スーパー銭湯しか知らなかった27歳が、老舗銭湯の番台に立った理由
昔ながらの銭湯は老朽化し、経営者は高齢となり、跡継ぎ問題に頭を悩ませています。そんな中、銭湯に浸かったこともなかった素人の若者が、創業80年の老舗銭湯の店長に名乗りをあげました。彼が目指す銭湯の姿とはーー。
2022年4月26日、「いい風呂」の日に、1軒の銭湯がよみがえった。
東京都足立区の西新井。昔ながらの佇まいを残した商店街で、「堀田湯」のネオンサインはひときわ存在感を放っている。
自転車がチリンとベルを鳴らしながら、サインポールが回る理髪店の前を通り過ぎる。湯上がりに暖簾をくぐると、すぐそこに人びとの生活がある。
入社3年目の決断
創業80年の堀田湯は老朽化し、3代目に代替わりするとき、マンションに建て替えるべきだという案も出ていた。3代目社長として堀田湯を引き継ぐこととなった堀田和宣さんは悩んでいた。
自身が創業したウエディング会社「グッドラック・コーポレーション」の経営で多忙を極めており、銭湯の経営にまで手が回らない状態だったからだ。しかし、久しぶりに戻った街に、幼いころから遊び場だった銭湯に、やはり愛着があった。
「地域に根付いた銭湯文化をなくしていいんだろうか」
老舗の危機を救ったのは、堀田さんが経営するグッドラック・コーポレーションでウエディングプランナーとして働いていた大塚輝さんだった。入社3年目の大塚さんにとって、社長である堀田さんは「ZOZOTOWN」や「テイクアンドギヴ・ニーズ」の創業にも関わってきた、雲の上の存在だった。
「僕にやらせてください」
大塚さんは銭湯の店長候補として手を挙げた。尊敬する社長のすぐ近くで経営を学べるかもしれないと思ったからで、銭湯に関心があったわけではなかった。銭湯といえば、幼い頃に両親に連れて行ってもらったスーパー銭湯しか知らなかったという。
「風呂屋めぐり自体やったことがなかったので、お風呂好きの人たちの気持ちをまずは知らなければと必死でした」
地域と再びつながる
タオルを手に、東京周辺の銭湯を40〜50軒、回った。堀田さんと設計士の視察を兼ねた入浴に同行したこともあるが、2人が進めている内装やサービスの話についていけなかった。
「銭湯ってこんな感じなんだ、と驚きの連続で、追いつくのに精一杯。こんな銭湯にしたい、と考えられるようになったのは、ずいぶん後になってからでした」
大塚さんは銭湯がオープンしてから切り盛りするものだと思っていたが、任されたのはオープン前のほぼすべての準備。グッドラック・コーポレーションを退職して退路も断たれた。
手ぬぐい一つ作るにも、業者を調べ、見積もりをとり、デザインを精査する。設備も備品もわからないことだらけだったが、ゼロから創り上げるおもしろさも感じていた。
洗い場に設置した鏡には、企業名を掲載する「鏡広告」を復活させた。近隣のおすすめスポットや店舗を紹介する「西新井マップ」も制作した。これらの掲載の交渉のため、地元の店舗や企業を訪ね歩いた。
リニューアルのコンセプトは「この街を、温める。」、地域と再びつながるのだ。
堀田湯には、内湯、露天風呂に加え、ロウリュウ式の薬草サウナがある。内湯の大きなタイル画はリニューアル後も残してあり、昭和レトロな雰囲気はそのままだ。
目まぐるしい準備を経て、迎えたリニューアルオープンの日。大塚さんは朝からずっと番台に立っていた。リニューアル前の常連だったという客の顔を覚えようと必死だった。
「うれしかったですね。ずっとお客さんが入ることを楽しみに待っていたから、すごくうれしかった」
素人だからできたこと
銭湯もサウナも、好きでもなんでもなかった。気後れしてばかりだった。ところが、「素人でよかった」と思えたこともあった。
堀田湯には、サウナ室で大判のタオルを振り、高温の水蒸気を客に送る「熱波師」がいる。
「YouTubeやテレビで熱波師という人がいると知って、うちにもいたら喜ばれるんじゃないかと思い、専属の『アウフギーサー(熱波師)』を入れたんです。専属は珍しいらしくよく驚かれるんですが、他の銭湯にあまりいないということ自体、知りませんでした」
「先入観がないがゆえに、単純にこうしたら喜ばれるんだろうと思った企画や発想を、行動に移しやすかったんだと思います」
ウエディングプランナーだった頃、目の前のお客さんが喜んでくれることに、大塚さんは喜びを感じていた。
「結婚式のようなドカンと大きな幸せではないけれど、日常の小さな幸せをサポートするという意味では、仕事の喜びは同じなんです」
苦情がきた理由がわかった
一方で、若い店長ゆえの葛藤もあった。
オープンした後、次々と苦情が寄せられたのだ。直接スタッフに声をかけず、SNSに書き込まれたこともあった。
椅子が高い。鏡が汚い。サウナでしゃべっている人がいるーー。
脱衣所のベンチは、業者に頼んで脚を切って低くしてもらった。掃除にも気を配った。常連客は知り合いが多く、サウナは憩いの場になっている。遠方から訪れるサウナーと地元のお年寄りのコミュニケーションは、すぐにはうまくいかなかった。
「こんなに苦情がくるのかと、くじけそうになりました。何日も頭を下げ続けて限界を感じていたある日、気づいたんです。お客さんにとって、ここは自分の家の風呂と同じなんだと」
細かい要望は、愛されているからこそ。また来たいと思ってくれているお客さんを大切にしたい。ウエディングプランナーや学生時代の飲食店のアルバイトで培った、接客の基礎を噛み締めた。
裸足にジーンズで働く
オープンから3カ月あまり、客層は7:3で地元の人が多めだ。お昼過ぎに訪れ、湯上がりにたっぷりおしゃべりして帰る年配の人もいれば、夜遅くに友達同士でサウナを目当てにくる若い人もいる。
営業時間を1時間延長して24時までにし、スタッフから積極的に声をかけるよう心がけた。
「最初は『若い人が増えて居心地が悪い』と言っていた年配の常連客が、『若い人としゃべると元気をもらえる』と言ってくれるようになりました」
老若男女に愛される銭湯になるまで、あともう一歩だと感じる。
「ファミリー層も呼び込んで、子どもたちが大きな風呂でワーッと歓声を上げているような、わちゃわちゃした銭湯が理想です」
大塚さんは、堀田湯の外にも目を向ける。
「銭湯のオーナーたちの集まりに行くと、70〜80代の方がほとんどで、跡継ぎに困っていました。40代でもルーキー。僕なんて赤ちゃんみたいでしたが、若いからこそ武器になると思いました」
「跡継ぎがいなくても、僕のように外から呼び込むという選択肢もある。銭湯の店長ってかっこいいんだぜ、という姿を見せていきたいし、銭湯の秘めている可能性を堀田湯から発信していき、業界を元気にしたい」
友達に「銭湯の店長になった」と伝えると、驚かれたあとに「っぽいね」と言われる。スーツを着て満員電車で通勤するような仕事は性に合わない。裸足にジーンズの裾をまくり上げ、オレンジ色の半被を引っかけて、大塚さんは今日も番台に立つ。