ケア製品にも美のときめきを。リンパ浮腫向けストッキングを生んだ軽やかなものづくり論

最所あさみ

病気やケガのケア用品は、機能重視で当たり前。でも、毎日使うものだからこそ、自分がときめくものを身につけることも必要なのではないか──。この課題に、ものづくりの観点から取り組むひとりの起業家がいます。

がんは闘病中のストーリーばかりが語られがちですが、実は治療が終わった後も大変なことがたくさんあるんです──。

そう語るのは、がんの後遺症として発症することが多い「リンパ浮腫」向けの医療用弾性ストッキング「MAEÉ(マエエ)」を生み出した株式会社encyclo(エンサイクロ)代表の水田悠子さん。自身の闘病経験から得た気付きと、その悩みをものづくりに生かし実現するまでのお話を伺いました。

闘病後「ターゲットから外れた」衝撃

──まずは医療用弾性ストッキング「MAEÉ」を開発された経緯を教えて下さい。

私は29歳のとき、子宮頸がんと診断されました。幸い一命はとりとめることができ、仕事にも復帰できるくらいまで回復しましたが、手術の後遺症で病的なむくみが出てしまう「リンパ浮腫」を発症してしまったんです。

──それで医療用弾性ストッキングを着用しなければならなくなったんですね。

リンパ浮腫とは、治療の影響などで腕や脚が病的にむくんでしまうもので、一度発症すると完治は見込めません。進行すると炎症を繰り返すなど生活に大きな支障が出てしまうため、悪化を防ぐために、強い圧迫力のあるストッキングやスリーブを着用しなければなりません。

水田悠子(みずた・ゆうこ)/株式会社encyclo 代表取締役
2005年(株)ポーラ入社。約10年間化粧品の商品企画に携わる。29歳のときに子宮頸がんに罹患。その後寛解に至るも、後遺症として下肢リンパ浮腫を発症。自身の経験をもとに、社内ベンチャー制度として「がん経験者向けビューティー事業」を提案。2020年にポーラ・オルビスグループ企業として㈱encycloを設立し、医療用弾性ストッキング「MAEÉ」の展開を開始。
Asami Saisho / OTEMOTO

常に圧迫していることが重要なので、夏のどんなに暑い時期でも、毎日朝起きてから寝るまでずっと着用しつづけなければならないんです。毎日身に着けるものこそ気分が上がるものを選びたいところですが、あくまで医療機器なのでデザインは二の次のものばかりだったんです。

通常のストッキングよりも圧迫力を強めているために生地は分厚く、そのため色味も自然な肌色には程遠いものがほとんどでした。名称こそ「医療用弾性ストッキング」ですが、肌をより美しく見せるために履く一般的な「ストッキング」とはかけはなれたものだったのです。

しかも医療用弾性ストッキングは一足3万円もするうえに、半年に一度は買い換えなければならない消耗品。これまでの自分の「買い物」とはあまりにかけ離れた世界でした。

──それまではいくらでも安くてかわいいストッキングを選べたのに、という落差もありますよね。

まさに、当時の私はアラサーで都内在住という、企業があの手この手でマーケティングをしてくる「ターゲット」となる属性でした。だから欲しいものは探せば必ずどこかに存在したし、選択肢が無数にあるのは当たり前。その中からより良いもの選ぶという消費の仕方に慣れきっていました。

でも、病気になった瞬間にそのターゲットから自分が外れてしまったことに気づきました。「こんなものが欲しい」と思って調べても、自分のニーズに合う商品はどこにもない。

ニーズを拾ってもらえていない、ニーズに気づかれてさえいないというのは、それまでマーケティングを仕事にしてきた私にとって、衝撃的な体験でした。

MAEÉの弾性ストッキングは、一見すると普通のストッキングに見える色合い

もしかしたら、私以外にもニーズに気づいてもらえないまま、諦めてしまっている人がたくさんいるのかもしれない。その気づきが、「アンメットビューティーニーズ(まだ叶えられていない美しくありたい想い)」というencycloのコンセプトにつながっていきます。

ものづくりをゼロから学び直す

リンパ浮腫を発症してから、8年ほどかけて自分の納得いくものを探し続けましたが、なかなか出会えなくって。そもそもリンパ浮腫患者向けの医療用弾性ストッキングは、日本製のものが少ないんです。

フットケア大国であるドイツをはじめ、ヨーロッパの製品が市場の大半を占めると言われており、多くの患者さんは海外製のものを使っています。でも、輸入品だと日本人の体型や好みに合わないこともあるんですよね。

これだけ探してもないんだったら、もう自分で作るしかないんじゃないか。そう考えたのが「MAEÉ」を作ったきっかけです。

MAEÉのキービジュアル。ファッション性の高い見せ方にこだわり、買い物のわくわく感を高めている

──事前に患者数の規模など、市場調査やシミュレーションもされたのでしょうか。

もともと自分の困りごとから出発したプロジェクトなので、厳密に市場調査をして始めたわけではないんです。

でも、日頃から同じ悩みを抱える人たちの声も耳にしていたので、デザイン性の高い医療用弾性ストッキングを探している人は私以外にもいるんじゃないかと感じ、プロジェクトを本格化させました。

─もともと化粧品会社で商品企画を担当していたとはいえ、化粧品とはものづくりのやり方もだいぶ違ったのではないでしょうか。

一番難しかったのは、医療機器に求められる機能性と、美しさや使い心地との両立です。機能性はそのままに、より美しく、よりわくわく感を得られるものにするために、何度も試行錯誤を重ねました。

化粧品とストッキングでは製造工程も異なりますし、医療機器として販売するためには法律への知識も書かせません。それまで仕事で商品企画を担当していたとはいえ、ものづくりをゼロから学びなおしていく感覚でした。

Asami Saisho / OTEMOTO

そもそも医療用弾性ストッキングは、普通のストッキングとは違って「医療機器」の扱いになるので、医療機器製造販売業を持っている工場でなければ製造できません。日本には対応できる工場がほとんどなく、作ってもらうための工場探しにも苦労しました。

工場を探していたとき、一度製造現場を見学させてもらったことがあります。その際に驚いたのは、ストッキングの製造には想像以上に人の手がかかっていることでした。特にストッキングは右足と左足のパーツを縫い合わせる部分や、つま先のカーブなど人がミシンで縫わなければならないところも多いんです。

それまで一足3万円近くする医療用弾性ストッキングは高額だと思っていましたが、製造現場を見て「妥当な価格だったんだ」という気づきもありました。

購買行動の負も解消したい

──「医療機器」となると、販売ルートやマーケティングも一般的な商品とは変わってくるのでしょうか。

そこも、新しくゼロから学びなおした部分でした。具体的に言うと、弾性ストッキングのような医療機器はお医者さんをはじめとする医療従事者から勧められて使用するものなので、まずは医療従事者に製品を知ってもらう必要があります。

だから医療従事者に正しく製品情報を伝え、納得してもらうことがマーケティングの第一歩なんです。そのあたりの考え方は、お客様に直接アプローチする化粧品とは異なる部分ですね。

──医療従事者を通した販売だけではなく、直接ECサイトでの販売もされていますよね。

実はそれも初めからこだわっていたことなんです。医療機器は病院を通して注文し、次の来院時に受け取ることが多いのですが、クレジットカードも使えない場合が多いし、何よりお買い物の楽しみは得られませんよね。

私は自分の経験から、弾性ストッキングのデザインだけでなく「購買行動の負」も解消したいと思ったんです。

MAEÉの商品はオリジナル巾着で梱包されて届く。レターパックにちょうど二つ収まるサイズに調整し、手軽に受け取ることができる包装にもこだわった

普通の買い物と同じように、オンラインでポチッと注文すれば数日後にはかわいいパッケージに入った商品が届く。そんなわくわくする購買体験も、私たちが提供するべき価値だと思うんです。

パッケージでこだわったことのひとつが、商品を入れるオリジナル巾着です。見た目のかわいらしさはもちろん、2つでちょうどレターパックに収まるサイズに調整したことで、手軽に受け取ることができるように工夫しました。

さらに医療用弾性ストッキングは定期的に買い替えが必要な商品なので、毎回立派な箱に入っていたらゴミも増えるし、処分の負担も大きいですよね。コンパクトに包装できて、リユースも可能な巾着型パッケージのアイデアは、リンパ浮腫の方の声から生まれたものでもあります。

私たちがEC販売にこだわったのは、直接販売によって中間の販売手数料を削減できれば、販売価格を安く抑えられることも理由のひとつです。そのおかげで、MAEÉの商品は一般的な医療用弾性ストッキングに比べて、1万円ほど安い価格に設定することができました。

商品のデザインも価格も、そして注文から受け取るまでの体験も、「病気だから」と諦めて欲しくはないんです。

「ビューティー」は全員の権利

──病気だとしても「諦めないでほしい」という気持ちが、事業の原動力なのですね。

MAEÉはリンパ浮腫向け弾性ストッキングを作っていますが、その根幹には「ビューティーを誰にも諦めてほしくない」という思いがあります。ビューティーは全員に保証されるべき権利だと思っているので。

──コスメやファッションなどの「ビューティー」は、権利というより余剰と捉えられがちな印象です。

そうなんです。だからこそ、病気を経験した人たちは「命が助かったのだから」と諦めてしまいがちなんです。でも好きな自分、ありたい自分であるためには、好きな服を着て好きな靴を履いて好きな場所に行けることがとても大事ですよね。

「ビューティー」は単に見た目を飾ることではなくて、「こうありたい」と願う自分になろうとする思いそのもののことだと私は思うんです。

私のビューティーへの考え方には、入社した当時に株式会社ポーラが掲げていた経営理念が影響しているかもしれません。

私たちは一人ひとりの「もっと美しくありたい」を知り、まごころと技術でお客様を生涯サポートします

──株式会社ポーラ 2011年版「経営理念」より

私たちが提供する価値は「もっと美しくありたい」気持ちをサポートすることなんだ、見た目だけではなくその前向きな気持がビューティーなのだ、と感銘を受けたことを覚えています。

現在の経営理念はさらに進化した表現になっていますが、「もっと美しくありたい」気持ちを肯定したいという姿勢は共通していると思いますし、MAEÉのコンセプトを考える上でも影響を受けました。

──リンパ浮腫の患者さんだけでなく、もっと幅広く顧客の対象を捉えてらっしゃるのですね。

MAEÉはリンパ浮腫の方に向けた製品なので特殊なものだと思われがちですが、きっと誰もが無意識のうちに諦めてしまっていることってあると思うんです。「もうおばあちゃんだからおしゃれなんていいのよ」「太っているから似合わないし」といった言葉を聞くと「そんなことないよ!!!」と声を大にして伝えたくなります。

ビューティーはこれまで余剰で楽しむものだとされてきましたが、その考え方も徐々に変わりつつあると感じています。

たとえば、数十年前は「病気になったら痛い、苦しいのは仕方ない」という考え方が一般的でした。終末医療として緩和ケアはあっても、痛みや苦痛を和らげようとするのは贅沢なことで、基本的には我慢するしかないんだと。

でも今はそんなことないですよね。病気の痛みや苦しみは我慢するものではなく、終末医療でなくても、痛みを取り除くための処置は当たり前の時代です。

ビューティーも同じで、きっと数十年後には病気であっても美しくありたいと思うことは当然の権利になっていくと信じてます。MAEÉのストッキングは、そんな未来を実現するための第一歩なんです。


著者
最所あさみ
リテール・フューチャリスト/ 大手百貨店入社後、ベンチャー企業を経て2017年独立し、「消費と文化」をテーマに情報発信やコミュニティ運営を行う。OTEMOTOでは「職人の手もと」連載を中心に、ものづくりやこれからのお店のあり方などを中心に取材・執筆。
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