産後5日目に生死をさまよった。だから今、渋谷の中心で育児に悩む人を支える
東京・渋谷の子育て拠点施設「渋谷区子育てネウボラ」の中にある子育て支援センター「coしぶや」。遊び場やカフェがあり、誰もが気軽に立ち寄りやすい雰囲気です。ここでコミュニティコーディネーターをつとめる大和桂子さんがこの仕事をはじめたのは、自身の出産後の壮絶な体験がきっかけでした。
初めての出産から5日目。大和さんは産院のベッドで休んでいたときに「陣痛より痛い」と思えるほどの激しい頭痛に突然、襲われた。
「明らかにおかしい」と、慌ててナースコールを押す。ストレッチャーでレントゲン室に運ばれ、CTを撮ると、くも膜下出血が疑われることがわかった。救急車で大きな病院に運ばれた。
「翌日に退院というタイミングでした。いま死ぬわけにはいかない、と救急車の中で意識を失わないように必死でした」
「やっと一人になれた」と解放感
幸い出血はひどくなく、6時間の処置の後、安静にするためにHCU(高度治療室)に移された。携帯電話もテレビもない部屋で、半日ほどベッドの上で天井だけを見ていた。とにかく生きなきゃ、と産んだばかりの子どもと過ごす未来に神経を集中させた。
ところがその後、不安の中で最初に感じたのは、「やっと一人になれた」という解放感だったという。
「何一つ育児のやり方がわからないのに、今にも死んじゃいそうなか弱い人が突然、目の前に現れて。母親だからやらなきゃいけない、甘えてはいけないというプレッシャーは、信じられないほどの緊張感とストレスになっていたようでした」
眠れないとは知らなかった
大和さんは妊娠中、つわりは軽めで、経過は順調だった。
「赤ちゃんとの生活がどんなに大変か、まったく想像できていませんでした」
陣痛が始まってから24時間後に病院に行き、翌日に分娩したため2日連続で不眠不休。出産後は慣れない授乳と世話でほとんど眠れず、日中も出産祝いに訪れる友人たちとの面会の予定を詰め込んでしまっていた。
「面会はあまり入れないほうがいいとか、夜は新生児室に赤ちゃんを預けたほうがいいとか、産後ケアセンターを予約したほうがいいとか、今ならアドバイスできます。でもそのときは産後ハイのような状態で、身体を休めることに意識が向いていませんでした」
眠れない日が続き、精神状態が日に日に不安定になり、体力は限界に近づいていた。産後3日目、見舞いにきた夫の胸に突っ伏して大号泣した。わけもわからず涙が止まらなかった。
くも膜下出血は、身体が上げた悲鳴だったのかもしれなかった。
大和さんがくも膜下出血で倒れて入院している間、育児休業を取得していた夫がひとりで赤ちゃんの面倒をみることになった。最初の10日間は産院が夜間だけ預かってくれたが、その後の預け先が見つからなかった。夫のメッセージからは疲れ切った様子がうかがえ、大和さんは病院のベッドの上で、乳児院や一時預かり施設を探し続けた。搾乳や検査の合間にも、住んでいた区の子ども家庭支援センターに電話をかける日々が続いた。
約1カ月後にようやく退院できたが、夫の育休が終わるタイミングと重なった。赤ちゃんが泣き続け、夫は疲れ果て、手伝いにきた母親がせわしなく動いている。そんな状況を、ただ横になって見ていることしかできなかった。
「見舞いにきてくれた友人が、私が寝ている横で民間のベビーシッターサービスにスマホでサクサク登録してくれたんです。人に頼らないと無理だ、頼ってもいいんだと、このときに身に染みてわかったのは結果的にはよかったと思います」
ワンオペに疲れて家出した友人
生後3カ月で保育園に預けることができ、ようやく少し生活を立て直せてきたころ、徐々に当時の仕事にも復帰した。今度は、大和さんが周りから頼られる番がやってきた。
2年ほどワンオペ育児を続けていた友人が、耐えかねて家出したのだ。彼女の夫は激務で、いつも朝方の帰宅だった。大和さんは「私がしてもらったようなサポートを彼女にもしたい」と友人が泊まっていたホテルに出向き、話を聞いたり支援先を探したりしたが、その帰り道で無力感にさいなまれた。いくら彼女をサポートしても、彼女の夫の会社を変えられるわけでもなく、限界があると気づいたからだ。
「根本的な解決をしない限り、彼女のような人を救うことができない。社会や法律を変えないと」
子育てしている人を支援する仕事をしたい、という使命感が生まれた。
ちょうどその頃、渋谷区で子育て支援施設のオープンに向けて準備をしていた「まちの研究所」の採用募集を見つけ、コミュニティコーディネーターとして採用された。渋谷区と連携し、施設の立ち上げに携わった。
ポロポロと泣き出した母親
2021年8月にオープンした「渋谷区子育てネウボラ」は、8階建て。子どもの遊び場や誰でも利用できるカフェがあるフロア(「coしぶや」)の上に、健診や保健相談のフロア、子ども発達支援センターなど専門的な支援を受けられるフロアがあり、子ども・子育て支援の機能が一体化している。保護者の通院や官公庁の事務手続きなどの間に子どもを預ける「短期緊急保育」も利用できる。
子育ての不安や悩みを抱えている人がいきなり病院や専門機関を訪ねるのはハードルが高い。大和さんたちスタッフは、「深刻な事情を抱えている人ほど『相談先』と掲げられた場に行きづらいのでは」という思いから、カフェや遊び場ではスタッフのほうから積極的に声をかけたり、イベントを開いたりして、話しやすい雰囲気づくりを心がけている。
ある日、カフェで赤ちゃんを寝かせるのに手間取っていた母親がいた。スタッフが声をかけ、代わりに赤ちゃんを抱っこをして何気ない会話をしていたら、笑いながらもポロポロと涙をこぼしたという出来事があった。
別の母親は、悩みを抱えている様子だったためスタッフが気にかけていた。その後しばらく施設を訪れなかったため心配していたら、カフェのイベントに参加の申し込みがあった。それをきっかけに再び遊び場を利用するようになり、少しずつ笑顔が増えていった。
一日中、赤ちゃん以外の誰とも話す機会がないという母親も少なくない。悩みがあっても、いきなり役所を訪れるのはハードルが高く、勇気がいる。かしこまった相談窓口ではなく、気軽に参加できるイベントや空間があることで、関係を途切れさせることなく、ゆるやかにつながり続けることができる。
悩みが深刻な場合は上のフロアの相談機関や専門家を紹介することもできるため、施設を訪れてもらえさえすれば、必要に応じた手厚いケアが可能だ。
母親9割を当たり前にしたくない
あのとき、生死の境をさまよった大和さんの子どもは、いまは3歳になった。
「私自身もしんどいことは相変わらず毎日たくさんあります。育児や家族、社会についてモヤモヤと悩むときに、私の場合はすべて仕事にぶつけられることで救われています」
coしぶやは利用登録をすれば誰でも利用でき、登録者は1万人を超えている。渋谷区民に限らず、近隣の区から遊びにくる人もいる。
今後は、未就学児の親だけでなく、妊娠中から利用してもらって継続的に関係を築いたり、小学生も訪れやすいよう工夫したりと、より開かれた施設を目指すという。
いまは利用者の約9割が女性だが、「この状態が当たり前であってほしくない」と、父親の参加を促すイベントにも力を入れている。
大和さんは産後に不安やストレスに襲われた自身の経験から、子育ての当事者とそうでない人がゆるやかにつながる社会を実現したい、と話す。
「もしも家で孤独だったとしても、街に出たときにたくさんの人に優しくしてもらえたら、子育てはだいぶ楽になるのではないでしょうか。私も出産するまでは、街の中でマタニティマークをつけている人やベビーカーを押している人が何に困っているのかが、本当にわかっていなかったんです」
「この施設の中だけが安全地帯なのではなく、このまま街に出ていっても、何ら変わらず街の人に助けてもらって、自分はひとりじゃないんだと思える世界になってほしい。だからこそ渋谷のど真ん中で、ちょっと派手に発信を続けていきたいんです。地域のみんなで子どもを育てる。それが、私たちがつくらなきゃいけない未来ではないでしょうか」