない教育プログラムについて他自治体向けの研修会を実施すると、毎回10近い自治体から参加がある。実際にプログラムを導入した自治体も複数あるという。動物愛護団体が、保護犬・保護猫の世話に子どもをボランティア参加させることで、命の大切さなどを伝えようとする試みも出てきている。

学校や動物園だけに頼らない、動物に負担をかけない教育を、すべての関係者が本気になって模索してほしい。

著者
太田匡彦
朝日新聞記者 / アエラ編集部在籍中の2008年に犬の殺処分問題の取材を始めた。著書に『犬を殺すのは誰か ペット流通の闇』、『「奴隷」になった犬、そして猫』(いずれも朝日新聞出版)、共著に『動物のいのちを考える』(朔北社)、『岐路に立つ「動物園大国」』(現代書館)など。
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