テストも賞も「神様のおかげ」 宗教2世たちが親に何度も言われてきたこと
宗教を信仰している家庭で育った「宗教2世」らを対象にした調査では、一部の宗教で体罰などの虐待を経験していた子どもがいることが明らかになりました。ある宗教2世の女性は、母親から「神様のおかげだね」と言われ続けてきたと話します。こうした「宗教的な声かけ」が、脱会後の価値観に影響している可能性があることもわかりました。
脱会後も「宗教的価値観」が残る
社会調査支援機構チキラボがこのほど「宗教2世」を対象に実施したアンケート調査の結果を発表しました。調査期間は2022年9月9日〜19日で、有効回答数は1131件。すでに脱会したという回答者も、いまだに多くの人が「宗教的価値観」が残り続けていることに苦しみや違和感を抱いていることがわかりました。
脱会するときの問題を聞いたところ、回答の多い順に「家族との関係が悪化した」(58.3%)、「宗教的価値観が残っているため、一般社会で生きることに罪悪感や背徳感を味わうことがあった」(45.9%)、「あたらしい世界観や社会常識、自己の価値をつくり出すことが難しかった」(44.5%)となりました。
調査を分析したチキラボ代表理事の荻上チキさんは、宗教2世が脱会後も社会に適応しづらいと感じる要因のひとつとして、子どものころから親や教団、信者から日常的に繰り返されてきた「宗教的な声かけ」があるとみています。
「『地獄に落ちるよ』『言うこときかないと不幸になるよ』『家族を苦しめて幸せなのか』といった宗教的な声かけを幼いころから繰り返し浴び続けてきた結果、脱会してからもなお宗教的な価値観や慣習が残り続けることがあります。社会通念を一から学ばなければならなかったり、自分で何かを選ぶことができなかったりする人もいるのです」
「賞賛的」な声かけもある
チキラボの調査では、親が所属する宗派や宗教団体によっては、子どもへの体罰などの行為があることもわかりました。また、献金を強要したり、教育を受ける権利や行事に参加する権利を奪ったり、恋愛や交友関係を制限したりする介入もありました。
子どものころに警察や児童相談所に相談しても宗教を理由に対応してもらえなかったとして、宗教2世の当事者らが声をあげていたことから、厚生労働省は2022年10月6日付で、信仰を理由にした行為でも児童虐待にあたる行為はありうるとの通知を全国の自治体に出しました。
体罰は身体的虐待にあたり、行動制限は心理的虐待やネグレクトにあたる可能性があります。「宗教的な声かけ」は心理的虐待にあたる可能性がありますが、「地獄に落ちる」「不幸になる」と子どもを脅したり非難したりする声かけばかりとは限らないことも、調査で明らかになりました。子どもが成功したときに「神様のおかげ」などと「賞賛的な誘導」をするケースも多くみられたためです。
「不信心だから思ったような結果にならなかったのだ」と家族から何度も言われた経験がある人は22.7%。逆に「信心のおかげで成功できたんだね」と家族から何度も言われた経験がある人は38.8%にのぼりました。
「努力が否定されている感じ」
成功したときに「神様のおかげ」などと声をかける「賞賛的な誘導」については、自由記述に多く書き込まれていました。
「小学生のとき通っていたプールのテストに合格した際に、祖母から『いっぱい成功するように祈ってたからだね』と言われた」
「神に喜ばれていますね、というのが褒め言葉だった」
「テストで良い点を取ったり先生に褒められたりしたことを報告するたびに、母や牧師から『神に感謝だね。ちゃんと感謝のお祈りをしなさいね』と言われました。自分自身の努力や才能が褒められたことは一度もありませんでした」
「大学受験で合格した時に『信心のおかげだね』と母親から言われた。自分が勉強したから合格したのに信心のおかげと言われて傷ついた。ショックだった。親と自分の見ている世界があまりにも違うと思った」
「交通事故で手術した際、母親がずっとお祈りしていたことから、手術が成功した時に『祈ったから』だの『信仰心が』だの言ってました。手術を頑張ったのは医者と私なのですが」
「母に私の受験や就職、仕事の成功などを話すと、はじめは対話できるがいつも最終的には『母が毎日読経して祈っていた』という母自身の宗教的な努力に結びつけられてしまった。私の努力が否定されているように感じ、精神的に不安定になってしまうときもあった」
「成功すれば『信心のおかげね』。失敗すれば『真剣に信心をしないお前のせいだ』。手柄はみんな持って行かれちゃう」
「『これも神様のおかげだから』。がんばった成果を宗教のおかげにされて、自分の努力を認めてもらえなかった。思春期だったため、母親に認めてもらえないのは地味につらかった」
中学生になって気づいた
母親がある新興宗教に入信していたという宗教2世の20代の女性は、テストで良い点を取ったり賞をとったりしたときに、母親から「よくがんばったね。神様のおかげだね」と言われてきました。
「中学生になった頃、そういえば母親から100%の褒め言葉をもらったことがない、と気づきました。足りないところを神様が補ってくれているのだと言われ続けてきました」
女性は、母親からひどく叱られた記憶はありません。食べるものや着るものは用意されていて、暴力をふるわれたこともなく、毎日学校に通えていました。優等生で、常に友達が周りにいて、進学と就職も希望がかないました。はたから見ると恵まれた環境で育ちました。
ただ、大人になったいまも「自分の力だけでは成し遂げられないのではないか」「成功しても、100%の努力ではなかったのではないか」という感覚は拭えずにいると話します。
子どもに選択肢を
チキラボの調査では、2世信者になった時期は「12歳以下」が回答者の88.9%。はじめて疑問を抱いた時期は「13〜18歳」の33.5%が最多でした。回答者の73%が「子どもでも親や教団から安全に離れられる制度の整備」を求めていました。ただ、親子の関係性や子どもの意思、どこまでを虐待と認定するかなど個別の対応には難しさもありそうです。
「現状は、子どもは親から離れるとご飯を食べられず、学校にも行けません。宗教に異議を唱えると親から生活を制限される可能性があるため、教団からも親からも安全に離れることができないのです。子どもたちには、教団から抜ける、親から離れるという第三の選択肢が必要です」
荻上さんは「宗教的虐待」があることを前提にした福祉ネットワークの再構築や、虐待の定義の拡張、子どもコミッショナー(第三者機関)や子どもシェルターの確保などを提案しています。
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