結婚式や就活で「自分らしさ」をどこまで表現できる?ドレスコードの起源を聞いた

小林明子

「個性を大切に」「自分らしさを表現して」ーー。多様性を尊重するメッセージは世の中に溢れていますが、実際に身につけるものを選ぶときにはさまざまなことが気になるもの。特に冠婚葬祭やビジネスなどフォーマルなシーンでは、慣例や規範にならうと選択肢が少なくなってしまいます。私たちは身につけるものを選ぶとき、何に心を揺さぶられているのでしょうか。『言葉と衣服』の著書がある京都精華大学デザイン学部准教授の蘆田裕史さん(ファッション論)にお話を聞きました。

白いパンプス
結婚式では、花嫁以外は白を身につけるべきではないとされている
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ーー「ファッション」と聞くとなんだか自由なイメージがありますが、実際に服やアクセサリーを選ぶときには、自分の好みよりも「定番」や「正解」のほうを無意識に選んでしまうこともあります。

ファッションは、自分のために装うものでもありますが、同時に他者のために装うものでもあります。社会の中で適切なふるまいをするために、マナーやドレスコードのような制約の中で装うという要素も内面化されています。

極端に言えば、何も身につけない状態が自分らしいからと主張して裸のまま外に出るのは、現代社会ではさすがに難しいですよね。また、Tシャツとジーンズで過ごすのが好きな人でも、冠婚葬祭などフォーマルなシーンで同じスタイルを貫くことには抵抗をもつ人が多いのではないでしょうか。

自分のための装いと、他者あるいは社会のための装いのせめぎあいが常に起きているのがファッションなんです。個人と社会の間で揺れ動くインターフェース(境界線)のようなものなのではないでしょうか。

歴史的な意味の積み重ね

ーーよくTPOといわれますが、マナーやドレスコードがその場面での共通認識としてあるため、「定番」や「正解」が決まっているということでしょうか。

たとえ「自分はジーンズでも失礼だとは思わない」と主張したとしても、他者がどう思うかはコントロールできないので、結局はマジョリティの共通認識がドレスコードになってしまいます。

就職活動にはリクルートスーツが当たり前だとか、お葬式では黒い服を着なければならないとか、ジーンズはフォーマルなシーンでは避けるべきだというのは、多くの人が今までそうしてきて、今もそう信じているということがベースになっています。

ーーその共通認識はどのように生まれたのでしょう。

ファッションは色だけでなく、柄、アイテムなどさまざまな要素において、意味を帯びていることが少なくありません。そのため、何かを装っているだけで他者から何らかの解釈をされることは避けられません。

近代までのヨーロッパでは、庶民が着たい服を着ることは許されておらず、身分によって服装が規定されていましたし、それは日本でも同様です。

色や柄の話で言えば、洋の東西を問わず紫は高貴な色とされていましたし、ヨーロッパでは黄色や縞模様に差別的な意味合いが含まれていました。近代以降も、もともと軍服であったセーラー服が日本では女子学生を想起させるものになったりと、色や柄、アイテムのもつ意味はさまざまな形に変化しながらも、「意味を帯びる」ということ自体は根強く残っています。

こうした意味の積み重ねによって、その時代や社会の中で共通認識がつくられていきます。

リクルートスーツの新入社員
就活といえば黒か紺のリクルートスーツというイメージが根強くある
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曖昧な「◯◯らしさ」

ーー例えば就職活動で「私服OK」と言われてTシャツを着て行ったら周りはジャケット着用だったり、「オフィスカジュアル」の塩梅がわからず悩んだりと、「共通認識のドレスコード」には曖昧なものもありそうです。

そもそも「ファッション」という言葉自体が曖昧ですし、ファッションの世界では言葉が曖昧に使われがちです。

たとえば「エレガント」という表現がよく使われますが、具体的にどのような状態のことをさすのかをはっきりと説明するのは難しいですよね。自分の頭にぼんやり浮かんだイメージを他者と共有できている保証もありません。

「オフィスカジュアル」や「平服」「高校生らしさ」なども同様に、きちんと定義しないとコミュニケーションがすれ違う原因になってしまいます。先ほどお話しした「意味」と同じく、時代が変わるにつれて定義が変わっていくこともありますし、世代によって定義が異なることもあります。

18世紀にはフリルやリボンは男性向けの服にも使われていましたし、1920年代にアメリカの「タイム」誌がベビー服を扱う百貨店に実施した調査では、女の子はブルー、男の子はピンクがふさわしいという声も少なくなかったそうです。私たちが共通認識だと思い込んでいても100年前には逆だったということもあるわけで、決して固定的なものではないのです。

ですから、それぞれの場面において、関わる人たちの間でそのつど言葉を定義し、合意形成をしていく必要があります。

例えば結婚式ではパートナーと相談しながら自分たちらしい雰囲気をつくりあげていきますが、「エレガントなドレスを」と新婦にリクエストされたら、ここでいう「エレガント」とは何かをお互いにすり合わせたうえで複数のドレスを検討しないと、相手が望むものは実現できませんよね。

蘆田裕史さん
蘆田裕史(あしだ・ひろし) / 京都精華大学デザイン学部准教授、副学長。専門はファッション論。
1978年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターなどを経て現職。主な著書に『言葉と衣服』、共著に『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ』などがある。ファッションの批評誌『vanitas』編集委員、本と服の店「コトバトフク」の運営メンバーも務める。
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ーー共通認識が変わっていくだけでなく、共通認識としてのドレスコードがなくなるということもありえるのでしょうか。

可能性としてはあると思いますが、そのためには私たちみんなが意識を変えないといけませんよね。個人的にはなくなったほうが生きやすくなるんじゃないかと思います。

定義を曖昧にしたまま「この場面ではこうあるべき」というドレスコードやマナーをつくるのは一種の「まやかし」でしかないにもかかわらず、それが個人の好みや行動をがんじがらめにしていることがあるからです。「高校生らしさ」という不思議な価値観でしばる校則などはまさにそうですよね。

ファッションは目に見えるものであるがゆえに、他の趣味嗜好よりも社会からの要請を受けやすい面があります。電車の中でイヤホンで音楽を聴いていても他の人にはわかりませんし、インテリアの趣味も自宅に招かれない限りはわかりません。けれども服は個人の身体とともにあるものなので、その人と同一視した解釈をされがちです。

ファッションは変化を起こしやすい

一方、ファッションは目に見えるものだからこそ、変化を起こしやすいとも考えられます。既存のマナーやドレスコードから外れたものを身につける人が増えていけば、明らかに都市の風景が変わっていきます。

例えば、韓国の男性アイドルがパールのネックレスをつけているのを見て、素敵だからとまねをする人が現れて、こういうのもいいねという価値観が自然に広まっていく。

理念を掲げて人々に訴えることも大切ですが、多様な個人のふるまいが存在することによっても、社会が変わり、共同体の価値観が変わっていくこともありえるのではないでしょうか。裾野を広げ、大きなインパクトをもたらすことができるのはファッションの力だと考えています。

もちろんそこには選択肢があることも大切です。性別や年齢にとらわれずに選べるもの、個人の趣味や嗜好を表現できるものを、つくり手が用意しておくことも必要です。

私はデザイン学部で教えているため、デザインには社会的な意義が重要だと学生によく話しています。一つの新しい提案によって救われる人は多くはないかもしれないけれども、必ずいるので、続けていくこと、そこに存在させ続けることが社会をよりよくすることにつながるはずだと思っています。

好きなものを身につける幸福感

ーーたとえ選択肢があっても、特に結婚などのシーンでは、周りに喜んでもらいたいあまり「忖度」してしまうこともあります。他者や社会からの要請というよりは、親に喜んでほしい、周りから祝福されたいという自分の願いと、自分の好みとの間の葛藤といえるのかもしれません。

どこまでが自分のための装いで、どこからが他者のための装いなのか。その境界線は非常に曖昧なので、自分でバランスをとっていく必要があります。

ファッションで自分らしさを表現したい人もいれば、集団の中に埋没するためにファッションを使いたい人もいるでしょう。リクルートスーツだと服装について悩まなくて済むから楽だという気持ちは否定できませんし、いわゆる「女性らしさ」を強調する服装によってアイデンティティが承認されたと感じる人には「らしさ」の共通認識が救いになることもあります。

ただ、着るものや身につけるものは他者から解釈されるのと同時に、自分の心理にも大きな影響を与えます。本当に好きだと思えるものを身につけることによって、幸福感を得られるはずです。長く身につけるうちに愛着がわき、自分だけの意味や価値が加わっていきます。

身分によって着る服が決められていた時代には、そもそもファッション自体が軽んじられていました。服装の自由を勝ち取り、服装と個人の精神がはっきりと結びついたのはおそらく20世紀くらいからでしょう。身につけるものが人間の尊厳にとって重要だということがようやく認識されてきましたし、もっと広まってほしいと思います。

空
「これが好き」という気持ちの根源には、それぞれの経験や感性がある
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自分のため、でいい

ーー自分の好きなもの、自分にとって意味があるものを選ぶときにためらいがある人には、どんなアドバイスをされますか。

自分のことを自分で決めることに、ためらいを感じる必要はありません。

自分のことを自分で決めるという価値観が当たり前になれば、他者の選択に介入することもなくなるのではないでしょうか。そうすると忖度をする必要もなくなります。

社会からの要請とのせめぎあいで調整をしていく必要はありますが、個人の意思や趣味、決断が尊重される社会にするために、まずは自分が好きなものを身につけることはわかりやすい出発点です。その個人の行動ひとつひとつが、多様な選択ができる社会につながっていくはずです。

自分のための装いと社会から要請される装いとの境界では、そのつどコミュニケーションをあきらめず、お互いに心地よい着地点を探り合っていくしかないのではないでしょうか。

社会からマナーやドレスコードを完全になくすことはできませんが、制約がある中で最大限の自分らしさを発揮できるように、それぞれが試行錯誤をしていくのがファッションの挑戦でもありおもしろさでもあると考えています。

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ブライダルジュエリーに、二人らしい色を。

常時100種類以上のカラーストーンを展開するジュエリーブランド・ビズーでは、ブライダルジュエリーにも、二人のらしさをもっと自由に表現できる、カラーストーンのブライダルジュエリーを展開しています。

二人の関係性や愛の形が無数にあるように、ブライダルジュエリーの宝石も、ダイヤモンドだけでなく、もっと多様であっても構わないと考えています。

カラーストーンの "色の持つパワー" が、二人の思い出や大切な記憶で、手元を彩りますように。そんな願いを込めて、色をテーマにした多様なブライダルジュエリーのラインナップを揃えています。

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著者
小林明子
OTEMOTO創刊編集長 / 元BuzzFeed Japan編集長。新聞、週刊誌の記者を経て、BuzzFeedでダイバーシティやサステナビリティの特集を実施。社会課題とビジネスの接点に関心をもち、2022年4月ハリズリー入社。子育て、教育、ジェンダーを主に取材。
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