「泣いちゃだめ」と2歳の子に言われて。親と暮らせない子どもが愛情を知る、里親家庭とは
さまざまな事情で親と暮らせない子どもたちは全国で約4万2000人います。そんな子どもを家庭で受け入れる「養育里親」は、1年以内のこともあれば長期間にわたって預かることもあります。実の子ども2人を育てながら養育里親を続けている齋藤直巨さんに、里親家庭の暮らしと課題について聞きました。
「養育里親」は養子縁組とは異なり、法的な親子関係はありません。実の親に代わって一定期間、子どもを家庭で預かって育てる制度です。親が体調を崩したときや下の子の出産で入院するときなど「数日間だけ預かってほしい」というニーズにも対応する一方、子どもが18歳になるまで長期にわたって一緒に暮らすこともあります。委託期間や子どもの年齢は、里親家庭の希望や環境によってマッチングされます。
東京都中野区の齋藤直巨さんは、短期と長期の両方の養育里親を経験しています。
いまは夫と2人の娘、そして高校生の小春さんと暮らしています。小春さんは13年前、3歳のときに乳児院から齋藤さんのうちにやってきました。
今でこそ末っ子として実の子と同じように何でも言い合える関係ですが、最初は大変だった、と齋藤さんは振り返ります。
「こちらの顔色を見て答えを探す感じでした。自分が何をしたいか言えないし、言ったとしても逆のこともありました。納豆が好きだと言っていたのに実は嫌いだったり、好きなものを出しても食べなかったり。本当のことを言ったら嫌われたり怒られたりするかもしれないと恐れていたようです」
乳児院は、0歳から3歳ごろまでの子どもを預かる施設です。小春さんに愛情をかけてくれる職員もいましたが、シフト制のためずっと一緒に過ごすことはできません。
「職員が帰宅するときに置いていかれる感覚があったようで、職員のシフトをよく覚えていたそうです」
小春さんを預かってしばらくしたある夜、齋藤さんが寝ているときにふと気配を感じて目を開けると、枕元に3歳だった小春さんが立っていたことがありました。
「いるかな、と思って」
そうした出来事が何度か続き、齋藤さんは、小春さんが乳児院でひとりで寂しさを抱え込んでいたのだと知りました。
「真っ暗な家の中で物音を一切たてないで枕元にきたのも、それまで言動を抑制してきたからではないかと思いました。3歳の子が気を使って、大好きな職員さんに『ずっと一緒にいてほしい』と言えなかったんです」
小学4年生で家出
小春さんは保育園に通いはじめると、保育園の施設が乳児院と似ていることから「ここに住みたい」と言い出しました。保育園は乳児院と違って泊まることはできないのだと伝えるために、齋藤さんは帰宅したあともう一度、小春さんを真っ暗な保育園に連れて行きました。
小春さんが小学4年生のときには、姉とけんかしたあとに「いままで育ててくれてありがとう」と置き手紙をして家出をしたこともありました。齋藤さんたちは泣きながら必死に探し、3時間後にようやく見つけました。小春さんは後日、「私がいなくなってせいせいして、家族でご飯を食べているのだと思っていた」と打ち明けました。
齋藤さんは、こうした小春さんの言動に真正面からぶつかり、拒絶されても拒絶されても愛情を伝えるようにしてきました。
「子どもは生まれてすぐ『ミルクがほしい』『遊びたい』とめいっぱい自己主張しながら育ち、そのひとつひとつに保護者が対応することで、信頼関係の土台ができます。その経験が不足した場合、自分はケアされる価値があるんだという自己肯定感が生まれにくく、人との信頼関係を築くことが難しくなるようです」
「これは多くの里親が直面する問題です。里親が愛情をかけるほど、本当に大切に思っているのかどうかを確認するために、あえて拒否的な態度をしてみる子もいます。拒絶されると里親のほうも悩み、摩擦が生まれます。子どもの本音がわからない、と相談を受けることも多いです」
齋藤さんは里親の経験から、一般社団法人グローハッピーを立ち上げ、行政や団体と連携して、地域の子育て支援の体制を整える活動を2016年から実施しています。里親制度を活用することで身近な子育て世帯をサポートできると考え、里親の研修も実施しています。
齋藤さん自身、手探りで子どもと向き合う中で、対等なひとりの人間として子どもと接することの大切さを学んだといいます。
「実の子であろうと養育している子であろうと、大人であろうと子どもであろうと、人と人とは自然にわかりあえるわけではないという前提に立つようにしています」
「双方の思いを言葉にして確認していかないと、簡単に大人のほうが子どもの領域を侵害してしまうからです。たとえば教育虐待など、親がよかれと思ってやったことが子どもを苦しめることだってあるわけですから」
生きている人を大切にしたい
齋藤さんが「養育里親」に関心をもったのは高校生のころでした。不妊に関する報道を見て、「自分には子どもが生まれない可能性があるんだ。でも子どもは育てたい」と漠然と感じていました。
また、当時の「子どもは黙って親の言うことを聞けばいい」といった風潮に疑問も感じていました。
「親子であっても親と子どもは異なる人格です。子どもは親の所有物ではないので、『育てたい』というより『育てさせてください』という感覚に近く、養育里親に関心をもちました」
結婚後、長女を出産しましたが、そのあとに流産を経験。しばらくして次女を妊娠したときも流産の恐れがあるとして半年間の自宅安静を指示され、寝たきりの生活になりました。
「人間が無事に生まれてくるってこんなにも難しいこと。ならば生きている人を大切にしたい」
悲しみと不安の中で、そう強く感じました。
無事に次女が産まれた後、いったん仕事を休んで子育てに集中する生活がはじまりました。義母と同居したことで、「今なら一人くらい力になれるんじゃないか」と養育里親になることを真剣に考えるようになりました。
当時、長女は小学2年生、次女は2歳。実の子どもたちがどう感じるかが気になりました。里親に関するニュースを一緒に見て、親と暮らせない子どものことを折に触れて伝えました。それでもいざ児童相談所に問い合わせの電話をかけるときに躊躇していたら、長女がそばにやってきました。
「何やってるの、早く電話しなよ。子どもが待ってるんだよ」
その言葉に背中を押されて電話をかけ、面接、審査を経て里親登録が決まりました。里親研修(※)を受け、里親の先輩の話を聞ける「里親サロン」にも毎月参加しました。
※現在は登録前に数日間の研修と実習を受けることになっています。
「自分にできることは限られているので、養育里親としてはひとりお預かりして終えるつもりだったんです。それが、初めて預かった2歳の子によって考えが変わりました。電話をかけさせてくれた長女とその子。子どもたちのおかげで人生が変わったんです」
「お父さんがこわいの」
里親登録から1年後、齋藤さんが初めて預かったのは、父親の虐待によって児童相談所に一時保護されていた2歳のエリさん(仮名)でした。
「2歳児が虐待を受けるとどんな影響があるのか、その実態にまで想像が及んでいませんでした」
一時保護所から連れて帰って一息ついた途端、「お父さんがこわいの」と言い出したエリさん。齋藤さんの娘たちが「お父さん」という単語を口にしただけで、ビクッと凍りついて泣き出しました。夫が帰宅すると逃げ惑い、抱っこしても泣き叫んで「もう眠いの、眠いの」と繰り返しました。
「この子は、眠るしか逃げる術がなかったんだとわかって、逃げ場所をつくるしかないと思いました。こういう場合の具体的な対処法は里親研修では教えられていませんでした。とにかく安心してもらおうと必死でした」
齋藤さんは、エリさんの「シェルター」をつくりました。ソファに大きなひざかけを置いて、夫はその半径1メートルには近づかないとルールを決めたのです。
エリさんはふわふわしたソファでひざ掛けにくるまり、その隙間から夫と娘たちが楽しく過ごしている様子をのぞいていました。怖くはないのだと次第にわかっていき、2週間後にはシェルターは必要なくなりました。夫に抱っこされたり、一緒に公園に行ったりすることもできるようになり、笑顔も見せはじめました。
もともと1カ月だった委託の予定は延長されました。しかし預かってから2カ月後、エリさんは父親が住む家の近くにある児童養護施設に移ることになりました。
施設には生活用品が用意されていますが、齋藤さんは「引っ越した後に困らないように」と衣服や下着を買い込んでいました。別れの前日、エリさんが乗るベビーカーを押し、トレーニングパンツの買い出しにでかけました。
まだ少し風が冷たい春の日でした。ずれてきたエリさんのひざかけをかけ直そうとかがんだとき、「ようやく笑顔になったのに、この笑顔を明日から守ってあげられないんだ」と思いがこみ上げてきました。
「耐えられないくらい悲しくなってしまって。でもつらいのは私じゃなくて、見知らぬ大人と子どものところでゼロから生活をはじめなきゃいけないこの子のほうですよね。大人でも怖いのに、2歳のこの子はたったひとりで行かなきゃいけなくて」
涙をこらえ、エリさんに顔を見せないように無言でひざかけを直していたら、耳元で小さな声が聞こえました。
「なおちゃん、泣いちゃだめだよ」
エリさんが見つめていました。感情を悟られたことにうろたえた齋藤さんに「私も泣きたいけど、頑張ってるんだから」とエリさんは続けて言いました。
「こんなに小さいのに、さまざまなことを理解しながら頑張って生きているこの子の立派さに、私は完全に負けたと思いました。いつか再会できたときに少しは認めてもらえるような人でいたいと思ったのです。こうして懸命に生きている子が、日本にはたくさんいます。養育里親として1人だけ預かればいいなんて甘えたことを言ってんじゃないよ、と自分を叱りました」
翌朝。エリさんの3歳の誕生日の前祝いとして、家族でケーキを囲みました。児童相談所に送り届け、職員が「ではお預かりします」と言った途端、エリさんはわっと泣き出し「いやだ〜!」と叫びました。それがエリさんとの別れでした。
養育里親は家族の代わりに一時的に子どもを育てる役割です。里子と別れたあと関係を続けられることもありますが、どこで暮らしているかの情報すら得られず、再会できないこともあります。里子と別れたあとの里親のフォローが必要だと、齋藤さんは訴えます。
ひとり親が病気になった、母親が産後うつになったーー。齋藤さんはそれから小春さんを含めた5人の子どもを預かってきました。小春さんは実の親と面会をしていますが、エリさんは施設に戻った後、親と暮らしているのかどうかわからないままです。
「多くの子どもが親を特別な存在として求めています。親元に戻れるまで、養育里親として精いっぱい責任をもって育てさせてもらえたらと思います」
少しの期間でも家族の仲間になった子が、幸せに暮らしていること。それが齋藤さんの願いです。