子どもが騒ぐと「なぜ親は叱らないの」という視線が注がれる理由を、小児精神科医が考えた

小林明子

アメリカで小児精神科医として子どもの心と向き合っている、ハーバード大学医学部准教授の内田舞さん。初の単著『『ソーシャルジャスティス』では、#MeToo や #BlackLivesMatter、新型コロナウイルスのパンデミックなど世界を揺るがせた動きを例に、ネガティブな感情との向き合い方について一つの見方を示しています。ままならない日常のモヤモヤに視点を移し、話を聞いてみました。

写真はイメージです
Adobe Stock / takke_mei

ーー内田さんはマサチューセッツ総合病院の小児うつ病センター長として、子どものメンタルヘルスに向き合っています。

私は気分障害を専門としており、困りごとを抱えている子どもと親に日々接しています。うつ病や双極性障害、ADHD(注意欠如・多動症)などに起因し、怒りを抑えられず爆発させてしまう子や、能力があるのに授業やテストで実力を発揮できず、自己肯定感が下がってしまった子たちがいます。周りからの期待と子どもの行動とのギャップに悩んでいる家族が少なくありません。

周りにアピールするために叱る

ーー子育て全般の悩みに通じるものもありそうです。

はい。実は私は3人の子どもたちを連れて日本に帰ってくるたび、自分は母親としてダメだと思ってしまうんです。アメリカではあまり自覚することのない感情です。

なぜかというと、親に向けられる社会からの目や、家族に求められている行動規範に、無言のプレッシャーを感じとって窮屈に感じるからだと思います。

例えば、わが家の子どもたちは公園で高いところに登って思いきりジャンプしたり、バスの中でおしゃべりしたりするんですが、ふと気づくと他の親からドン引きされていることがあります。「そんなことしていいの」「母親なのに怒らないんだ」という非難の視線が刺さります。

子どものしつけは親の役目だとされているから、わが子をコントロールできていない親が非難の的になるんですね。公共の場で子どもを叱るのは周りにアピールする意味もあるという話を日本の母親たちから聞いて、なるほどと思いました。

内田舞
内田舞さんと家族
Mai Uchida

歯磨きには「パクパクゲーム」

でも、子どもの行動を変えるためには、叱るしか選択肢がないのでしょうか。子どもができないことを叱ったり怒ったりしたからといって、急にできるようになるわけではないですよね。

私は、レストランで料理が提供されるまでの間、子どもたちにテーブルでできるゲームを提案しています。歩き回る子どもに「座りなさい」と叱ったとしても静かに座りませんし、むしろ泣いたりして余計に時間がかかることがあります。ここで何がゴールかと考えると、いまこの時間に子どもが座ることです。だとしたら、ゲームをすることは叱るよりもゴール達成を成功しているといえます。

同じように、次男が歯磨きを嫌がったときは「パクパクゲームをしよう」と言って、口を2秒開けて2秒閉じるルールを決め、開けた2秒の間にささっと磨いたりしています。パジャマを着たがらない長男には「目を閉じたまま着るゲーム」「10秒以内に着るゲーム」などを提案しました。

大人になってからも歯磨きができない人や服を着替えない人はいませんから、今この瞬間に歯磨きをさせることやパジャマを着させることがゴールです。そのゴールを達成するアプローチの仕方は何でもいい。叱ると子どもも親も嫌な思いをするので、あえてしんどい道を選ぶのではなく、むしろ楽しいアプローチやラクな方法のほうがいいのではないでしょうか。

カッコ悪い感情と向き合う

ーーイライラしたり感情的になったりすることが多い日常で、瞬時にポジティブなアプローチを考えるのは難しそうです。

たしかにすぐには難しいので、考え方の柔軟性を高める練習は必要かもしれません。私は日々の生活の中で「再評価」することを意識しています。私自身の研究テーマの一つでもあるのですが、ネガティブな感情を感じたときにいったん立ち止まり、客観的に「本当に今このようなネガティブな感情を感じる必要があるのか」と評価して、状況や感情をポジティブな方向に持っていく心理的プロセスです。

例えば嫉妬を感じたとき、モヤモヤしている感情と客観的に向き合って、「いま私は嫉妬しているんだ」と認識することから始めます。自分は何に対して腹が立っているのだろうか。ここでこういう行動に出るのはまずいだろう。こんなことで怒っている自分はカッコ悪いけど、それが自分なんだから受け入れるしかない。そうやっていろいろと考えをめぐらすことで、正体不明の鬱々とした感情を軽減できることがあります。

内田舞
内田舞(うちだ・まい) / 小児精神科医、ハーバード大学医学部准教授、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長。2007年北海道大学医学部卒、2011年イェール大学精神科研修修了、2013年ハーバード大学・マサチューセッツ総合病院小児精神科研修修了。日本の医学部在学中に、米国医師国家試験に合格、研修医として採用され、日本の医学部卒業者として史上最年少の米国臨床医となった。3児の母。
©文藝春秋

つまり「再評価」のプロセスでは、自分にとって都合の悪いことにも向き合わなければなりません。怒りや嫉妬の感情をコントロールすることに加え、差別や偏見にもとづく考えや行動を内省することも「再評価」のひとつだと言えます。

ただ、こうした都合の悪い「再評価」は脳の機能上、難しいこともわかっています。「固定観念」や「無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)が「固定」や「無意識」といわれるように、一度形成されると取り払いづらいのは脳の仕組みに関係しているからです。

「刷り込み」の正体

ーー固定観念や無意識の偏見はよく「刷り込まれる」と表現されますが、脳の働きとしても説明できるということでしょうか。

脳の中には感情のコントロールに関わる領域がいくつかあります。そのうち前頭前野という部位が、感情の抑制や促進をコントロールしています。物事を論理的に考えるときには前頭前野が活発に働くのですが、日常の暮らしの中で考えなくてもいいことについては、前頭前野の活動は自動的に抑制されるようになっています。

例えば、通勤電車で毎日同じ駅で降りる習慣を繰り返していると、どの駅で降りるかを特に考えなくてもいいように前頭前野の働きが勝手に抑制されます。すると、たまに違う場所に行くときに、うっかりいつもの駅で降りてしまうようなことが起きます。

これは意識や価値観についても同じで、「親に厳しくしつけられて育った」「周りには子どもを叱る親が多い」といった経験が積み重なるごとに、「親は子どもを厳しくしつけるべきだ」という固定観念が形成されます。いったん固定されると、前頭前野が「このことについては考えなくていい」という抑制シグナルを受け取るため、ほかの考え方に気づくことも、考え方を変えることも難しくなるのです。

ソーシャルジャスティス
『ソーシャルジャスティス』(文春新書)
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ーーその「刷り込み」に、年齢は関係あるのでしょうか。

一概に年齢に影響されるとは言い切れませんが、反復されればされるほど習慣化されて働きが抑制されるので、同じ情報を長く得ているとそれだけ前頭前野の活性化が難しくなるのは事実です。

いったん「このことについては考えなくていい」という抑制シグナルを受け取った前頭前野を再び活性化するのは、面倒くさい作業です。特に、その固定観念のために嫌な思いをする機会のない人は、考えなくてもいいことや考えないほうが得することのほうが多いため、「考えてください」と言われること自体に大きなストレスを感じます。

つまり、刷り込まれた固定観念をアップデートすることは難しくて当然なんです。しかし、だからといって考えなくてもいいということではありません。

アメリカに住んでいると、日本ではマジョリティであるはずの日本人男性がステレオタイプな見方をされて侮辱されている場面に出くわします。身近なネットワークの中だけで「常識」が凝り固まっているときは、異なるものに触れることで、新たな情報が入り、前頭前野が活性化されていきます。

人と対話をしたり本を読んだりと、小石を投げるような小さな行動で十分です。ちょっとエネルギーを使って意識的に前頭前野を活性化させることは、自分自身の生きやすさにもつながります。その繰り返しで社会は変わっていきますから、きっと誰にでもできることだと思っています。

【訂正】ADHDの日本語表記を訂正しました(2023年5月3日)

著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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