「勝手にすれば」と子どもを見放す教師。体罰の陰で見過ごされた暴力があった

小林明子

「ダメって言ったよね」と問い詰めたり、「もう知らない」と突き放したり。教師からの威圧的な指導を見かけたことはありませんか? 現役教師の川上康則さんは、子どもの心を無意識に傷つけるような不適切な指導を「教室マルトリートメント」と名付けました。こうした指導を目にした際、大人、特に保護者はどのように対応すればよいのでしょうか。

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ーー川上さんは著書で、現役教師として見かけた不適切な指導を「教室マルトリートメント」と定義し、警鐘を鳴らしています。具体的にどういった行為なのでしょうか?

「マルトリートメント」という言葉は、児童虐待よりも広い意味での大人から子どもへの不適切なかかわりを指します。一方、「教室マルトリートメント」は、教育現場の指導者による子どもへの不適切なかかわりや、本来であれば避けるべきかかわりのことです。

そもそも、指導者からの体罰やわいせつ行為は違法行為であり、許されることではありません。これらは、児童虐待の4つの領域のうち「身体的虐待」と「性的虐待」にあたります。

しかし、残り2つの領域である「ネグレクト」と「心理的虐待」に似た指導も、学校現場で見られることがあります。これらは「この子のためを思って」などと「指導」という名のもとに肯定されがちでした。また「体罰ほどではないから」と見過ごされることもありました。

川上康則『教室マルトリートメント』(東洋館出版社、2021年)25頁より転載

例えば、子どもを励まさない、褒めない、特定の子を指名しない、支援が必要な子に合理的配慮をしない、「勝手にすれば」「さよなら」など見捨てるような態度をとるーーこのような言動は、子どもに対する「ネグレクト」といえるのではないでしょうか。

こうした指導をする教師の多くは「自分には自分のやり方がありますから」と言い切ってしまうことがあり、周囲のアドバイスを受け入れようとしません。他の指導法があるにもかかわらず自分のやり方に固執することも、子どもが教育を受ける機会を奪っているという点で「間接的なネグレクト」だと言えます。

また、威圧的な指導や、子どもの意志や人格を否定する言動によって子どもを萎縮させたり服従させたりするような指導は「心理的虐待」にあたるのではないでしょうか。

「1年生からやり直し」「お母さんに言うよ」

子どもを支配し、教室の雰囲気を不穏にさせるような教師の言動を、私は「毒語」と名付けています。以下のような例があります。

「何回言ったらわかるの?」(問い詰める)

「好きにすれば」(言葉の裏を読ませる)

「じゃあ◯◯できなくなるけどいいんだね」(脅す)

「お母さんに言うよ」(虎の威を借る)

「1年生からやり直してください」(下級生と比較する)

「ダメって言ったよね」(責任をなすりつける)

「じゃあ、もういい」(見捨てる)

厄介なのは、「子どもの将来を考えて」「この子自身のために」などといって、こうした「毒語」の多くが正当化されていることです。教師という職業には、「私の指導は間違っていない」「私の指導は正しい」という認知バイアスが潜みやすいことを忘れてはいけません。

「厳しくして」と望む保護者

「ネグレクト」や「心理的虐待」に近いことをする教師が教室を支配すると、子どもは恐怖や不安のあまりおとなしく従うため、一見すると「静かで落ち着いた状態」になります。それによって指導力や統率力がある先生だと管理職や保護者らから勘違いされてしまい、評価されることがあります。

「あの先生は熱心だから」「熱い先生なので」という見方が、マルトリートメント的な指導を肯定することにつながり、次第にエスカレートする危険性もあります。

川上康則(かわかみ・やすのり) / 東京都立矢口特別支援学校主任教諭。公認心理師、臨床発達心理士、特別支援教育士スーパーバイザー。立教大学卒業、筑波大学大学院修了。肢体不自由、知的障害、自閉症、ADHDやLDなどの障害のある子に対する教育実践を積むとともに、地域の学校現場や保護者などからの「ちょっと気になる子」への相談支援にも携わってきた。著書多数。
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ーー保護者としては、体罰のように明らかにNGと言い切れない指導方法について、学校に問い合わせてよいものか悩ましいです。「先生には先生のやり方があるはずだ」「子どもからナメられている先生よりマシ」などと考えてしまうかもしれません。

実際、保護者が「教室マルトリートメント」的な指導を教師に期待するケースはあります。

「うちの子にはもっと厳しくしてください」「口答えするようならガツンと怒ってください」「忘れ物が多いので、先生からもきつく注意してください」といった要望をいただくこともあります。

もちろん、危険が迫っているときやいじめなどの人権侵害に関わるときには、強い介入が必要です。しかし、日常的に強いプレッシャーを与え続けると、子どもは「叱られないようにすること」を基準にして、大人に忖度して行動するようになり、主体性を失っていきます。

教師が満足するまで続く

ーー保護者が子どもだったころは「教室マルトリートメント」が当たり前だったように思います。上越教育大学教職大学院教授の赤坂真二さんによると、1980年代に社会問題になっていた中学生の校内暴力を管理教育で沈静化したことが、教育現場の一つの成功体験になったといいます。教師も保護者も管理型の指導を受けて育ったため、「このくらいのことで」と受け止めてしまうのかもしれません。

「苦労や試練を経験しないと人間は成長しない」という強固な思い込み(認知バイアス)がある大人はたくさんいます。大人になる前に「耐性」をつけてほしい、と子どもに望んでいる場合もあります。

しかし、昭和の時代に許されていたことでも、時を経て大きな間違いだったとされることは多くあります。

「教室マルトリートメント」が日常化した場合の最大の欠点は「結局のところ、何も教えたことになっていない」という点です。教師側の体面や自己満足という側面が強く、教師が満足を得られない限りずっと繰り返されるので、連鎖を断ち切り、改善していかなければなりません。

教室マルトリートメント
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職員室のハラスメント

「教室マルトリートメント」が起こる背景には、教師の「焦り」があります。

これまでの経験から築き上げてきた「学校とはこういうもの」「◯年生とはこういう姿」という枠組みから外れる子、はみだす子がいると、教師は心が波立ち、気持ちの余白がなくなります。

子どもを早く指示通りに動かしたいという焦りから、毒語を使って子どもを動かそうとするのです。まるで指導したかのような錯覚をもたらしますが、実際には何も教えていないどころか、子どもの心を傷つける恐れがあります。

保育や教育は「感情労働」の職場です。子育てと同じように忍耐や緊張感がつきまとう仕事だということを理解し、感情をコントロールする必要があります。

常に子どもと同じ目線に立ち、叱った場合にはフォローし、もしも毒語を使ってしまったらすぐに謝罪する。愛情と安心をベースにした指導を心がけると、子どもにも「今のままのあなたで大丈夫」という気持ちがしっかりと伝わるはずです。

同時に、教師の職場環境を改善し、ストレスを減らす取り組みも必要です。教師にとって学校が「気持ちよく過ごせる場」になっていないという、構造的な問題に着目する必要があるのです。

「子どもたちの未来のため」という大義名分で、学校に求められるものは年々増え、現場にのしかかっています。新しいことを始めてもこれまでの業務をやめられるわけではなく、やるべきことが積み上がっていきます。

さらに、威圧的な管理職がいたり、対等なコミュニケーションがとりづらかったりと、職員室が閉鎖的でストレスフルな環境であることもあります。

職員室と教室はつながっていますから、教師のストレスが大きいと、子どもたちに連鎖する恐れがあります。まずは教師が大事にされているという組織文化にしていかなければなりません。

どの教師も「予備軍」

ーー先生たちの業務の一つには保護者対応もあり、それがストレスになっているケースもあるかもしれません。「教室マルトリートメント」が起きないようにするために、保護者にできることはあるのでしょうか。

22歳でも教室の支配者や権力者になれてしまうのが、教師という仕事です。どの教師も「教室マルトリートメント予備軍」になりうるので、独善的にならないためには他者の目がとても重要です。

同僚の教師がお互いに高め合えるような関係がつくれているとよいのですが、職員室が閉鎖的な場合には、保護者など外部からの指摘があることによって初めて、「こういう目で見られている」「こういう意見がきている」と自分たちの組織文化を客観視することができ、改善につながることがあります。

ですから、教師と保護者は日ごろからコミュニケーションしやすい関係をつくっておくことが大切です。

私は特別支援学校に勤務しており、一人ひとりの子どもの状態を把握するため、家庭との連絡帳をコミュニケーションツールとして活用しています。保護者からも教師からも毎日それぞれ7〜8行のやりとりがあります。その日の発見や子どもの頑張りを認め合うことができます。

それでも子どもと向き合う時間と連絡帳を書く時間を捻出するのは大変なので、通常学級の先生たちは本当に苦労していると思います。短い時間でも工夫して、教師と保護者がお互いの立場や気持ちを尊重し合えるような関係をつくっておきたいものです。

なぜなら、保護者とのコミュニケーションが必要な理由は他にもあるからです。

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その一つが、家庭の中で、虐待や暴力、ネグレクトが起きていないかという視点です。

身体的な虐待や性的虐待、両親が子どもの前で罵り合う「面前DV」などは、子どもから周囲の大人に相談しづらく、発覚が遅れることがあります。逆に、子どもが支配的な家庭では、思い通りにならないときに子どもから親への暴力がある場合もあります。

面談などで教師が保護者に「家庭での様子はどうですか?」と聞くのは、そうしたサインを見逃さないためでもあります。

保護者も教師も認められたい

もしかしたら保護者が子どもを追い込んでしまっているかもしれない、周囲からの評価を気にされるタイプかもしれない、ネガティブな受け止め方をしがちなのかもしれない、周囲に相談しにくいのかもしれない...といった小さなひっかかりが、虐待などに気づく発端になることがあります。また、話をしっかりと受けとめてもらえるということだけでも、保護者側の不安が解消されることもあります。

保護者も教師も人間ですから、誰かに話を聞いてもらいたいし、周囲から認められたいものです。保護者も教師も、「大人の私たちも孤独じゃないんだ」という安心を感じられてこそ、子どもの気持ちに寄り添える余裕が生まれるんだと思います。

ーーたしかに、毒語の中には、保護者として子どもに言ってしまった覚えがあるものもいくつかありました。

「私も不適切な言動をしてしまっているかもしれない。だからダメな親だ、ダメな教師なんだ」とシャッターを降ろしてしまうのではなく、「自分も変わりたい」という気持ちを大切にし、もっと前向きなかかわりをするにはどうすればいいか、大人同士で相談できる関係性をつくれるといいですよね。

同じ子どもに接する大人として、みんなで考え、子どもたちを見守っていけたらと思います。子どもは、私たちが見ることのない未来を手にする存在です。私たちを越えていくことを応援する立場で、子どもたちの育ちに関わっていけるとよいですね。

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著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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