限界集落を「1000人の桃源郷」に。前田薬品3代目が目指す、社員と地元が幸せな15年後

小林明子

立山連峰を望む高台に広がる田んぼにひっそりと佇む、半地下のサウナ。周りには、レストラン、スパなどの施設が点在しています。ここは、ハーブとアロマをテーマにした複合施設「Healthian-wood(ヘルジアンウッド)」。たった9世帯の限界集落を、世界中から人が訪れる「1000人の村」にするという壮大な構想。仕掛け人は、製薬会社の3代目です。

ヘルジアンウッド
Healthian-woodの水田で育てた米は、2024年も収穫を終えた
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

立山連峰の麓の小高い土地に、どこか懐かしい田園風景が広がっています。「散居村」という伝統的な集落形態を模し、あえて田んぼに点在するように建物が配置されているからです。限界集落の耕作放棄地だった場所に一つまた一つと建物が増え、人が行き交う様子は、かつて活気があった農村の風景を取り戻したかのようです。

ヘルジアンウッド
広大な敷地には建物があえて点在するよう配置されている
ヘルジアンウッド
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ここは、富山県立山町に2020年にオープンした複合施設「Healthian-wood(ヘルジアンウッド)」。前田薬品工業3代目社長の前田大介さんが発案し、同社と関連会社が運営しています。

前田薬品の社員が「複業」としてここで農作業を担うことも。訪れる人だけでなく、働く人たちも心身ともに健やかに過ごせることを目指しているといいます。薬の製造にとどまらず、いかに健康でいられるかを追求して生まれたこの施設にかける思いを、前田さんに聞きました。


「兼務」ではなく「社内複業」

前田薬品の社員180人のうち約30人は「社内複業」をしています。週5日勤務のうち1日は、普段の業務とは異なる業務にチャレンジできるというもの。普段は工場で製造に携わっている人がヘルジアンウッドで田んぼを耕したり、品質管理をしている人がクラフトジンの蒸留をしたり。他部署やグループ会社の業務を積極的に手伝っています。

「兼務」ではなく「複業」と呼ぶのは、個人の成長の機会にしてほしいからです。

ヘルジアンウッド
ハーブから精油を抽出する機械
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

富山県では人口減少が止まらず、今後はAIの活用も進んでいく中で、複数のキャリアを持つことは強みになります。たとえ今の自分の仕事がなくなっても別の仕事ができると期待が持てると、働くことに幸せやワクワクを感じられるはずです。

前田薬品では2013年にデータ改ざんが発覚し、存続の危機に瀕しました。経営の立て直しをする中で、会社の存在意義に気づくことができました。それは、社員を健康で幸せにするという根源的なことでした。

【関連記事】不祥事でどん底からの経営再建。前田薬品3代目は、得意分野に全集中する戦略に賭けた

前田大介さん
前田大介(まえだ・だいすけ) / 前田薬品工業株式会社 代表取締役社長
1979年富山県生まれ。会計事務所を経て、2008年に前田薬品工業入社。過去の試験データ改ざんが発覚したことで2014年、父が社長を引責辞任。3代目社長に就任し、わずか3年で経営を再建。塗り薬と貼り薬に特化し、ジェネリック医薬品の外用剤の売上高国内トップ5に。2020年3月、富山県立山町にアロマ抽出工房を備えた複合施設「Healthian-wood(ヘルジアン・ウッド)」を開設し、アロマ製品やスキンケア化粧品の開発・販売のほか、レストランやスパ、サウナなどを運営。関連会社である株式会社GEN風景の代表取締役として、世界一美しい村づくりを目指す。 
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

2013年9月、大手メーカーから受託していた製品の安定性試験でデータの改ざんが発覚しました。役員全員が引責辞任し、父に代わって社長になった僕は、取引先に謝罪に回る毎日でした。

1年半ほど経った頃でしょうか。朝、目覚めると鈍器で後頭部を殴られたような強烈な頭痛に襲われ、起き上がれなくなりました。脳神経外科で検査しても異常は見つからず、薬を飲んでも治らず、しばらく寝たきり状態になりました。

そんなとき、友人がカフェサロンに連れて行ってくれました。アロマが焚かれた空間で、深く呼吸しながらボーッと過ごしていたら、いつの間にか頭痛が消えて楽になったんです。それが、アロマとハーブとの出会いでした。

ヘルジアンウッド
施設内の畑でハーブを育てている
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

それまで、アロマにもハーブにもまったく興味がなかったのですが、調べてみるとヨーロッパでは精油やハーブを医薬品として処方している国があり、医療や薬学のルーツでもあることがわかりました。

製薬会社として薬の原点であるハーブを扱いたいと考えると同時に、自分がアロマで元気になれた経験から、人々が健康でいられるための活動をしたいと強く思いました。

ヘルジアンウッド
アロマ工房では、アロマバスソルトづくりなどを体験できるワークショップが開催されている
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

最初はただ、ハーブを育てる畑と精油を抽出する工房をつくれたらと思っていました。富山県内で土地を探し始め、百十数カ所を巡ってここに行き着いたら、農業、飲食、宿泊事業など、新しい業態が自然に生まれてきました。

前田薬品は外用剤を得意としているので、アロマを使ったスキンケア商品をつくり、立山のアロマブランド「Taroma」を立ち上げました。そのエッセンシャルオイルを使ったスパや、ハーブウォーターでのロウリュウがあるサウナホテルもオープンしました。米づくりにも挑戦し、地元の豊かな食材を提供するレストランをつくりました。三角屋根のイベントスペースではマルシェやコンサート、結婚式を開催しています。

ヘルジアンウッド
アロマ工房で抽出したエッセンシャルオイルのトリートメントが受けられるスパ(左)と、2種類のサウナ室を設けた貸切型のサウナホテル「The Hive
Akiko Kobayashi / OTEMOTO
ヘルジアンウッド

僕自身、出張でひっきりなしに移動していますが、ここに来ると毎回、五感が研ぎ澄まされる感覚になることに驚きます。

高いビルに人を押し込むような都市型のスタイルとは対極の場所です。建物も人も密集しておらず、見渡す限り大自然が広がっています。空をゆっくり見上げ、雄大な山並みをただ眺めていると、悩みやトラブルなど些細なことに感じられ、自分らしい幸せについて深く考えるようになります。

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隈研吾さんが設計した多目的イベントスペースは結婚式やヨガなどに利用されている
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

1000人の村をつくる

この地区は9世帯20人のいわゆる限界集落でした。うち15人が65歳以上で少子高齢化が進んでおり、地区にあった小学校は2019年に廃校になりました。

ここを、300世帯1000人の村にするのが僕の夢です。年間10万人の観光客が訪れ、住んでいる人と訪れる人が混ざり合い、日本語だけでなく英語も飛び交うような村にしたい。

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廃校を活用した体験宿泊型の施設の準備が進んでいる
ヘルジアンウッド
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小学校の跡地は、コクヨの空間設計プロデュースのもと宿泊体験施設として再活用する準備を進めています。また、築130年以上の古民家「土肥邸母屋」は、宿泊施設とおばんざい屋にリノベーションしました。台所を仕切るのは、地元の女性たち。75歳の女性が面接で「これからますます自分を成長させていきたい」と話していたというのが忘れられません。

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築130年以上の古民家を宿泊施設にリノベーションした
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

僕は前田薬品の3代目ですが、後継者を育てた後は、健康づくりのためと好きな富山のために心血を注ぐつもりです。

限界集落を1000人の村にするなんて無謀だと言われるかもしれませんが、「世界一美しい村」にしたいと、僕は本気で思っています。日本の古きよき原風景こそが"最先端"だという価値観が生まれるように、この村をアップサイクルしていきたい。

経済合理性とは対局にあっても、幸せの曲線を上げるってこういうことだという一つの答えをこの村から示していきたいです。2040年に僕が還暦を迎えるときに住みたい桃源郷を毎日イメージしています。

ヘルジアンウッド
取材の日、おばんざい屋の開店準備が進んでいた
Akiko Kobayashi / OTEMOTO
心のローカル
特集「心のローカル」 / OTEMOTO

著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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