外資コンサル→老舗の5代目。九州のソウルフード「ブラックモンブラン」社長の"結婚の条件"

最所あさみ

九州のご当地アイスとして有名な「ブラックモンブラン」。地元を代表する老舗企業の5代目社長として家業を継いだ竹下真由さんは当時まだ30代。3人めの子どもを出産したばかりのワーキングマザーでもあった。

企業のトップを務める女性は、いまだに「女性社長」の肩書きで呼ばれる。地方になるとさらにその存在は珍しい。

そんななか、佐賀県の老舗企業を30代で継いだ女性がいる。地元名産のアイスとして人気の高い「ブラックモンブラン」を製造する、竹下製菓の代表取締役社長、竹下真由さんだ。

まだまだ家父長制の気風も残る土地で、若くして女性社長として事業を引き継いだことで苦労もあったのでは、と問うと「むしろ、いわゆる会社員のほうが男女の差で苦しんでいる人が多いのかも」とからりと笑う。

ものごころついたときから会社を継ぐことを前提にキャリアを考え、その価値観をパートナー選びにも反映させてきたという竹下さん。外資系コンサルティング会社で経験を積み、地元に戻って経営者になった異色のキャリアについて聞いた。

竹下製菓 竹下真由さん
竹下真由(たけした・まゆ)/ 竹下製菓株式会社 代表取締役社長
1981年生まれ。佐賀西高-東京工業大大学院修士課程修了。外資系コンサルティング会社勤務を経て、2011年竹下製菓に入社。経営企画室で製造ラインの改善などに取り組み、2014年に取締役商品開発室長となる。2015年に「朝食アイス」を発売するなど新商品開発にも注力した後、2016年代表取締役社長就任。
Asami Saisho

父が「地元の高校へ」と言った意味

子どもの頃から、漠然と「いつかこの会社を継ぐんだ」という思いはありました。当時は工場のすぐ隣に家があったので日々ものづくりの現場に触れていましたし、そこで作られたものがお店に並び、売れることで私たちの生活が成り立っているのだと意識もしていました。

とはいえまだ子どもですから、お医者さんになりたいとかパイロットになりたいとか、そのときどきで母から勧められた職業を文集などには書いていました。両親から継いでほしいと明確に言われたことはなかったですが、家業はやらせてもらえるならやりたいし、認めてもらえるように力はつけておこうという感覚でした。

竹下製菓
竹下製菓は1927(昭和2)年に設立。本社は佐賀県小城市にある
Asami Saisho

はじめて父が私に継がせてくれる気があるんだなと感じたのは、高校進学のとき。私は県外に出ようと思っていたのですが、父が「地元でビジネスをやるなら、高校までは地元の学校に行ってほしい」と。私に継がせてもいいと本気で思ってくれているんだ、と初めて感じた瞬間でした。

父の助言通り地元の高校に進学したものの、当時は不本意ながら選んだ進路だったので高校生活を楽しんだら負けだ!とばかりに意地をはっていた部分もあって。でも今になって、父のアドバイスの意味もわかるようになりました。

地元では、出身高校を聞かれることがよくあります。出身校でつながりができたり、話題ができたりもする。地元で何かしようと思ったら、そういった人のつながりはとても重要になってきます。

もちろん県外の高校に行っていたとしても、それはそれでまた別のつながりやチャンスがあったのかもしれませんが、私は結果として父のアドバイスに従ってよかったと思っています。

竹下製菓
Asami Saisho

「みんな地元に帰らないの!?」

高校までは地元で過ごしましたが、大学進学を機に東京へ。就職も東京の外資系コンサルティング会社を選びました。東京での学生生活も社会人生活も存分に楽しかったものの、東京はずっと住む場所ではないという思いもあって。最終的には地元に帰りたいという気持ちは変わりませんでした。

自分のなかでは「将来的には地元に帰る」が当たり前だったので、大学時代に同郷の友人から「地元に帰るつもりはない、東京に住み続けるつもり」と聞いたときは衝撃を受けました。そうか、みんながみんな地元に帰る前提で上京してきたわけではないのかと…。

そこで気づいたのが、東京で結婚相手を探すとしたら「将来地元に帰る」が絶対条件の私は不利なのではないかということ。今でも、転勤となると奥さんが会社を辞めてついていくケースが大半ですよね。逆はほとんどない。女性の地元に一緒に帰ってもいいと言ってくれるパートナーを探すのは至難の業だと気づきました。

地元に帰る前提で外資系企業に就職しましたが、就職してみてもやはり家業を継ぎたい気持ちは変わりませんでしたし、両親もそのつもりでいてくれていました。地元に帰ればすぐに家業に入ることになるので、結婚相手にはビジネス面でもパートナーとして一緒に経営に携わってくれる人がいい。でも相手のやりたいことを諦めてもらうのは本意ではありません。地方の老舗企業の経営に興味があり、あくまで自分のやりたいことを実現するために一緒に来てほしかったんです。

でも、これだけの条件を満たす人はそうそういませんよね。自分が結婚相手に求めるハードルが高いことに早々に気づいたので、大学時代から周囲に上記の条件を伝え、いい人がいないか紹介をお願いする「婚活」に勤しんでいました。

ちなみに現在副社長でもある夫は、外資系コンサルティング会社時代の同僚です。でも夫と結婚するまでの間に、条件に合う人に出会うためにたくさん努力もしましたし、苦労や葛藤もありました。女性が地元に帰って家業を継ぐ難しさは、意外と「パートナー選び」の部分にもある気がします。

全社会議で「一人一言以上」

コンサルティング会社に勤めていた頃は、外資だったこともあり、みんな仕事に前のめりでスピード感もあり、刺激的な毎日でした。でも一方で、この働き方を定年までできるかと言われたら私はずっと続けるのは難しいなと。

地元の企業は東京に比べるとたしかにのんびりしている部分もありますが、その雰囲気も維持しながら、改善できるところは改善していく、という姿勢です。特に弊社は食品をつくる会社ですから、社員が幸せな状態でものづくりに向き合ってほしいなと思っています。ギスギスした、不幸オーラの漂う人たちにつくられたものって、おいしくなさそうじゃないですか。

東京や外資のやり方を踏襲しようと意識したことはありませんが、会社員時代を思い返して「あれはよかったな」と思ったものは取り入れたりもしています。

たとえば、「会議では一人一言以上」。前職時代に先輩から「会議で一言も発さないのならば出席する意味がない」と言われたことがあって、本当にその通りだなと胸にしみました。

どんな会議であれ、自分ごととして真剣に聞いていれば、何かしら質問や意見は出てくるものです。逆にいえば、何も発言が浮かばないのは、自分ごととして受け止められていない証拠でもあります。

Asami Saisho

竹下製菓に入社したとき、課題を感じたのがこの会議への姿勢でした。特に人数の多い会議では一人一人の発言機会も少なくなるため、本当の意味で会議に「参加」していない人も散見されました。中には居眠りをしている人もいましたが、それは眠くなる話をするほうにも問題がありますよね。

そこで竹下製菓では、年に一度正社員全員を集めて開催する経営発表会では、「一人一言以上」を求めています。60人以上の前で手を挙げて意見するのは周りの目も気になってか、初期はほとんど手が挙がらず…。

でも「挙げないのならこちらから当てます」と半ば強制的に発言を促すと、みんな何かしら質問や意見を持っているんです。的確な質問も多く、「自分ごと」として考えながら会議に参加してくれていることが伝わってきます。今では社員から率先して手が挙がるようになりました。

グループ会社が経営しているレストラン「グリルタケシタ」は、アパホテル〈佐賀駅南口〉にある
Asami Saisho

他にも年に数回、正社員全員と1on1で困りごとや提案を聞くような面談の機会も設けています。現場の人間関係や今後のキャリアプランなど、一対一で本人に直接向き合わないと聞けない話もありますから。定期的に一対一で話す機会を設けていることで、普段の業務のなかでも企画や改善の提案もしやすくなったと感じてもらえたらなと思っています。

これまで自分が経験したことのなかで、自社にフィットしそうなもの、必要なことを取捨選択し、自分たち流にアレンジしながら取り入れています。

商品開発の決め手は「わくわくするか」

経営の面では、アイス以外の事業の柱をつくることに注力しています。

竹下製菓といえば「ブラックモンブラン」というイメージを持っていただいていますが、実は130年の歴史のなかでアイスの製造はまだ60年ほどしか経っていません。ブラックモンブランの歴史は54年です。アイス事業より前に「鶴の里」というマシュマロ菓子の製造をはじめており、もとは製菓事業ではじまった会社なのです。

日本は災害も多い国ですし、もしアイスのラインが止まってしまったら会社として立ちいかなくなってしまう。そうならないために、アイス以外の柱を育てていきたいと考えています。

その一環として開発したのが、ブラックモンブランのクランチチョコ。アイスと同じクランチを使い、ブラックモンブランの味を再現したお菓子です。

テレビで取り上げられたりSNSで紹介してくださる人が増えたりしたことで、ブラックモンブランの知名度は上がったものの、アイスはお土産として買っていただくのが難しい商品。そこで常温で持ち歩けるクランチチョコを発売したところ、人気のお土産商品になりました。

ブラックモンブラン クランチチョコ
竹下製菓 提供

商品開発を検討する際、最終的な決め手になるのは「わくわくするか」「買っていただくシーンが浮かぶかどうか」。まずおいしいことが前提ではありますが、どんなにおいしくても、誰がどこでなぜ買ってくださるのか、自分のなかで明確にイメージできない商品にGOは出せません。

もうひとつ大切にしているのは、竹下製菓らしさ。具体的には、遊びごころとレトロ感ですね。アイスの当たりくじを続けているのも、パッケージをスタイリッシュすぎない親しみやすいデザインにしているのも、それが「竹下製菓らしさ」だと思うからです。

製菓とアイス以外にも、ホテル事業やレストラン事業も行っていますし、M&Aを通して新しいジャンルにも挑戦しています。「ブラックモンブランの竹下製菓」として愛してもらいつつ、そのくらい愛してもらえる商品を他にも作っていきたいですね。

竹下製菓
アパホテル〈佐賀駅南口〉のフロントには自販機が設置されている
Asami Saisho

娘に「社長をやったほうがいい」

女性社長は大変だろうと言われることが多いですが、経営者としての働き方には男女はあまり関係ない気がします。

私たちの世代は、男女は平等だと育てられてきた世代です。実際に、私も大学までは男女の差を感じたことはほとんどありませんでした。しかし、社会に出た瞬間に男女の差という現実を突きつけられます。まだまだ制度が追いついていない部分もありますし、ライフステージにあわせて働き方を変えるのも難しい。

私は佐賀に帰って、家業の役員をしながら3人の子どもを出産しました。産後に休みももらいましたが、子育ての合間にメールを返したり、会議に出たりすることはできたので、休みの間も仕事をしたりしていました。私の場合はその働き方がちょうどよかったのですが、会社員の産休・育休だったらこうした柔軟な働き方に合わせるのは難しいですよね。

私には娘と息子がいますが、娘には「自分で事業をやったほうがいいよ」と伝えています。家業を継がなくてもいいけれど、自分が経営者になったほうがいいよ、と。

今のところは子どもたちも家業に興味があるようで、昔の私と同じように漠然と「いつか継ぎたい」と思ってくれているようです。

キャリア選択はそれぞれの自由にしてほしいと思っていますが、もし継ぐとしたら、「子どもだから継げたんだ」と周りに思われないだけの実力を身につけてほしいと思っています。そう言われたときに一番つらいのは自分ですから。

竹下製菓 竹下真由さん
Asami Saisho

私が思う「実力」とは、周りの人たちに納得してもらえる強みを持つこと。何かひとつでも強みがあれば、そのジャンルはなんでもいいと思っています。将来社長になりたいから経営の分野に強みを持たなければいけないわけではなく、熱量を持ってやりきったことがそのまま強みになり、周りを納得し巻き込める「実力」になっていくのではないかなと。

たとえば娘はまだ小学生なので、「社長になる!」と言った次の日に「アイドルになる!」と言ったりもします。この二つはまったく別の仕事に思えるかもしれません。でも本当にアイドルを目指すなら、一度アイドルの仕事をやりきったあとに、引退して「元アイドル社長」になるのもいいね、なんて話をしています。知名度が役に立つかもしれませんし。

私自身も、東京で仕事も遊びも楽しんで、いろいろと楽しめたからこそ悔いなく地元に帰ってくることができたと思っています。そして一見社長業とは関係のないように思えることも、自分なりにやってみた経験が今につながっていると感じます。

子どもたちにも、家業を継ぐかどうかに関わらず自分の納得いくキャリアを歩んでほしいと思っています。

著者
最所あさみ
リテール・フューチャリスト/ 大手百貨店入社後、ベンチャー企業を経て2017年独立し、「消費と文化」をテーマに情報発信やコミュニティ運営を行う。OTEMOTOでは「職人の手もと」連載を中心に、ものづくりやこれからのお店のあり方などを中心に取材・執筆。
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