夢は語らない。ロシアの名門劇場で舞うバレエダンサー、永久メイの挑戦

難波寛彦

ロシア・サンクトペテルブルグの名門バレエ団、マリインスキー・バレエでファースト・ソリストとして活躍する永久メイさん。17歳で日本人史上2人目のバレエダンサーとして入団後、現在はファースト・ソリストとして舞台に立ち続けています。そんな永久さんに、幼少期から続けてきたバレエやサポートしてくれたご両親への想いについて聞きました。

ロシア・サンクトペテルブルグ。この街のランドマークとしても知られるマリインスキー劇場のバレエ団で、主役級のファースト・ソリストとして舞台に立っているのは、日本人バレエダンサーの永久メイさんです。

13歳でバレエ学校のモナコ王立プリンセス・グレース・アカデミーに留学し、17歳で日本人史上2人目のバレエダンサーとしてマリインスキー・バレエに入団した永久さん。23歳となった現在も、世界的な名門劇場の舞台に立ち続けています。そんな永久さんに、幼少期から続けてきたバレエとの向き合い方、そしてどんな時もサポートしてくれたというご両親への想いについてお話を聞きました。

ーーバレエを始められたのは3歳とうかがいました。職業としてプロのバレエダンサーを意識し始めたのはいつ頃からでしたか?

物心つく前からバレエをしていたので、私にとってバレエは一日のルーティンのひとつのような感覚です。むしろ、バレエをしていない自分が想像できないくらい。

子どもの頃は『美女と野獣』のベルに憧れていて、いつも「プリンセスになりたい!」と言っていたんです(笑)。当時はバレエと結びつけていたわけではありませんが、そういったキラキラした世界に憧れていたので、バレエ教室の発表会でチュチュなどの衣装を着たりするのは楽しみにしていましたね。

職業としてのプロのバレエダンサーを漠然と意識し始めたのは、コンクールでスカラシップをもらいモナコのバレエ学校に入学した13歳の頃です。それまでも真剣にバレエとは向き合っていましたが、周囲の生徒からの刺激もあり「バレエを仕事にしていくんだろうな」とは感じていました。

泣きながら電話をした朝

ーー日本でバレエを習っていた当時はどのような生活を送られていましたか?

小学生の頃は、学校が終わるとすぐにバレエ教室に通う毎日でした。レッスンが終わると、ごはんを食べて、宿題をして、寝る…。周りの同級生たちは放課後に友達と遊んだりしていたけれど、私は発表会やコンクールのためにいつも練習という毎日でしたね。

でも正直、「私も友達と遊びたい!」という気持ちだったかと言われるとそうでもなく、私にとってはバレエの方が大事なことでした。大勢でわいわいと過ごすよりも、一人でひたすらバレエに打ち込むほうが自分の性格に合っていたのかもしれません。

ーーわずか13歳でモナコ王立プリンセス・グレース・アカデミーに留学されています。当時、不安や葛藤などはありませんでしたか?

むしろ、早くバレエ学校に行きたくてしょうがなかったですね(笑)。日本にいた頃は学校の勉強などにも忙しかったので、一日中バレエのことだけを考えて集中できる環境に憧れていました。

ですが、入学後は泣きながら両親に電話をする毎日でした。バレエそのものというより、不慣れな環境がつらかったですね。

特に苦労したのは言語です。街ではフランス語、レッスンでは英語を使うのですが、当時の私はどちらも全くわからなかった。先生に注意されても、何に対して指摘されているのかがわからないのがつらくて、いつも「帰りたい」と両親に話していました。両親はその度に「帰ってきてもいいよ」と言ってくれていましたが、頑固な私は「絶対に負けたくない」と自分を奮い立たせ、その想いとともに4年間を過ごしました。

言語の壁はありましたが、とにかく辞書で単語を調べたり、レッスン後に同級生に聞いたりして必死に食らいつきました。ありがたいことに、バレエのステップなどは世界共通なので、そのなかで言葉を覚えることができたんです。そうした厳しい環境なので、比較的早い段階でわかるようにはなっていきました。

ーー想像を絶する体験ですね…。当時、ご両親はどのようにサポートしてくださったのでしょうか?

時差(日本とモナコは7時間差)の関係で、レッスン前の両親との電話が毎朝の習慣になってました。先ほどお話した通り言語の壁がつらい日々だったので、両親との電話で自分の気持ちを落ち着けてからレッスンに行っていました。

いつでも家族と連絡をとる事ができる時差が少ない国から来ている同級生がうらやましかったですが、夜はYouTubeを観たり、他学年にいる日本人の生徒と話したり、ストレッチやレッスンの振り返りなどをして寂しさを紛らわせていました。

それでも、決してバレエのことを嫌いにはならなかったんです。バレエ学校で学ぶことや身につけなければならないことが多く、気づきが増えていくことも楽しかったので、もっと美しい踊りを追求していきたいと思っていた毎日でした。

あの舞台に戻りたい

ーー初めての海外経験を経て、心境などに変化はありましたか?

それまで過ごしてきた日本とは環境が全く違ったので、性格は少し変わったかもしれません。現地では「私はこう思う」とはっきり自己主張をしないといけないので、”海外モードの私”と”日本モードの私”という、二つの性格があるような気がします。

そして、もちろん”バレエモードの私”にもなりました。バレエをしている時は本当に集中しているので、話しかけて欲しくないオーラが出ているかもしれません。自分が最大限のパフォーマンスを発揮できるルーティンを邪魔されたくないので、どうしてもそうした雰囲気は出てしまいますね。

永久メイ(ながひさ・めい)/ バレエダンサー
兵庫県出身。13歳からモナコ王立グレースバレエ学校に4年間留学し、卒業後にロシアのマリインスキー・バレエに入団。セカンド・ソリストに昇格し、『ジゼル』『愛の伝説』『ロミオとジュリエット』で主役を務めるほか、2020年には『フォーブス』誌の「30 UNDER 30 JAPAN 2020」にも選出され表紙を飾る。2023年には『眠りの森の美女』のオーロラ姫役でブノワ賞にノミネートされるなど、現在はマリインスキー・バレエのファースト・ソリストとして活躍中。
2023年11月には、永久さんをはじめとした新進気鋭のバレエダンサーが世界各国から一堂に会する「Ballet Muses -バレエの美神2023-」が、東京・大阪の2都市で開催予定。永久さんは『ロミオとジュリエット』と、日替わりで『ジゼル』と『眠りの森の美女』に出演予定。
撮影/YUMIKO INOUE

ーーモナコとサンクトペテルブルグで違いはありましたか?

常にバレエ中心のルーティンなので、外出したりすることはそこまで多くありません。言語や街並み、気候などは異なると思いますが、その違いを実感できる余裕はないですね。

バレエ学校があったモナコも、卒業後に入団したマリインスキー劇場のあるサンクトペテルブルグも、バレエをするために住んでいる場所です。なので、現地に順応できるように変化しなければと考えているわけでもありません。もちろん、今はロシアに降り立った瞬間にバレエのスイッチが入る感覚はあります。

ーーロシアによるウクライナ侵攻後に日本に一時帰国されていますが、当時の心境について教えてください。

マリインスキー劇場は、三大バレエ作品のうち『眠りの森の美女』と『くるみ割り人形』が初演されたクラシックバレエの殿堂です。マリインスキー・バレエへの入団も、本場であるロシアでバレエをしたかったからなので、早くサンクトペテルブルグに戻って踊りたいと思いながら過ごす毎日でした。

ーー海外で活躍するうえでさまざまな困難が立ちはだかることもあると思いますが、逆境へ立ち向かうために大切にしていることはありますか?

何事もポジティブに考えることですね。バレエ学校時代には深刻に考えてしまうことも多く、先生には「自分を認めてあげなさい」と言われていました。バレエをするうえで現状に満足してしまっては終わりですが、ポジティブに考えることができるようにはなったと思います。

私は、「もっとできる!」と気づかないうちに自分に厳しくしすぎてしまう癖があるんです。そんな時は外からの刺激を受けることも大切なので、他のダンサーの踊りなどを見て気持ちをリフレッシュさせ、インスピレーションをもらうことも大切にしています。

できることを精一杯やる

ーー永久さんのようなバレエダンサーを目指すお子さんもいると思います。夢を叶えるにはどのようなことが必要だと思いますか?

私は「夢を語らない・夢を作らない」をモットーにしています。目の前にあることをコツコツとこなし、ひとつひとつの事を大切に100%の力を出し切る経験を積み重ねていけば、自然と理想の自分に近づけると思っているからです。なので、今の自分にできることを精一杯やる、それが一番大事なことだと思っています。

ーー将来の夢を持つお子さんを持つご家庭へ、ご自身の経験をふまえ伝えたいメッセージはありますか?

私は子どもがいないので親の気持ちにはなれないのですが、モナコでの留学を乗り越えられたのは間違いなく両親のサポートのおかげです。私がバレエをしたいという気持ちを尊重し、特に父親はバレエについてはよくわかっていないながらも、いつもそっと見守ってくれていました。心配だからととやかく口出しをしてくるわけでもなく、私の「バレエがしたい」という純粋な気持ちを後押ししてくれましたね。

大人になって考えると、まだ幼い我が子を信じるのは難しいことだったとも思います。子どもがしたいことはなんでもさせてあげてほしい!とは言えませんが、両親が私の意思を尊重してくれたことが、今の私につながっているんです。

著者
難波寛彦
秋田県出身。玉川大学卒業後、外資系アパレル企業を経てファッション誌のウェブ版の編集に携わる。2018年、ハースト・デジタル・ジャパンに入社。Harper's BAZAAR Japan digital編集部在籍時には、アート・カルチャー、ダイバーシティ、サステナビリティに関する企画を担当する。2023年7月ハリズリー入社。最近の関心ごとは、学校教育、地方創生。
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