たたら製鉄の地・奥出雲できらめく玉鋼のアクセサリー。曽祖父がつないだ技術を思い、一粒に刻む
日本古来の鉄づくり「たたら製鉄」が繁栄した、島根県の奥出雲地方。宮崎駿監督のアニメ映画『もののけ姫』に登場する「たたら場」のモデルになった場所ともいわれています。2023年に放映されたドラマ『VIVANT』の重要な舞台にもなった奥出雲町では、年に一度だけ1月末にたたら操業があり、日本刀づくりに欠かせない玉鋼を精錬しています。一般には手が届きづらい希少な素材ですが、「歴史ある技術でつくられた輝きを身につけてほしい」と、この玉鋼でネックレスやネクタイピンをつくっているアクセサリー作家がいます。
たたら製鉄で栄えた地で
733(天保5)年に編纂された『出雲国風土記』には、「この地で生産される鉄は堅く、いろいろな道具をつくるのに最適である」との記述があります。奥出雲地域には、たたら製鉄の原料となる良質な砂鉄を含む花崗岩(真砂土)が広く分布し、燃料の木炭を得るための森林も広大だったことから、製鉄技術者が集まり、千数百年にわたってたたら製鉄が繁栄しました。
現在は、砂鉄を採取していた跡地は棚田に再生され、仁多米が栽培されています。年に一度、1月中旬から下旬にかけてだけ、「靖国たたら」の跡地で日本美術刀剣保存協会が運営する「日刀保たたら」が操業され、全国の刀匠に玉鋼を頒布しています。
この玉鋼を使ったアクセサリーブランド「Mullein(ムーレイン)」を始めたのが、奥出雲町に住む磯田菜保子さんです。
曽祖父の技術と思い
磯田さんは出雲市出身。東京の専門学校でデザインを学んだ後、地元の島根に戻り、松江市のアクセサリーショップで販売員をしていました。
島根の手漉き和紙など地元の材料を使ったアクセサリーづくりをしていたところ、奥出雲町が若手デザイナーを対象に玉鋼を素材にした商品企画のワークショップをすると知り、参加しました。
「優秀作品は商品化されるということで、玉鋼のネクタイピンを提案したのですが、通らなくて。悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした」
その後、祖母と母が暮らす奥出雲町に移住することに。地域おこし協力隊として3年間、地域の取材や移住支援をする中で、玉鋼でアクセサリーをつくりたいという思いはますます募っていきました。
実は磯田さんの曽祖父は、村下(むらげ)と呼ばれる、たたら操業の責任者でした。
たたら製鉄は、燃えさかる炉に砂鉄と木炭を交互に入れるため、不眠不休で3昼夜の体力勝負。村下は炉の中の様子を五感と経験で判断して対応するため、熟練のほか技術の伝承も必要で、過去には村下が不在だった時期もあります。釜から出した鉧(けら)と呼ばれる塊からは数種類の鉄が採取され、そのうち最も希少なものが玉鋼です。
磯田さんは曽祖父には会ったことがありませんが、幼い頃に祖父に連れられて博物館「奥出雲たたらと刀剣館」を訪れた記憶はあり、たたらは身近な文化として確かに存在していました。「奥出雲町といえば玉鋼。どうにか玉鋼を入手したい」と磯田さんは奔走し続けました。
偶然できる色と輝き
構想から7年ほどたったころ、玉鋼を譲ってくれるという刀匠に出会いました。ようやく念願の玉鋼を手にした磯田さんは、その無骨ながら繊細な美しさに魅了されました。
玉鋼は荒い結晶のようなゴツゴツした見た目ですが、ところどころに青や金などの色がついており、宝石のような輝きも見せます。
「熱した際にできる酸化皮膜により、たまたま色が生まれるそうです。形だけでなく、きらめきも一つひとつ違う。一つとして同じものがないんです」
アクセサリーに加工するときは、ネックレスやピアスなど種類によって玉鋼の使用部分や大きさを調整します。玉鋼は非常に硬く熱が伝わりやすいため、加工は一苦労。リューターという電動の回転工具で削っていきますが、熱くなるのでたびたび休憩する必要があり、時間もかかります。
「ゴツゴツ感を生かしたいので、あまり削りすぎないようにしています。これまでもアクセサリーをつくってきましたが、素材に対する思いは、玉鋼に勝るものはありませんでした」
観光で奥出雲を訪れて玉鋼を知ったという人からの注文や、友人3人でおそろいで色違いを身につけたいというオーダー、歴史やアニメが好きな人からの「推しの色と同じものを」というリクエスト。玉鋼アクセサリーを望む人たちそれぞれの物語が、磯田さんの創作意欲をよりかき立てます。
上京してから気づいたこと
磯田さんの作品は、オンラインサイトのほか、松江藩で鉄師頭取を勤めた絲原家の住宅内にあるカフェ「茶房十五代」でも販売しています。その敷地には、たたら製鉄の守護神をまつる「金屋子(かなやご)神社」があり、磯田さんも立ち寄るたびにお参りしています。
「玉鋼という素材のもつ歴史や物語、奥出雲のことを、アクセサリーを通して世界に知ってもらえたら」
「子どもの頃は、こんな田舎は嫌だという思いがありました。でも東京に住んでいたとき、いつのまにか島根のことを自慢している自分がいたんです。『島根は田舎だけど空気がきれいだし仁多米はおいしいし、玉鋼という素敵な素材があるんだ』と。地元に誇りを持っていたことに気づきました」
磯田さんは、自分と同じように地元の魅力に気づけていない人たちもいるのではないかと話します。
「奥出雲で暮らす人たちにも、歴史的な価値がある貴重な素材を育む魅力的な町なんだと再認識してもらえるように、玉鋼のアクセサリーを世界に届けていきたいです」